みさの小劇場ウオッチ日記

公演の詳細はこっち→http://engekilife.com/play/23503/review


『人間失格』(太宰治)は、知らない人は居ないと思うので、粗筋は割愛。
この小説の面白いところは手記が「はしがき」と「あとがき」とに挟まれるという形だ。


そして手記は、「ことし、二十七」になる男が語る自身の人生。男は、ある海辺の温泉地で家政婦の老婆に犯されながら療養しているが「たいていの人から、四十以上に見られます」という、そうなるまでのいきさつが手記の内容だ。


小説の中で描かれる「私」から見た世界はあくまでも一面的なもので、手記の持ち主であった京橋のスタンド・バーのマダムは、「あのひとのお父さんが悪いのですよ。私たちの知っている葉ちゃんは、(中略)神様みたいないい子でした」と告げ、そのセリフで『人間失格』という作品は終わる。


葉蔵が自身を人間失格とまでいうようになる根本のはじまりについて、空腹という感覚や自身自身というものを見出すことができないという現象があり、葉蔵は、家庭環境や人間関係などの社会条件うんぬんの以前に、嫌なことも嫌といえない、他者からよく思われようとしてしまう、器用さ・ずうずうしさ・割り切った考え方などを発揮できない、などの後天的な性格や社会性が身を滅ぼす結果になったのだと思うのだが、この舞台はあくまでも小説に忠実に描写していたような気がする。


数々の女に翻弄され身を崩し、あるいは助けられ、まき沿いにし自身の身を削ながらも、人間の営みというものがまるで解らなかった葉蔵は「罪の大義」を語る前に依存心の強い心を払拭するべきなのだが、そういった場面や辛気臭い情景を見事に映し出していたように思う。


舞台で織りなされるテンポはいい。だからまったく飽きずに観られたが、出来たなら、その時代を想像させる衣装が欲しかった。また終盤でハジカレル、バンド・アニマックスのロックな音楽はこの物語とまったく噛み合っていなく、むしろなかった方が良かったかな。


脚本のそぎ落としも練り込まれてて充分。舞台セットは簡素ながらも演出でカバーしていた。波を想像させる白い布は照明でなんとか出来なかったのだろうか。キャストらのポジションも演技力もまずまず安定。


まったく個人的な意見だけれど、こういった葉蔵のような男は案外、多いような気がする。「この世を生きるには優しすぎた太宰」なんて言われてるけど、誰からも良く思われたい、というのがまずもって無理だから。だったら逆の発想で大切な人にだけ理解して貰えればいい。と思う方が楽に生きられるよね。