5 | (タイトルはいろいろありまして言えないのです)

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「元気? 今、入院してます。やせすぎが原因で、今、35キロです。アルバム早くできるといいね」
さとるが赤いスーパー・カブを道端に停め、落としてしまった葉書を拾い上げると、女性らしき字が目に入った。郵便局員は葉書でも、本当は読んではいけなかったが、すでに読んでしまっていた。
スーパーマーケットの駐車場で、軽トラックを誘導する年配の警備員。また、ビール瓶を台車に乗せて運ぶ中高年男性。今日も皆、働き始めていた。
住宅地の豊かそうな一軒家に、定形外の郵便物がひとつあった。
ポストに入る郵便は定形というが、郵便受けに入らない郵便は定形外といい、その大きな郵便を直接手渡しするため、さとるはインターホンを鳴らした。
「はーい」
中から女性の声がした。
「郵便でーす」
大きめの郵便と葉書を一枚、夫人に渡したあと、彼は考えてしまった。
このような豊かそうな一軒家に限って、長期間ローンのプレッシャーだったのか、主人が入院中とか、主人も夫人も共々、通院中とか入院中とか、そんな家が多いと感じていたからだった。
「二人の息子夫婦が助けてくれて・・・・」
いつも読んでいるわけではなかったが、葉書は名前の確認の時、目に入ってしまうのだった。
午後、また、美しい言葉がきれいな字で書かれた葉書を見つけた。
「・・・ご無沙汰しております。その後、お母様の具合はいかがでしょうか。登紀子様もお身体を大切にご自愛下さいませ」
さとるはいけないと思いつつ、またバイクを道端に停め、一気に読んだ。ご無沙汰。いかがでしょうか。ご自愛。上品な日本語だった。許されるなら、葉書をコンビニでコピーしたいと思うほどだったが、ルール違反の罰なのか、いつのまにか灰色になっていた雨雲から大きな雨粒が激しく落ちてきた。さらに、強烈な便意までもがさとるを襲った。商売道具の雨ガッパは忘れてきてしまっていた。住宅地に公衆便所があるはずもなく、バイクであちこち走り回った末に、建築現場を見つけ、作業中の男の人にお願いして簡易トイレを使わせてもらった。
彼は狭いトイレで用を足しながら昨日、ジュリアから聞いた話を思い出した。
「お店の友達。サハリンの女の子。妹、目の病気。十五歳までオペレーション(手術)必要。・・・三百万円、つくらないといけない。マリーナ、八時から二時、お店。寝るは四時間。朝、九時、日本語の学校、勉強する。昼、ロシア語の先生。子供とビジネスマン、教える。すごい頑張る。あなたも、がんばる」
出稼ぎの外国人たちも大変なのだった。さとるは妹を助けるために頑張るサハリンの女の子に負けてはいられなかった。配達マシーンになって、頑張るしかなかった。さとるは郵便局に戻り、新たな配達物をバイクに積み込み、雨ガッパを着込み、配達し、暗くなった町並みの中、雨の一日が終わった。


夜、八時。ジュリアの仕事が始まった。彼女は最近、常連客と揉めたばかりだった。その客は上下、白一色のスーツ姿で、演歌のカラオケを歌いながら、店内をねり歩き、ほとんどすべてのホステスを指名して、店に結構なお金を落としていく六十代の大柄な男だった。その晩はジュリアが指名された。ジュリアは常連客が話す日本語を真面目にとりすぎるのか、人をからかったような笑い話をうまく笑えず、ふたりの話は弾まなかった。そのうち、常連客は高いお酒をどんどん飲み始め、彼女の腰からお尻に手を滑り込ませた。ジュリアは多少のボディ・タッチは我慢して、なるべく明るく振舞っていたが、お客さんにお尻を触られるのは嫌だった。男は年齢的に性が弱くなり、虚無感いっぱいの毎日で、飲めば飲むほど性欲を失う処方薬も飲んでいた。高いボトルを入れてお金を使うから、若い女性の丸みを帯びた身体を少しお触りさせてもらい、自分がまだ男であることを確認したかった。それだけだった。ジュリアにはそんな事情は迷惑で、男の手を払いのけ続けた。男は意地になって、ジュリアにしがみついた。我慢が限界のジュリアは男の手を叩いた。太腿も叩いた。最後に頭も叩いた。ジュリアは男に言った。
「やめてください! わたし、モノじゃない!」
と。店内のホステス達もボーイも黙り込んだ。店長と外国人社長がやってきて、常連客に、
「すいません。申し訳ない」とあたふた謝罪し、会計だけはきっちりクレジット・カードで頂いた。常連客は帰り際に、たぶん、もう来ないと怒って帰っていった。
それから、二十代後半の順平というボーイが給料の未払いなのか、店に来なくなったのもあり、ジュリアはしばらくの間、ホステス兼ボーイに格下げになった。外国人社長はプライベートのトラブルで、店に来れなくなり、店長も病気で入院した。
ジュリアはカウンター内で、回収されてきた灰皿を洗い、おしぼりで拭き、口紅のついたシャンパン・グラスやワイン・グラスを洗い、おつまみのチャームも簡単に作り、お客さんのテーブルまで運んだ。

