リバーズエコを応援する理由 | miryokutekihaiのブログ

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前回の記事から随分と間を開けてのブログ更新です。

書きたい事はいろいろあるんだけど、どうにも筆が進まなくて、結局前回のブログ更新から11か月も放置状態にしてしまいました・・・チーン

 

では早速、前回の記事で予告した通り、私がリバーズエコを応援する二つの理由について書いていきたいのと思います。

 

【理由1⃣:ネットでの誹謗中傷や嫌がらせについて考える為】

 

実は私はリバーズエコと関わる以前から、差別問題などの社会問題について考え、ネットで活動し、実際に同じ問題に取り組む者同士で合って話を聞いたりもしてきた。

リバーズエコの事もその一環であり、これは列記とした社会問題だと捉えている。

 

前置きはここまでにして本題に入ります。

 

 

 

↑ここより引用します

 

2012年から2014年にかけて、HIKAKINは「『俺のこと人間だと思ってないでしょ』ってくらい叩かれていたんです」と誹謗中傷を受け続けていたという。

(中略)

当時の誹謗中傷の量は「自称日本一だったと思う」「当時日本一言葉でいじめられた男」と嘆いたHIKAKINは、その後も当時受けた数々の誹謗中傷を紹介し「俺なんで耐えられたんだろう…人間じゃないかもしれない」と驚き。“サンドバッグ”のように矢継ぎ早に受けた誹謗中傷に対し「僕は元々そういうのに強い人間だったから良かったんですけど、あまり強くない人だったら(誹謗中傷が)1件来ただけでその日寝れないくらい嫌な気持ちになると思う」と注意喚起した。

 

この様に、一昔前のネットと言うのは無法地帯で、目立つ者は有名税として叩かれるのは当たり前だと言う状況だった。

私も、そうした状態は良くないとしつつも、「そんな奴らいちいち相手にするな。ネットで発信するのは自分の意志なのだから、そう言うのも受け入れるくらいの心を持て。それこそが真の自由だ」みたいに考えていた頃があった。

 

それは果たして正しいのだろうか?

 

この考え方は自由の観点のみで考えたら正しいのかもしれないが、自由の観点のみの話では正しいに過ぎない。

結局この考えと言うのは「強い者だけが生き残り、後は淘汰される」と言う事で、これはまるで自然科学の進化論が歪められて出来た社会進化論を彷彿させる。

 

そもそも進化論とは、地球には多種多様な環境があり、そのそれぞれの環境に適した性質を持つ生き物が繁栄しやすくなると言うもの。

例えば、寒さに強い動物。

これは寒い環境の地では繁栄しやすい。

逆に暑い環境に強い動物は暑い環境の地では繁栄しやすい。

そうした多様性こそが多種多様な生物を生み出す源であり、そこに優劣など存在しない。

 

が、そうした進化論を人間社会に当てはめると言う、人類の傲慢さによってできたのが社会進化論なる似非科学。

この登場により「強い者だけが生き残り、弱者は淘汰される」などと言う、本来の進化論の本質とは真逆の結論を見出してしまう。

つまり、寒いのに強い人もいれば暑いのに強い人もいる、そこに優劣などないと言う話が、寒いのに強い白人こそ優秀であり、寒さに弱い黒人は劣等だと曲解されてしまったという事だ。

こうした考えのなれの果てが優生学なる似非科学から生まれた似非科学であり、その思考の元「劣等な遺伝子」を排除し「優秀な遺伝子」だけを残そうとしたのがあの悪名高いナチスという事だ。

 

つまりどういうことかと言うと「強い者だけが生き残り、後は淘汰される」と言う思考そのものがナチスの思想に片足をツッコんいるという事を自覚しなければならないという事。

「片足をツッコんでいるからその考えはやめるべき」とはしない。

何故なら「強い者だけが生き残り、後は淘汰される」と言う考えは人間社会において、100%否定は出来ないからだ。

スポーツなどの競技においては、単純に誰が一番強いかを競う弱肉強食の世界だからやる側もより真剣になれるし、その真剣さこそに観る側も惹かれるわけで。

 

そうした点を踏まえて、ネット活動というのはスポーツの様に「強い者だけが生き残り、後は淘汰される」理論が通用するのかと言う話である。

 

ネット活動と言うのは誰かと競うものではない。

何か世の為になる事を広めたり、人に楽しい事を提供したり、自身の思想を広めたりと、様々な目的があり、そうした活動をしている誰もが強い心を持っているわけではなく、心が繊細ですぐ落ち込んでしまう人だっている。

せっかく有意義な発信をしているのに、心が繊細故に、ネットの嫌がらせに耐えられず辞退してしまう・・こんなやるせなく勿体ない話はないだろう。

 

「心が強い人もいればそうでない人もいる、それこそが多様性であり、どちらも気兼ねなくネット配信できる社会」

 

こういう考えにしていくべきだと考えます。

リバーズエコにしろヒカキンにしろ「たまたま」心の強い人だから理不尽な仕打ちにも何とかここまで耐えることが出来たのです。

たまたまでは駄目。

無責任にネットで暴言を吐き散らかす連中の好きにはさせてはいけない。

 

【理由2⃣:資本主義、利益至上主義について考える為】

 

午後からずっと話されていたことは、持続可能な発展と世界の貧困を無くすことでした。私達の本音は何なのでしょうか? 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか? 質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を、世界の70億~80億人の人達ができるほどの原料が、この地球にあるのでしょうか?

