2014年4月

 

OWNDAYSで初の開催となる社内イベントが行われた。

場所は鶯谷駅に近いキネマ倶楽部。

全国の店長、管理職、入社したばかりの新人社員、そしてシンガポールスタッフも集まり選挙や技術コンテスト、社長の方針発表が行われる。

 

来日したシンガポール一号店のスタッフKelvin,Desmondともまた再会することができた。

片言の英語で話す今のお店の現状や抱えている悩みが同じこと。

国は違えど同じ問題を抱えて、同じ考えで仕事しているんだなと改めてここでも実感することができた

 

 

サミットでは舞台に立った社長が基本方針を話している

 

「2013年シンガポールに進出しました、売上も好調オンデーズはこれから海外にどんどん進出してグローバルな企業になっていきます、そして2014年夏なんと!!!!台湾進出します」

 

スクリーンに映し出された台湾の街並みの映像を見て私は、

 

「すごい!台湾にも進出するんだ。シンガポールのあの感動が台湾でも起こるのかな?」

っとすごく興奮した。

だけど、会社が成長することの喜びで、この時点ではある意味他人ごとでもあった。

 

サミットが終わってすぐに社長が私が勤務する川崎ダイス店に巡回に来た。

その当時、川崎ダイスが全国で2位の売上を作っており、社長がよく店舗に来ていたので珍しいことではなかった。

 

「社長サミットすごかったですね、台湾進出もすごい!また売上作って頑張るのでご褒美で連れてってくださいね」

 

「そうそう、今回は責任者公募して決めるんだけど、甲賀さんがはまちが責任者に向いてるって言ってるんだよね」

 

「は??は??なんですか?私が海外で働く?言葉もできないしそんなの無理でしょ?」

 

「大丈夫、台湾は日本語の通訳を探すのは簡単だから、シンガポールと違って言葉が通じなくても大丈夫、治安もいいし、生活もしやすいし、物すごく親日だし女性でも問題ないよ」

 

「え?そもそも台湾って何語話すんですか?」

 

「中国語。でも日本に統治されていた歴史があるから日本語話す人も多いんだよ、もう既に日本語話せるスタッフも採用したし」

 

「へーそうなんですね。うーん面白そうだけど・・・・ちょっと考えてみます」

 

社長と話したこと日、私は帰りの電車の中で実は一人でニヤついていた

 

私が海外勤務?へ?私が海外で働いていいの?まじか?かっこよすぎる・・・・

でも旦那は?家は?まあとりあえず面白そうだから相談だけしてみようかな?

それでダメって言われたら行かなきゃいいだけだし・・・・

 

家に帰って、すぐに旦那に話した

 

「台湾で仕事しないかって言われているんだけど・・・」

 

「へ??は??台湾???」

 

旦那はその話を聞いたら、家の中をぐるぐる歩き出して、お風呂に入って布団に入ってしまった。

 

翌週

 

「あの話どうすんの?行きたいんでしょ?しょうがないよ、言ったら聞かないんだから。。。」

 

それは納得というよりは諦めている返事。

なんとか旦那の許可をもらい、私はすぐに台湾責任者の応募メールを人事宛に送った。

 

2014年5月

西麻布の本社で台湾責任者の選考会が行われた。

応接室のソファーに社長、甲賀さん、明石さん、長津さんが次々に質問していくがほとんどが

 

「旦那さん大丈夫なの???」

 

そこに集中していた。

 

「いくことは了承してもらったっていうより、諦めてもらった感じです。三ヶ月に一回しか帰れないことも伝えてあります。また帰国の期限が決まってないことも伝えてあります。人生一回だけですから、メガネ屋の店長しかやったことがない、言葉もしゃべれない私が海外で働いて責任者をやれるチャンスなんて今後絶対ないですから、やってみたいと思います。

やれる自信なんてないです、でもできることが全力でやります。」

 

多分そんなようなことを話したような気がする。

 

長津さんが最後に

「濱地さんの強みはわからないことをわからないと堂々と言えるところだから、わからないことを海外でわからないまま進められることの方が怖いからね」

 

へー私ってそんな風に見られていたんだと新しい発見だった。

もし何か問題が起こったら本部が全力でサポートしてくれると思い安心した。

 

責任者に決まって一番最初の仕事は日本で研修する予定の二人を成田空港に迎えてに行くことだった。

甲賀さんが成田に向かう京成線の電車の中で今日迎える二人の履歴書を見せてくれた。

 

「二人とも日本語検定は一級、ユニクロで働いてたらしいんだけど知り合いかどうかはわからない、WEBで面接しただけだから雰囲気はなんとなくしかわからないんだ」

 

成田の到着口に現れたのは若い女の子二人AKIとYUNA。二人は楽しそうにおしゃべりしながら現れた。

 

