こんばんは!

循環器内科の救急担当をしている子育て女医です👩‍⚕️

救急外来では、ご家族にとって人生で一番つらい説明をしなければならないことがあります。

先日も、そんな場面がありました。

80代の男性が心肺停止の状態で搬送されました。

心臓マッサージや薬剤投与を行い、
一度は心拍が戻りましたが、
その後も何度も心臓が止まり、そのたびに蘇生を繰り返す状況。

薬を最大限使っても、医療者としては
「これ以上できる治療はない」と考えられる状態でした。

ご家族に現在の状況を説明すると、

息子さんは静かに話を聞いたあと、

「次に心臓が止まったら、もう十分です。」

と話されました。

一方で、少し遅れて来院された奥様は違いました。

「朝まで元気だったんです。」
「手術はできないんですか?」
「もう一回やってください。」

その言葉を何度も繰り返されました。

私たちは、これ以上心臓マッサージを続けても回復は見込めないこと。

意識が戻る可能性は極めて低いこと。

肋骨が折れるなど、ご本人の苦痛だけが長くなってしまう可能性があること。

そして、手術や機械による高度な循環補助も適応がないこと。

一つひとつ、できるだけ丁寧にお伝えしました。
それでも、奥様は首を縦には振りませんでした。


実は、この日ご家族へ説明したのは私一人ではありません。

交代の時間帯でもあり、3人の医師が、それぞれ必要な説明を行っていました。

最初は、高度な機械を使った循環補助は適応がないこと。

仮に使用できたとしても、意識が戻る可能性は極めて低いこと。

次は、もし再び心臓が止まった場合、
心臓マッサージを続けるかどうかということ。

そして最後は、これ以上ご本人を苦しめないために、自然な経過を見守るという選択について。

医学的な方針は、最初から最後まで何も変わっていませんでした。

医師側からすると、
「高度な治療の適応はない。」

「心臓が止まっても、蘇生によって回復する見込みはない。」

「だからこそ、最期は苦痛を増やさないように見送る。」

すべて一つにつながった説明のつもりでした。

でも、ご家族からすると違ったのかもしれません。

「まだできる治療の話。」
「心臓が止まったときの話。」
「最期を迎える話。」

一つひとつ別の話として聞こえていたのかもしれません。

医療者は一本の線として説明していても、
ご家族には点と点のように聞こえてしまう。

だから、
「さっきまでは治療の話だったのに、今はもう諦める話になっている」
と感じられたのかもしれません。

そのとき、私は昔上級医に言われた言葉を思い出しました。

「患者さんやご家族は、ショックな状況では、
自分が聞きたいことや希望につながることほど
記憶に残りやすい。
だから、自分が説明したことを全部理解してもらえたと思わない方がいい。」

当時は、「期待を抱かせるような説明は慎重にしよう」という意味だと思っていました。

でも今回の奥様は、

「手術はできないんですか?」
「何とか助けてください。」

と何度も話されていました。

私たちは、手術や機械による治療は適応がないことも、その理由も繰り返し説明していました。

それでも、「何か方法があるのではないか」という希望を手放すことはできなかったのだと思います。

あの日改めて、あの言葉は「期待を持たせる説明をするな」ということだけではなく、

人はショックな状況では、すべての説明を同じようには受け取れない。

そんな人の心の動きも含めて教えてくれていたのかもしれない、と感じました。

朝まで元気だった人が、突然目の前で命の危機に陥る。
「もう助からないかもしれません。」

その現実を、ほんの数十分で受け入れることは簡単ではありません。

頭では理解しようとしても、心は追いつかない。
そんな時間だったのだと思います。

救急医療では、病気だけを診ているわけではありません。

目の前で必死に現実を受け止めようとしている
ご家族とも向き合わなければいけません。

あの日は、「説明すること」と「伝わること」は、
必ずしも同じではないのだと
改めて考えさせられた一日でした。