1 | (タイトルはいろいろありまして言えないのです)


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さとるは読売ランド前という街に住み、多摩川沿いのインク・ジェット工場に原付バイクで通勤していた。二年目に五千円の昇給とともに、派遣社員のリーダーになった彼はある連休の出勤を派遣仲間、数人に頼まなければならなくなり、作業ノルマを達成したら、少しだけ親睦会をしようと甘い言葉で彼らを誘った。派遣社員たちは二日間の休日勤務を終えると一時間程、休憩室でビールを飲みながら、今の目標や夢などを語り合い、証拠を残すことなく帰宅したつもりだった。しかし、翌週、彼が出社すると、すでにビールの空き缶が休憩室のゴミ箱から発見、回収されており、職場は大騒ぎになっていた。派遣社員の身分での不始末ということで、さとるは責任をとり、工場を辞めることになった。

小さなことが大きなことになる日本社会でどうやって生きていく? 彼は思った。本当にやりたい事をしたい、その修行から始めたい、と。お金を貰える仕事さえあれば、幸せと言うわけではなかった。仕事が終わると、一時、解放された高揚感はあったが、出勤前の彼はいつも惨い精神状態で、よくお酒を飲みたくなった。何年も、その繰り返しだった。彼はその仕事をしている自分が好きだ、と自らを受け入れられる事がしたかった。

そう思いつつも、さとるはもう少し、貯金を作りたくて、派遣会社の担当社員が探してくれた新しい仕事を始めた。新幹線や発電所で使われる手のひら大の大型半導体製造工場で、半導体が高温の環境でも壊れず機能するか検査する仕事だった。彼はまだ仕事があるだけありがたいと自分に言い聞かせ、原付バイクで横浜市の工場まで一時間半程かけて通勤した。しかし、山々を切り開いた起伏のある通勤の道は常に危険が付きまとった。特に夜。カーブする対向車線の闇から大型トラックが突如、彼の視界に入ってきて、あわやという時が何度もあった。

いつか死ぬと思ったので、さとるは貯金をはたいて工場に三十分で通勤できる川崎市の中原区というところに引っ越した。同じ検査課の社員と派遣社員はなんでも話せる、いい職場だったが、彼はまた二年目に価格が百万円と言われていた大型半導体を、検査課と対立する組み立て課の陣地のクリーンルームで落としてしまい、部品の一部を傷つけてしまった。その後、部品の傷は修復され、弁償する必要もなく、出荷もされたらしかったが、彼は職場に居にくくもなり、ここが去る時と思い、工場を辞めた。

毎日、さとるは部屋に閉じこもっていた。外出して、男女が手をつなぎ、幸せそうに歩いていても、今は仕方がないと思うようにしていた。彼は本当に愛するひとを見つけたいという気持ちはあったが、今度こそ、自分を殺すことなく、やってみたい事の修行をするのだと心を決めていた。しかし、一日中、誰とも話さない生活も辛いもので、彼は朝から夕方まで、深い憂鬱の森にいて、特別、なにもできなかった。起きるとき、寝るとき、金曜、土曜、日曜、無為な日々を過ごしてしまっていると、心がネガティブな気持ちに支配された時、たまに、この世から消えたくなったりしたので、彼は両手首に数珠とお守りを絡ませて眠るようになった。

ある日、さとるは駅前の古本屋で、世界の人々が長年にわたり、教えられてきたこととは全く違う本を見つけた。「隠された歴史」「フラット・アース」。彼はそんな世界にずっと興味があったので、すぐ買った。また、「自己を癒す」という本も見つけた。手に取り、中を見てみると、「あなたの求める安らぎは、一日の労働の後にあります」と書いてあった。彼はその安らぎをずっと求めていた。これもかなり浮世離れした本だったが、美しく道徳的な言葉であふれていて、三百円と安く、自身に必要な本だと思って買った。本には心に響く言葉がたくさん書いてあり、彼はとても好きになった。そして、本は自分を守ってくれるような気もするのだった。夜、布団の中で、あれこれ考えすぎて眠れない時、本を自身の胸の上に置き、
「ぼくの心をお守りください」「本でブロックしてください・・・ネガティブなこととか・・・惨めなこと・・・あとー・・・ぼくを嫌っている人とか・・・攻撃してくる人とか・・・もー、たくさんのことから」と彼が願いをかけると、いつのまにか眠れるのだった。