シャレードにやってくる男たちは、若者も中年も年配者も数人で来たり、ひとりで来たり、他府県から来たりとまちまちだったが、誰もが孤独を抱えていた。お金をたくさん使ってくれそうな男や男たちには数人の女たちが取り囲むように席に座り、お酒を飲んでもらい、彼女たちは男の肩に手を親しげに置き、肩を抱き、ひと時の癒しと王様気分を提供した。いい気分になった男は、「今月、わたしの誕生日だからシャンパン入れて」と初対面の女から甘えられると、連絡先の交換とそれ以上の見返りがあるに違いないと思い、三万五千円のシャンパンを注文してしまう。五千円のキックバックが給料に加算されたホステスは、シャンパンを一緒に楽しげに飲むだけで、特別な見返りの義務はなく、男はそこで大きく失望するのだった。
ビールの注文が入ると、ジュリアはカウンターの奥の冷蔵庫から中瓶のビールを取り出し、グラスとともにフロアーのテーブルまで持っていく。カウンターに戻る途中にホステスからシャンパンの注文が入ったと伝えられると、彼女はカウンターの下に設置してある冷蔵庫から750mlのシャンパンを取り出し、ホステスに渡して準備してもらう。小さなボトルの350mlのシャンパンのオーダーも来る。
それから、ジュリアはカラオケで曲や歌手を検索して歌いたい曲を探す、タッチパネル式のリモコンであるデンモク(電子目次本)とマイクをお客さんのいるテーブルまで持っていく。ホステスたちはお客さんの話に笑い、楽しそうに振舞っていたが、これも仕事なのだった。

二時間が過ぎ、酔いがまわった二番テーブルのワイシャツ姿の男は理性が飛び、すけべ丸出しで、女たちにおさわりして、なんとか支払うお金の元を取ろうとしていた。六番テーブルでは、四十歳くらいの男が、「終電が・・・終電が・・・」と帰りの電車を気にしつつ、会社での自分の頑張りと不遇さを大きな声でルーマニア人ホステスに聞かせていた。男たちは様々な事情を抱え、会社で自分を殺して仕事をしていた。女が男の話に頷き、優しげに微笑みながら聞いていると、男はさらに大きな声で言った。 
「おまえ、男いるか? おれと付き合うか?」
ルーマニア人ホステスは、ありえないとも言えず、少しばかり困惑した顔をつくって対応するのだった。ジュリアはカウンターからその光景を見ながら、ホステス仲間にも日本の男たちにも同情した。
 