それは可能ですか? それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか? マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが、無限の消費と発展を求めるこの社会を作ってきたのです。マーケット経済がマーケット社会を作り、このグローバリゼーションが、世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいは、グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球へやってきたのです。

人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパー消費が世界を壊しているにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が世界のモーターとなっている世界では、私たちは消費をひたすら早く、多くしなくてはなりません。

消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間も持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!

そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので、作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいることに、お気づきでしょうか。

これは紛れもなく政治問題ですし、この問題を別の解決の道に進めるため、私たち首脳は世界を導かなければなければなりません。なにも石器時代に戻れとは言っていません。マーケットを再びコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス(古代ギリシャの哲学者 快楽主義の祖)、セネカ(小セネカとも:古代ローマの哲学者で、皇帝ネロの家庭教師を務めた)やアイマラ民族(南米の先住民族)までこんなことを言っています。

「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」。これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。国の代表者として、リオ会議の決議や会合に、そういう気持ちで参加しています。

私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことをわかってほしいのです。根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。そして改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。

私は、環境に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。しかし、世界でもっとも美味しい牛が、私の国には1300万頭もいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は牛肉やミルクの輸出国です。こんな小さい国なのに、領土の80%が農地なのです。

働き者の我が国民は、毎日一生懸命に8時間働きます。最近では6時間だけ働く人が増えてきました。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をし、実際には更に長く働かなければなりません。なぜか? 車や、その他色々なものの支払いに追われるからです。

こんな生活を続けていては、身体はリウマチに全身をおかされたがごとく疲弊し、幸福なはずの人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして、自分にこんな質問を投げかけます。

「これが人類の運命なのか?」私の言っていることはとてもシンプルなものです。

発展が幸福の対向にあってはいけないのです。発展というものは、人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。幸福が私たちにとってもっとも大切な「もの」だからなのです。

環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

ありがとうございました。

 

これは、嘗ての世界で最も貧しい大統領」として知られる、ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領のスピーチである。(特に重要なところを赤字にしました)

 

一時期話題になったし、印象に残っと人も多いのではないだろうか。

要するに、我々人類は、安さだ便利さだ利益だの目先の豊かさに目を奪われていないか?その結果大事な何かを見失ってないかという、世界で最も貧しい大統領」が人類全体に向けた警鐘という事だ。

 

とにかく発展に発展を重ね利益重視で使っちゃ捨てを繰り返す社会。そんな欲望のまま突き進んでで言ったその結果どうなるのか?

 

資源は有限。いずれ人類間で資源の奪い合いが起こるかもしれないし、仮に資源が無限にあったとしても土地は有限、ゴミの置き場に困る事になるだろう。

 

だからこのスピーチには大いに賛成だし、人類は教訓にしていかなければならないと思っている。

 

私は、リバーズエコの企業理念を知った時はこのスピーチが頭過った。

 

社名【リバーズエコ】に込められた意味

 

 

都市鉱山について語る リバーズエコ小川社長と対談

 

 

現在のペースで採掘が続けば、埋蔵されている金は十数年後には枯渇の危機に瀕すると言われている。

リバーズエコは、本来捨てるはずの使えなくなった家電製品を集めて解体し、そこから貴金属のついてる基板を取り出して集めると言う作業を地道にやってきた。

製錬所に出荷するには最低一トン以上の基板が必要との事で、それだけ聞いてもいかに大変かと言うのが分かる。

その気の遠くなるような地道な努力が実って、今では年10トン以上の基板を出荷して、貴金属の循環に貢献してるとの事。

また、金の値上げに伴い、都市鉱山に含まれる金の減少に危機感を覚え、古いパソコンの使える部品を利用しての「リユース」にも乗り出した。

そうしてつくられた数々のパソコンも高評価。

 

※haneさんと言うリバエコリスナーさんの投稿画像より

キ、キレイだ・・・ 

 

 

行き過ぎた資本主義、利益至上主義社会を見直す為にも、この様な企業が評価される世の中であるべきだと私は考えている。

 

 

以上が、私パーソーがリバーズエコを応援している理由です。

故に、リバーズエコを攻撃してる連中を絶対に許しません。

 

あ、理由はあともう一つあったわ。

寧ろ、これが一番の理由かな?

 

それはズバリ社長の笑顔が好き!

人間、最終的に一番大事なのはフィーリングなんよウインク

 

※小川社長のツイッター投稿画像より