みさの小劇場ウオッチ日記


公演期間 2012/11/01(木) ~ 2012/11/04(日)
会場 土間の家
脚本 新美南吉、奥村拓
演出 奥村拓
料金 1,200円 ~ 1,500円
サイト http://okumurataku.com/


今回の公演料金が破格。これには敬意を感じる。
南吉の童話はどなたでもご存知のことと思うが、その内容はある種の哀しみが潜んでいる。だから子供の頃にこれを読んで随分と切ない気持ちになったものだ。その南吉の日記を舞台化すると言うのだから、ものすっごく期待感に溢れ色めきだった。


南吉の1931年~34年を舞台化。といっても4人のキャストらに大きな動きはない。リーディングのような感覚。そして彼らが交代で日記に登場する人物を演じるという趣向。こういった場合、必ずと言っていいほどキャストらの力量がアンバランスだったりすると物語全体の空気感が台無しになる。今回は矢口人圭の滑舌の悪さが気になって、物語の世界に入れず、おいてきぼりに。


更に4人のキャストが交互に南吉役、木本咸子役、ナビ役とくるくる変わるのに対して、キャストらの声の高低、幅に大きな差があり、それが悪く転じて物語の情景がいちいち途切れ、折角の南吉の恋愛4年間が殺伐としてしまったのが残念だった。


日記は 岡崎師範学校を受験するが体格検査で不合格となった南吉が愛知県知多郡半田第二小学校の代用教員となるも、一身上の都合で退職し、その後、『赤い鳥』1月号に童話「ごん狐」が掲載され、東京外国語学校(現・東京外国語大学)英語部文科文学に入学。1934年2月25日 喀血し、この頃顔色も優れず、頻繁に盗汗し体調が優れなかった4年間を描写。


また南吉は大正11年、小学三年生の時から日記を書き始め、死の前年昭和17年まで続けているから、この公演での日記はほんの一部だ。南吉は日記自体も創作活動の一つとしていたきらいがあり、全てを事実として受け取ることはできない。親友の河合弘もこの点を指摘しているものの、今公演での日記の内容は、南吉が半田第二尋常小学校代用教員時代であった時に生徒に対する独占欲や汚い生徒へのみくだし、ひいては自意識過剰で卑屈でもあった心を表現していた。


その後、4年間交際した木本咸子との感情のもつれ、愛情のゆくえなどを丁寧にみついでいた。健康上の不安や経済力の無さなどから、結婚に踏み切ることができない南吉と、南吉を愛していながらも別れ、別の男性の求婚を受け入れた木本咸子。この時、咸子は「悲しい物語を書くために子供の頃から不幸を形作って来たのではないか、自分を孤独にすることで人に響く言葉を紡ぎあげてきたのではないか、幸せになりたいけど、なりたくないから・・」と南吉の心情をこの舞台で語っている。


人というものは皆究極に於てエゴイストであるとか、孤独感やひねくれ、屈折した心、そして人間への猜疑心をストレートに日記に残している南吉は、自身の笑顔を見せている写真は非常に少ない。 南吉の日記には、人には良い部分と悪い部分があること、人生には幸も不幸もあることを述べている記述がよく見られるが、木本咸子との4年間が南吉にとって最も幸せだったに違いない。


世の常の喜びかなしみのかなたに、ひとしれぬ美しいもののあるをしっているかなしみ。そのかなしみを生涯うたいつづけた南吉。

「小さい太郎の悲しみ」
或る悲しみは泣くことができます。泣いて消すことができます。
しかし或る悲しみは泣くことができません。ないたって、どうしたって消すことはできないのです