 三番テーブルの年配のお客さんがトイレに行くと、その隙に、ホステスのひとりはシャンパンを氷の入ったアイスペールの中に捨て、違うホステスはグラスをキッチンに戻した。ホステスは毎日、お酒を飲んでいたら病気になってしまうので、お客さんがトイレにいかないかなと思うホステスもいた。
予算の少ないお客さんがホステスのためにグラス・シャンパンを頼んだとする。新しいシャンパン・ボトルをお客さんの前で開けなくていいので、シャンパン・グラスにソーダを注ぎ、ウーロン茶で色をつけ、シャンパンということにして、お客の伝票には二千円が追加される。ジュリアが以前いた大阪のお店でもジンジャーエールにわずかな赤ワインで色を付け、ホステス用の飲み物をつくっていた。夜の街なら、どこでもやっていることだった。シャレードでも体調不良のホステスは極力、アルコールを薄くしたり、ウーロン茶を飲んだりしていたが、ホステスが酔わないと、面白くないとお客さんが怒るのだった。
ジュリアは戻ってきたほとんどのグラスを洗い終わると、カウンターから、仲間のホステスがお客さんを抱きしめているのを見ていた。これは寂しい男たちを抱きしめてあげて、幻想を売るビジネスなのだった。お店のサービスでお客さんにテキーラをふるまうこともしばしばだった。テキーラで早く酔いがまわってくれれば、高価なシャンパンなどを注文してくれ、店の売上げが増え、ホステスたちにもおこぼれがまわってくるからだった。日付が変わった遅い時間に、二十代に見える四人の男たちがお店に入ってきた。「いらっしゃいませー」とホステスたちはお客さんを歓迎した後、四人の男たちは四人のホステスに隣に座ってもらい、まず、サービスのテキーラを飲んだ。そのうち、カラオケを歌い始め、ホステスたちは笑顔で手拍子したが、彼らにシャンパン・ボトルを入れる予算はないようだった。時間が来て、お客さんがすべて帰ると、その日の仕事は終わりだった。ジュリアはカーチャと深夜のファミリーレストランでご飯を食べた後、始発の電車を乗り継いでアパートに帰った。

陽がすっかり落ち、さとるがどこかで野菜や花の種を買って部屋に戻っていた。彼は隣の塀までの土がむき出しになった場所やプランターにいろいろな種を植えようと思っていた。種はいつか芽がでて、花が咲くかもしれないと種と自分を重ね合わせたい男が問題なく買えるものだった。
彼がテーブルの上にトマト、枝豆、とうもろこし、にんじん、バジル、ミント、ひまわりの種などを置いておくと、大きな袋の中がそれぞれ半分になっていて、残りの種を手に出勤前、ジュリアはこそこそと小包を作っていた。さとるは訊いた。
「どうするの?」
「ロシア、送る。大丈夫?」
「種でいいなら、全部送ればいい」
さとるは彼女が百ドル紙幣を小さく折り畳み、アルミホイールに包んでいたのが気になった。
「お金、どーすんの?」
「ひみつー」
小包ができると、彼女はそれを近くの郵便局から、ロシアに送るように言った。
「・・・・・・」
 さとるは非常勤のアルバイトでも郵便局員は国家公務員と思ってはいたが、いつも怪しげなことばかりに加担する人生だった。
「ダイジョウブだから」
「何が入ってる?」
「・・・・・」 
小包の中身は、ロシアのお母さんへの数百ドルとさとるの花と野菜の種、そして、お母さんへの手紙だった。
「日本、郵便、すごい、いい。ロシアはお金、送る、とどかない」
「どうして?」
「ロシア、郵便の会社、日本から何かくる、中、お金ある思うだから、あける」
「本当?」
「今まで十、こづつーみ、送った。お母さん、三だけ、こづつーみ、もらた」
「むこうの銀行に送るんだよ」
「銀行、もっと、わるい!」
だから彼女はアルミホイールに、お金を包んで、花の種の入った袋の中に忍ばせたわけだった。
「お母さんに今までどのくらい送ったの?」
「できるだけ」
彼女は言いにくそうに言った。
「でも、なんで、花の種なの?」
「今、ロシア、希望、少ない。でも、これ、未来、花」
ジュリアは人の心を揺さぶる、いい言葉を持っていた。彼女の魂の小包は翌日、郵便局員である、さとるが泥棒しない郵便局に運んだ。一人っ子の彼女は一か月に二回、ドル札を複数の小包に分散させて、ロシアのお母さんの元へ送っていた。