それから、さとるは仕事や一人暮らしでつくづく感じたことをコンビニで売っていた百円のメモ帳に書き始めた。外出する時、彼はメモ帳から十枚くらいを切り離し、ボールペンとともに服のポケットに入れるようになり、外で思いついたことをメモに書きつけたりしていった。彼は道端で呼吸するのも忘れんばかりに数分間、心に浮かんだことを書きなぐり、メモをどんどんズボンのポケットに押し込んだ。最後には少しばかり酸欠状態になり、芯が出たままのボールペンをズボンのポケットに入れ損なうので、ポケット周りは黒ボールペンの這った跡が少しずつ増えていったが、彼の心は少しずつ安定していった。

アパートに帰ると、彼はメモを机上に宝物のように並べ、順番にホッチキスでつなげ、清書してセロハンテープで何枚もつなげた。これが、さとるがずっとやってみたいと思っていた事の試行錯誤で、人が寝静まる夜間にはかどったので、彼は昼夜逆転の生活になった。
深夜は感動しやすい時間だった。さとるは普段、何気なく使っているセロハンテープ、ホッチキスにも感動してしまった。こんな便利なものを創った人たちはなんて素晴らしいのだと思った。

夜、さとるがカーテンを閉め切ると、部屋は地上にある宇宙船のようになった。たわいもない労働かもしれなかったが、毎日の単独夜間飛行で清書されたメモは少しずつ増えていった。昨日、頑張ったから、今日はできないと、怠けていると彼の心は苦しくなった。どうやら、なにかしらの見えない存在が彼に鞭を打ち、苦しくしているようだった。

未清書のメモを三十分でも清書すると、彼の苦しい気分は消えた。波に乗ってメモの束をパソコンのワードに打ち込み、文字を付け加えたり、消したりしていると、特急の電車に飛び乗れた感覚になった。そんな労働が終わると、朝方、部屋の掃除や食事の作り置き作業など、それまでやる気の起こらなかったことが一気にできた。彼はこんな生活をしばらく続け、経験した仕事やどうもうまくいかない人生を自分の中で消化するために作文していたが、全然、面白くなかったので、そのうち、古本屋で手に入れた本のとても短い作文を書いた。

「・・・信じられないことだが、地球は丸くない。フラット、平らなんだ。国連のシンボルマークは平らで円形の地球世界を描いている。地球世界はひとつのクレーターの内側にあるようだ。この地球クレーターとも言える領域で世界の人々は生活している。平らで円形の地球世界をぐるっと囲っているのが、南極の氷の壁だ。南極は大陸ではないんだ。南極の外側には誰も知らない島や陸がたくさんあるようだ。また、人類は月にも行ってない。地球世界という生態系から決して外には出られないのだ。ぼくらは実際に南極やその向こうを見には行けないので、疑問に思うことは、NASAが用意した地球の姿の映像や地理、物理、世界史など学校教育を通じて教えられてきた。真実は一部の政府機関の人、軍隊、飛行機操縦士たちなどしか知らないわけだが、もし、それを暴露したら、暗殺者がやってくるんだ。だから、世界中が知らない。今、ぼくらは歴史など、多くを学び直して、日本や世界を戦争のない、真実が皆に行き渡り、誰もが衣食住に困らず、税金や借金地獄が存在しない、より幸せに生きられる環境にしていかなければならないんだ。人は幸せになるために生まれてくるのだから・・・」

彼は満足だった。一般に受け入れられることのない文とはわかっていたが、生きがいというもののきっかけをつかめたような気持ちになったからだった。ひとつの区切りができると、さとるは誰かと話したくて仕方がなくなっていた。彼は中原区新丸子の宇宙船から、どこかに人間種の女性、男性の姿を見に行こうと思い、東京の六本木に行った。一年間、六本木のレストランでアルバイトをしたことがあったので、街自体には慣れていたが、成就することのない愛をいつも夢みて生きてきた男が、週末の夜、ひとりでバーに行ったところで、誰かと知り合えることはなかった。そして、少しはお金もないと、元気もでなかった。