「お疲れ様、台湾の責任者になる濱地です。これからよろしくね」

 

二人の日本語は想像以上にうまい。そして二人は仲の良い友達で、最初に採用されたYUNAがAKIを紹介したそうだ。飛行場からホテルに向かう途中の会話も通じなくて困ることは何一つない、明るくて気さくなAKIと少しのんびりで慎重派なYUNA.二人の仲がいいことが良い方向に行くか悪い方向に行くかちょっと不安だったけど、甲賀さんがこれから二人のコミュニケーションをとるところから始めなくてはいけないよりはいいんじゃない。何か問題があっても二人で相談できるだろうしと前向きな意見をくれたので安心した。

 

この日から二人にメガネの知識、技術を店舗に入り2か月教え込んで行った。

 

 

台湾に帰ったらこの二人が中心となって、台湾スタッフの研修を行っていかないといけない。

 

使用するテキストも全て日本語。

専門用語がたくさんあるテキストは、私たち日本人でも難しいことが多い。

 

「あーもう、日本語難しい!!!こんな難しい日本語知らないよ」

 

「大丈夫、大丈夫、メガネ屋さんじゃないとわからない言葉だから、日本人にも難しいよ。

言葉は覚えなくていいから、内容を理解してればOK」

 

日本人に教えるよりも図を描いたり、数字を書いたり、簡単な日本語に置き換えたりしてわかりやすいよう工夫した。

 

AKIは知識面の理解度がめちゃ早かった、すぐに飲み込みYUNAに中国語でこう言う事じゃないってどんどん説明していく、YUNAは自分が納得するまでゆっくり考えていくタイプ。でも納得するまで考えるので、内容をしっかり理解してくれる。

そしてYUNAは加工を教えると、みるみる上手くなっていく。慎重だけど確実に進めていくのは加工向きそして手先がとても器用だった。

 

AKIは知識、YUNAは技術二人の得意なところも上手く分散した。

2か月かけて日本語で必要な知識を詰め込んでいった。

 

結果二人は日本人に教えるよりも早いスピードでどんどん吸収していった。

 

 

何よりも私が気にしたのは彼女たちとのコミュニケーション。

研修中は昼は3人で食べてた。特に2人がハマったのはトマト麺。川崎でよく食べに行ってた。

仕事のことだけではなく、プライベートのこともたくさん話した。

台湾の人がどんな考えを持っているのか?

まだ行ったことのない台湾の生活はどんなものなのか?

台湾の食べ物は美味しいのか?

 

2か月後彼女たちは、研修を終えてOPENの準備のために台湾に帰っていった。

私は彼女たちを追いかけ1日後に生まれて初めて台湾の地に来た。

 

初めて台湾を降り立った時、日本の看板をたくさん見ることができる街にびっくりした。

なるほど、本当に聞いた通りの親日の国なんだな。

 

7月下旬
 

生まれて初めて台湾に来た。

海山さんが空港で待っていてくれて、タクシーからみた初めての台湾の景色は思ったよりも都会。

そして日本語の看板がたくさんありことにびっくりした。

事務所の近くにある三越の中には見慣れたブランドがひしめき合っていた。

なるほど、親日とはこう言うことか・・・・・・・

 

初めての夜は社長が台湾らしいものをとみんなで火鍋を食べた

火鍋屋さんのおばさんたちもみんな日本語で接客してくれて、日本語が話せる人がこんなにたくさんいるのかと驚いた。

 

 

 

8月中旬のOPENに向けて、たった5坪の事務所に検眼機、加工機を突っ込み。AKI,YUNAが中心になり研修とOPENの準備をは十めて行った。

 

「濱地さん今五人しかスタッフいないよ。これじゃあOPENまで絶対人足りない」

 

「確かに全然人足りないよね。OPENまでに人集めよう!!!」

 

「どうやって応募かけたらいいかな?すぐに募集かけられるサイトとかある??」

 

「台湾の無料のサイトあるから、それ使って募集してるところ多いよ。」

 

「それに乗せることできる???」

 

「うんんじゃ今からそれにUP、日系企業って書いたら人集まると思うよ」

 

確かに彼女たちが日本でいう2CHのようなサイトに募集を載せるとどんどん応募が来た。

サイト内で、面接の日程を連絡して、面接の通訳も彼女たちがこなしていく。

 

5坪の事務所をパーテーションで仕切り、半分を研修所、半分を面接会場にして二人を通訳にして面接をしていった。

 

面接が終わると、研修しながら様子を伺っていた他の3人も集まり

 

「イケメンこないね。」

「この子かわいい。」

「話し方が微妙。」

 

とか、面接した人の品定めが始まる。ノリは女子校だった

 

中国語でマニュアルも作らないと。

お客様が来たらなんて言う???日本語でいらっしゃいませ??