翌週、ふたりは隣町のロシア・レストランにいた。さとるはジュリアがお店でセクハラされた話を聞いていたので、少しは彼女の慰みになるかと思ったのだった。ジュリアはロシア語で、ロシア人ウェイトレスにメニューを見ながら、あれこれ注文し、赤ワインも飲みたいようだった。
「これ、グルジアワイン。はい、ザナス(乾杯)」
料理も次々にでてきた。ピラフ、ポテトサラダ、ニシンのサラダ、ナス、ハムとサーモン、ジェリー状のお肉。もう、そんなに注文したのかとさとるは内心思いながら、ジュリアがポテトサラダを小皿に分けてくれるのを見ていた。
「まぜる? 下のほう、葉っぱ、ばっかだよ」
葉っぱ? レタスのことか?
ジュリアは赤ワインをおかわりすると、沈んだ声で言った。
「日本だけ、ミズワリ、いう。なんで?」
「?」
「お店の女の子、いうです。コリア、チャイナ、水割りない。日本だけ」
「ロシア、ウイスキー、水割りしないの?」
「ない」
「不思議だね」
「・・・・・」
彼女は憂鬱そうな顔で、赤ワインを飲んでいた。
「わたしのお母さん、問題ある。むつかしい話」
「なに?」
「・・・・・」
ジュリアが赤ワインを飲み干した時、さとるもお酒を飲みたくなり、お金もないくせに、焼酎のボトルを頼んだ。そして、ふたりで焼酎を飲んだ。
「・・・お父さんって、何の病気だったの?」
「病気ない。なんで死んだか、お母さんもわからない。見たらダメなこと、見たからかもしれない・・・」
「なに、見た?」
「世界のタブーかも」
「ジュリアのお父さん、何の仕事してたの?」
「ミリタリー(ロシア軍)」
「タブーって、なに?」
「お父さん、わたしにちょっと教えた。日記、ちょっと書いた」
「なにを? なにを?」
「昔、コールドウォー。アメリカ、エナミー(敵)。(ソ)連邦とアメリカ、動物ウィルス、リサーチしてた。バイオ・ウェポン(生物武器)なるから。ウクライナ、(ソ)連邦だったから、バイオ・ラボ(生物研究所)あちこち、あちこち。お父さん、ウクライナ、仕事、行った。ウクライナ、(ソ)連邦、さよならした時、アメリカ、来た。バイオ・ラボ、泥棒した。それからお父さん、死んだ」
「・・・・・・」
「アメリカ、ウクライナのロシア人、たくさん殺してロシア怒らせたい。戦争したい。バイオ・ラボやもっと悪いことのセンターも守って、ロシアのオイル、ガス、泥棒したい。だから、アメリカからウクライナ、たくさんお金くる」
ジュリアが興奮して、そう語ると、さとるはすごい話だなと思いながら、思ったことを言った。
「・・・ジュリアのお父さん、アサシン(暗殺人)にやられたと思う」
「・・・怖い」
「世界は陰謀ばっか」
「インボウ、なに?」
「シークレット・バッド・プラン。・・・教科書、地球の形、お金、薬、食べ物、911、全部、陰謀」
「・・・・・・」
「地球ってさ、丸くて、くるくる回ってるって教えられるよね。違うんだよ。丸い腕時計の上みたいに、まっすぐらしい。本で読んだ」
「・・・・・・」
さとるはジュリアに南極のことも話したかったので、携帯電話のインターネット検索で、「南極 ロシア語」と入れた。「Ю́жный по́люс」と検索結果が出てきたので、彼は、
「これこれ」
とジュリアに携帯電話の画面のロシア語を見せた。
「南極、大きい島じゃない。氷の壁。ぼくらは腕時計の中に住んでて、周りはずっと南極つー氷の壁。その向こうに、知らない島、大陸、たくさんあるらしい」
「・・・・・・」
「人間、月、行ってない。人間、地球の外に出られない。嘘ばっか」
「嘘、秘密、多い、わかる。タルタリアも。ロシア人、知ってる」
「タルタリアって、なに?」
「昔の大きい国。自然のテクノロジー。お金いらない」
「知らない」
いつのまにか、焼酎のボトルは空になっていた。ジュリアの残した料理もすべて食べ、会計を済ませ帰ろうかと思ったら、テキーラのショットが塩とレモンとともに、飲めと言わんばかりにテーブルの上に置いてあった。
ふたりともへべれけになったところでお開きとなり、アパートへの夜道を歩くことにした。ジュリアは言った。
「あなたも陰謀かも」
「???」
「わたしにインボウしてる?」
「・・・愛の陰謀」
 彼女はくすっと笑った。
「きょわ、ありがと」
「いいよ。ボルシチ、おいしかった」
「わたし、つくる、ボル(シ)チ、もっと、おいしい」
「今度、作ってね」
 ジュリアは嬉しそうにうなずいた。
「わたし、あとで、うこ、ほしい」
「トイレ行きたい?」
「ちがう。うこ!」
「ウコンか?」
「そー」
そのうち、ジュリアはコンビニを見つけた。
「わたし、東京、来たとき、ごはん、デイリー(ヤマザキ)、デイリー、デイリー。十キロ太った」
彼女はぶつぶつ言いながらコンビニに入って行った。さとるはついて行った。ジュリアは慣れた手つきで、さとるが持つかごの中に日本のおじさん好みのつまみなどを放り込んでいった。三千円ちょっとですんだか・・・。さとるはレジでため息をついた。やっぱり、ビールだけでは済まなかった。こっちはソイジョイ二つと惣菜パンを選んだだけだ。
コンビニの外に出ると、ジュリアがふざけて肩をぶつけてきた。さとるがため息をついて歩いていると、ジュリアは、
「もしもーし、サトルチカ、わたし、バンパイヤ(吸血鬼)、思てるですか?」
と言った。
「しかたないよ。サトルチカってどういう意味?」
「さとるちゃん」
「愛してるみたいな意味?」
「ちがう。こどもにつかう」 