昼間、さとるが原付バイクに乗り、郵便局の前で信号待ちしていた時、郵便配達のアルバイト募集の張り紙が目についた。アパートからは多少距離のある郵便局だったが、屋外の肉体労働で、言葉を送り、受け取る手紙を扱う仕事に惹かれ、彼は連絡先をメモに書きとめ、面接を受けた。人手不足もあり、彼は雇ってもらえ、今度は毎日、お金を稼げることに興奮しつつ、郵便局に通勤し始めた。非正規雇用を渡り歩いている限り、何を夢みても、それは幻想で、勝ち目のない戦いを続けるようなものかもしれなかったが、さとるには身体を目一杯、使ってする仕事が一番尊いもののように思えた。彼は朝から夕方まで郵便を配り、部屋に戻り、痺れた身体ベッドで休めていると、肉体による労働後の安らぎを感じた。

さとるはその週末、夜の六本木に出かけた。とあるワン・ショットバー。彼の隣の隣の椅子には可愛らしい女の人が座っていて、彼がちらっと彼女の横顔を見てみると、毎月、抗不安剤をもらいに行く薬局の女の人にとても似ていた。薬剤師の女の人は窓口が混んでいると、いつも座っている椅子まで来てくれて、ひざまずき、薬の説明をしてくれ、さとるはすごくいい人と気に入っていたが、彼女の上司が窓口から見張っていて、毎回、彼女に話しかけることはできなかった。そんな彼女が隣の隣の椅子で白衣ではなく、白のタートルネックセーターに黒のズボン、足元は黒のパンプスを履いているようで、なんとも魅力的だった。

結局、さとるは彼女に話しかけられなかった。郵便局のアルバイト、「郵メイト」の少なめの給料、月末の給料日まで二週間もあるのに、八千円ぽっきりの財布の中、いつの日か、彼女の親に会いに行く時、ある程度、男の経済力に納得できなかったら、何のために苦労して娘を育ててきたのだ? と彼女の親は思うだろうということが、さとるの脳内をあっという間に埋め尽くした。それから、十年後、二十年後の悲観的なシミュレーションで、彼の脳内はぐちゃぐちゃになり、さとるは十分、二十分と座ったまま、お地蔵様のごとく固まった。彼女は溜息をついた後、帰宅するのか、カバンを持ち、グレーのコートを着て、女友達とバーから出て行った。
「今、飲んでるのは何ですか? もう一杯、どうですか?」と明るく訊いてみるべきだったと後悔するさとるだったが、相手の親の顔が想像できると、楽観的になれないのだった。

翌週、出会いは突然やってきた。十一月の土曜の夜、日付変わって、日曜、午前二時を過ぎていた。さとるは外国人の集まる、安く飲めるクラブに行こうと心を決め、六本木の繁華街を歩いていた。道は車やタクシーで混雑し、歩道は日本人、外国人の老若男女であふれていた。歩道から細い路地に入ると、彼はズボンのポケットにあったメモを見てみた。そこには夜の街で何回も失敗した末に決心したことが書いてあった。
1、八杯以上は飲まないこと。
2、酔っぱらったら、ラーメン屋。
3、悩んでる時は、飲みに行かない。
悩みはなくならないし、いまさら遅い。さとるはぶつぶつ言いながら、電飾スタンド看板の間を通り抜け、メタリック・グレーのビルの入口から地下に階段を下りて行き、カウンターにたどり着いた。日本人や外国人がお酒を求めて雑然と列を作っていた。彼はその列に並び、ラム・コークを手に入れ、カウンターの椅子に腰かけた。