なんか変だよね。よしみんなで決めよう!!!

 

 

お店をOPENするまでのやらなくてはいけないこと。

私たちは本当に右も左も分からないからとりあえず考えつくことから、3人で相談した進めて行った。

 

「OWNDAYSが台湾来たら絶対にみんな喜ぶと思う。台湾は本当にダサくて高い眼鏡屋さんしかないから。台湾にユニクロがきた時もすごかったよ。お客さんが行列して、私たち本当に毎日休みなかったんだから。OWNDAYSも絶対そうなると思うね」

 

OPEN準備しているスタッフはよく言ってた。

それを聞いて私は台湾でOWNDAYSが成功しないわけがないと思った。

その為にも早く販売できる体制を作らないと・・・・

 

OPEN1週間前、台湾でAKI,YUNAが中心となり研修した3人は簡単な検査と加工ができる程度までにはなっていた。

事務所に窮屈に置いていた機械は一号店となる台北駅店に移動された。

 

私が台湾に入ってから採用されたスタッフ5名が店舗に集まった。OPENまでに時間がないので、日本語ができるかどうかは別。接客経験があるスタッフが集められた。まだ工事が未完成。工事の音ととタミーラの叫び声が響く中、床に座り新人の研修とOPENの準備が始まった。

 

日本からの商品が届いたが、細々したものが足りてないことに気がつく。日本から必要なもの全てを輸入すると関税がかかってしまう。現地で揃えられそうなものは送られてきてない。

日本のOPENでは当たり前に本部から用意されているものが、台湾では自分で買わなくてはいけない。

 

「椅子とか、文房具とか、お店に必要なもの買いたいんだけど、ホームセンターみたいなところはあるの?」

 

「あるある、私の家の近くにあるからそこに行こう!」

 

「それじゃタクシーで運べばいいね」

 

ネットを使えば簡単に買うことができるのだけど、台湾の通販の事情もよく分からない。到着時間が分からない不安より買いに行ってしまった方が安心だ。

AKIと二人でホームセンターに行き二人でタクシーいっぱいにものを積み店舗に運んだ。

 

OPEN前日、店舗はなんとか販売できる環境を作ることができた。

OPENに向けて私たちはFacebookで広告を売っていた

「コメントで応募してくれた人100人にメガネを無料でプレゼント!!!」

YUNAはOPEN前日までこのコメントの対応に追われていた。

 

準備や研修をしている中、シンガポールからデスモンドが到着した。

デスモンドはシンガポール一号店のOPENの時から勤務していて、中国語での対応ができるので台湾に応援に入ることになったのだ。

着くなりスーツケースをその場に行くと、今の現状を察したのか早速スタッフの研修の輪に入って新人スタッフに教え始めた。

経験者の実践的な研修にスタッフたちはデスモンドを質問攻めにする。

 

 

 

 

日本から社長、明石さん、海山さんも集まりOPEN準備が整いOPEN前のミーティングが行われた。

 

私がみんなに話し、YUNAが通訳をする。

 

「明日いよいよOWNDAYSの台湾一号店がOPENします。ここにいるみんなも私も初めての経験で何が起こるかわかりません。でもこの場にみんなと一緒に立ち会えることをとても嬉しく思います。

とにかく明日からが始まり、みんなで一緒に台湾で一番の眼鏡屋を目指して頑張りましょう!!!」

 

「オンデーズでは世界共通の掛け声があります、今日はみんなでそれをやりましょう!」

 

「1.2.3 エイエイオンデーズ」

 

前日の夜11時。台北駅の付近には空いているお店もなく社長、海山さん、甲賀さん、近藤さん、タミーラ、明石さん、デスモンドとお腹が空きすぎてやっと見つけることができたのはマクドナルドだった。

深夜のマクドナルド。仕事に疲れた人たち、行き場をなくしたカップル。雰囲気も決していいとは言えない。

従業員も用は少ないせいか、店内も雑然としていた。

 

今できることはできることはやれた気がしてた。

 

「シンガポールはクラークキーで豪華な決起集会だったのに、台湾はマクドナルドかー。これが伝説の決起集会になるといいけどね。それも明日の売り上げ次第ですね。シンガポールみたいな感動をあしたも感じることできるかな。台湾のスタッフたちも、OPENまで本当に協力してくれました。OWNDAYS絶対台湾で流行るってみんな言ってます。台湾国内見ても本当にイケてるメガネ屋さんないし。」

 

まあ明日のOPENに向けてお腹もいっぱいになったし、そろそろ帰るか。

んじゃ明日は9時にお店に集合しましょう。