ふたりはアパートにたどり着き、冷え切った部屋に入ると、ジュリアはガス・ファンヒーターのボタンを慣れた手つきで押した。さとるがこたつに入ると、彼女はキッチン前で、人差し指と中指でちょきちょきと、はさみのジェスチャーをして、
「カット、カットする」
と言った。さとるは彼女のアパートに入れてもらったように感じながら答えた。
「はさみね」
「あー、はさみぃ」
 彼女の聞いたことがある日本語のようだった。それから、
「おさら」
と言った。ひとつ皿を渡すと、
「ふたつ」
と言い、サラミなどおつまみの袋をどんどん、はさみで切って皿に盛りつけた。
さとるがおつまみをジュリアに負けまいと食べ始めると、
「ハイ」
と彼女はテレビのリモコンをパカっと蓋が開いた状態でさとるに渡した。雰囲気を明るくしたかったのか、テレビをつけようとして、リモコンのいろいろなボタンを押して、元のチャンネル設定をダメにしたようで、テレビはつかなかった。

「かんぱーい!」
ふたりともまだ眠くはなかったので、こたつで少しだけ飲むことにした。それならと、さとるは台所に行き、ホーニー・ゴート・ウィード(ムラムラするヤギの草)という精力サプリメントを普段の倍の倍、飲み、音楽をかけた。
「これ、いい歌。なに?」
「つなみ」
 ジュリアは缶ビールを飲み終わると、畳の上に寝転がり、紺色のジーンズの股間から太腿にかけて、また、白いティシャツの胸元も小ぶりながら、むちっとさせて、眠そうな目でさとるを見ていた。無防備そのもので、初めて彼女がアパートに来た時以来のビッグチャンスだった。
でも、さとるは気持ち悪かった。外でたくさん飲んできたのに加え、ムラムラするヤギの草サプリを飲んだのがよくなかったのか、胃の中から何かがあふれてきていて、吐きそうだった。さとるはトイレに行き、便器の横にしゃがみ込み、右手の指、三本を口の中に突っ込み、何度も無理やり吐いた。
胃の中はすっきりしたが、涙がぼろぼろ、ぼろぼろとでてきた。鏡を見ると、両目が涙で真っ赤になっていた。彼は精力サプリのボトルを確認してみると、三年前に消費期限が切れていた。もったいないから、ものを簡単に捨てないのがよくなかった。
口の中が臭いに決まっているので、さとるは何度もうがいして歯を磨いた後、こたつのジュリアの隣に戻り、自分の右手の臭いを嗅いだ。臭かった。
「どして、泣いてる?」
「気持ち悪かったから吐いた」
ふたりの一日の最後の素晴しい雰囲気はいつのまにか消えていた。