「スパスィーバ」
彼女はカウンターの外国人バーテンダーからカクテルを受け取ると、にこっと笑って、そう言った。
スパスィーバ? ありがとうってことか?
さとるにはその言葉がなんとも美しく聞こえた。カクテルを両手に彼女が歩き始めると、さとるはカウンターの椅子から飛び降り、人混みをかきわけ彼女を追いかけた。連れの外国人女性のもとにたどり着いた彼女の隣で、さとるは呼吸を整え、自分に言い聞かせた。
お地蔵様のように固まるんじゃないぞ。勇気をだせよ。終戦記念日にテレビでやってた神風特攻隊を思えば、彼女に拒絶され、傷ついたとしても死ぬことはない。相手は人間、戦車でも空母でもないのだ、と。しかし、死にはしないが、何を話す? 思いついたことから話せばいいんだよ。そのうち熱がこもってくる。そう雑誌に書いてあった。まず名前を訊く。それから、どこの国から来たのか? と訊くんだよ。

さとるはダンス・ミュージックが大音量で鳴り響く中、彼女の肩を人差し指でトントンと叩き、彼女の注意を引き寄せて、
「ハロー。アイ・アム・サトル。ファット・ユア・ネイム?」
と名前を訊いてみた。茶色の瞳の彼女はさとるの顔を見て、
「ジュリアともうします」
と日本語で答えた。黒いスウェット・シャツにブルー・ジーンズ、白いスニーカーを履いた彼女は外国人にしては小柄で、褐色の髪は七三に分けられ、肩に触れることなく短くしてあった。
眼鏡をかけたさとるもジーンズに灰色のスニーカー姿だったが、清潔に見えるように、黒セーターの上に紺のジャケットでおしゃれしてきていた。そんなさとるはまた彼女に訊いた。
「ホエア・ユー・フロム?」
「わたしぃ、ロシアのかた。カーチャ、リトアニアのかた」
そう言うと、彼女は長い黒髪で、少しばかりグラマラスな雰囲気の女の人をさとるに紹介した。
「あなたは?」
「日本のかた」
さとるは好奇心のおもむくまま、また質問した。
「ファット・ユー・ドゥー・イン・トーキョー?」
「わたし、ホステス。にほんごでいいです」 
彼女はまた日本語で答えた。日本語でいいのか。ふー。

さとるは照明が暗かったので、落ち着いた気分にはなっていたが、彼女と話し続けるには、もっとカクテルが必要だった。彼女もマルガリータが飲みたいと言うので、さとるはまた、人混みをかき分け、カウンターまでカクテルを買いに行った。そして、ラム・コークとマルガリータを手に入れたが、彼女の元へ帰る途中に、通り道を塞いでいた大柄な外国人男にぶつかってしまい、さとるの手は濡れ、彼女のマルガリータがグラスの半分になってしまった。
「どーして、すこし?」
「ごめん。こぼしちゃった」
彼女はいかにも残念そうだったが、マルガリータの残りをぐいっと飲み干すと、黒のスウェット・シャツを脱ぎ、首回りから胸のあたりまでハサミで切り取られた、胸元が少し見えるような、紫とピンクのボーダー・シャツ姿になった。
「レズゴ(レッツゴー)」
彼女はさとるに一緒に踊ろうと促した。
「ONE・MORE・TIME! ONE・MORE・TIME!」
お酒の入ったふたりはダンスフロアーを飛び跳ねた。彼女の身体が勢い余って、さとるの身体に当たった。周りの男女が曲のサビを歌っていたので、彼女もさとるも小さく声をだした。
「ONE・MORE・TIME・・・ONE・MORE・TIME・・・」

それから、照明が落ち、美しいスロー・ダンスの曲、「レディ・イン・レッド」のイントロが聞えてきた。彼女が両手を差し出したので、さとるはその手を握った。あぁ。人肌との接触。いつ以来だろう? さとるは人が元気になるには、こういうことがどうしても必要なことに思えた。
さとるは美しい曲が終わると勝負をかけて、これからの話をするために、彼女を壁際に誘導した。大音量の音楽の中、さとるは彼女に語りかけた。今の自分は郵便配達のアルバイトだが、夢はあるんだということを。彼女といつのまにか彼女の隣にいたリトアニアの友達も、さとるの言葉を真剣に聞いていた。
ジュリアは薄化粧で、笑顔が可愛らしく、ぽっちゃりとした体形と相まって、洋画のDVDで見たコメディ女優に似てないこともないような、どこかユーモラスな雰囲気もあって、さとるは彼女に一目惚れしていた。さとるは彼女と出会ったばかりだったが、自分の人生、この人がいいと思うのだった。いつのまにか、さとるの口から言葉が飛び出していた。
「・・・おれ、いつか、あなたといっしょになりたい」
「・・・・・」
彼女はびっくりしたように目を大きくした。それから、
「あなたの電話番号が欲しい」
とさとるが言うと、汗で髪が濡れ、顔を紅潮させていた彼女は、さとるの顔をしばらくじっと見つめた後に、右手でものを書くジェスチャーをした。さとるがズボンのポケットに常備していたメモとポールペンを彼女に渡すと、しばらくして携帯番号が書かれたメモがさとるに手渡された。さとるがカタカナで書かれたジュリアという文字と十一桁の数字を胸一杯になって見つめていると、彼女は、
「あのね、わたし、かえる」
と帰り支度をし始めた。さとるは急かされるように紙ナプキンを折りたたみ、財布にしまい込んだ。それから、彼女は手を振りながら、
「パカパカ!」
とあっという間に、女友達とクラブから出ていった。バカバカではなく、パカパカに聞こえたが、意味はわからなかった。さとるもカクテルを飲み干し、帰ることにした。彼は始発の地下鉄の時間まで、近くのハンバーガーショップで時間を潰し、朝の五時になり、駅に向かい、地下鉄に乗った。ジュリアともうします、と言う彼女の真面目な日本語はさとるには新鮮で、ロシアを悪の帝国だとか仮想敵国のように言う人がいようが、そんなことはどうでもよかった。彼はすっかり明るくなった朝方、多摩川のそばのアパートに戻った。


陽も沈んだ夕方、さとるはジュリアに言った言葉とともに目覚め、少し後悔した。
「おれ、いつか、あなたといっしょになりたい」というのは責任が伴う、大きなこと。
一目で彼女を気に入ったのはいいが、言葉は取り消せない。それを言うのを我慢して電話番号をもらわないといけなかった。あぁ。
彼は無性にお酒が飲みたくなり、冷蔵庫のカルピス・サワーを一気に飲んだ。夜になり、彼はジュリアに電話した。彼女はすぐに電話に出た。
「もしもし。さとるです・・・」 
「今、しごと中」
ジュリアは日曜日も彼女のお店に出勤していた。
「わかった・・・また電話する」
さとるがそう言うと、
「わかりました」
と丁寧な日本語が返ってきた。

翌日、月曜日の夜、さとるの携帯電話が鳴った。
「もしぃもしぃ?」
ジュリアは日本人のように、「も」に力を入れるのではなく、「し」に力を入れて発音した。その調子外れな日本語がさとるには新鮮だった。
「すぐ、でんわ」
彼女はそう言って電話を切った。さとるが電話をかけ直すと、
「アロー(もしもし)!」
と彼女の声が聞こえた。
「いま、どこ?」
「アパート」
「ひとり?」
「そう」
「今日、お店、欲しい?」
「お店?」
「あまり欲しくない」
「今日、お店安い。九時まで四千円。あと五千円。指名、二千円。女の子のドリンク、千円」
そんなジュリアのヒソヒソ声が、さとるに狭い空間で響くように聞こえてきた。
「今、どこから電話してるの?」
「トイレ! スタッフ、見る。わたしぃ、あぶない。あなた、今、くる。一時間だけ」 
ジュリアは隣にいたお客さんが男子トイレに行った隙に、女子トイレに行き、さとるに電話していた。
「わたし、まだあなたのこと、しらない」
「・・・・・」
「男の人、すとか、かもしれない」
「すとか? ストーカーのこと?」
電話のジュリアが切羽詰まった様子だったので、さとるは彼女のお店に行ってみることにした。
「わかった。今週、なんとか行く」
「オッキー(OK)。おまちあります」
彼女はさとるを変な日本語で誘った。