10 | (タイトルはいろいろありまして言えないのです)

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わたし、かわいくない? 普通と思うけど・・・。オーバー・ステイだからダメだった? ジュリアはさとるがいない間に荷物をまとめ、部屋の鍵を郵便受けの中に入れると、彼に貰ったスーツケースを引きずりながら駅に向かった。目には涙が一杯溜まり、いつもの道がよく見えなかった。
さとるがアパートに帰ると、彼の妹が送ってくれた服、数着がベッドの上に折りたたまれて置いてあった。押入れには、忘れていったのか、ジュリアが電車の中や部屋で勉強していた日本語勉強ノートが置いてあった。いろんな日本語や英単語がロシア語と共に繰り返し、手書きで書いてあり、ノートの最後は「ざんこく」という日本語だった。南に面したサッシを開けると、ふたりで植えた小さなトマトはしぼんで土にまみれ、ただ雑草だけが生えていた。
さとるは岐阜県、下呂温泉での住み込みの仕事に応募した。求人情報にあった建設系の仕事で日給も良く、作文もできる孤独になれる土地かもしれなかった。彼が、「杉プランニング」に電話し、履歴書を送ると、名古屋の事務所へ面接に来るようにと連絡が来た。まだ運が残っていた。彼が面接に行くと仕事がもらえた。
さとるは郵便局に感謝とともに、アルバイトを辞める意志を伝え、配達の仕事はあと一ヵ月を切っていたが、ジュリアを裏切った罪悪感もあり、マンションで書留を郵便受けに入れてしまったりしていた。書留は直接、受取人に手渡さねばならなかった。彼は鍵のかかった郵便受けに手を突っ込み、書留を取り戻そうとしたが回収できず、先輩社員の米田に連絡した。しばらくすると、さとるが苦手で仕方なかった社員の松本が赤いスクーターで駆けつけてくれ、郵便受けの外から針金で中の書留を引っ掛け、回収してくれた。
「人生いろいろだよ。温泉の仕事、頑張ってな」
 松本はそう言って赤いスクーターで局に戻っていった。さとるが自転車で局に着くと騒ぎになっていた。班長にきつく注意され、十歳年下の後輩アルバイトにも軽蔑の目で見られた。それでも、一週間、二週間と時間は過ぎて行った。

郵便局、最後の日は小雨が降っていた。夕方、さとるが最後の郵便はがきを持ち、一軒家に歩いていくと、グァーグァーと三羽のアヒルたちが、開け放たれた玄関から路地まで出てきた。郵便配達が始まった最初の週、雨の日に、この家の入口を入ると、アヒルたちが出て来てびっくりだった。アヒルたちは雨を楽しんでいて、さとるがすぐそばに近づいても、逃げていかなかった。この日も、アヒルたちは羽についた雨を振り払い、植木鉢の雑草を食べていた。彼は足元を歩きまわるアヒルたちに、さよならを言った。
     
いつもと同じ、どこか外国にあるような風景だった。ジュリアは廃墟のような巨大なビルの中にいた。目も鼻も口もない顔の入国管理官の男たちに囲まれて、パスポートを見せるように言われて、ハンドバックから取り出したパスポートを能面のような入国管理官に渡すと彼女は泣けてきた。それから、逃げだした。トイレの窓から外へ出ると、黒い服の男たち数人が追いかけてきた。建築中の建物に逃げ込み、二階、三階と階段を駆け上がっても行き止まり。出口がなかった。隣の建物に飛びうつろうとしても、ものすごく高い場所だった。追い詰められたところで、彼女は目が覚めた。

東京入国管理局に行ってみよう。品川駅から徒歩で行ける。行かなきゃいけない。
ジュリアは品川駅で電車を降り、海に向かって歩いた。あたりの駐車場には船から降ろしたコンテナが並び、大型トラックはエンジンをかけたまま止まっていた。東京入国管理局のような施設は街中につくるわけにはいかないのかもしれなかった。街から離れ、海に近い、品川埠頭にあった。 
ジュリアは運河をふたつ越えた埠頭に、十二階建ての細長いビル二棟が直角に交差した建物を見つけた。空から俯瞰して見ることができるならば、十字架の形をしていると想像できる建物。これ。夢に出てくるのは。入口には「不法就労外国人対策キャンペーン月間」と横断幕があった。
ジュリアは施設の中に入った。入国管理局や警察に出頭することも頭の中にあった。日本で働いても、逃亡者のような生活で、ロシアには帰るに帰れず、街で警官の姿を見つけると、こそこそと逃げていた。自ら出頭すれば罪は軽くなり、長い年数をおくことなく、日本にも帰って来ることができることを仕事仲間から聞いていた。「出頭申告のご案内、不法滞在で悩んでいる外国人の方へ」という英語のチラシもハンドバッグの中にあった。日本語にすれば、「オーバー・ステイのあなた、一緒に考えましょう。もし、退去強制手続であなたの国に戻るなら、最低でも五年間は、再び、日本に来ることはできません。でも、出国命令制度で戻るなら、戻れない期間は一年間だけです。摘発とかで違反が発覚したら基本的に収容されます。でも、自分で出頭申告、つまり、自首するなら仮放免の許可で収容されずに、手続きを進めることが可能です。入国管理局に出頭してください」
こんな内容だった。

入国管理局は強制退去になるまでの期間、一時的に身柄を拘束される場所だった。収容された人は、刑事罰を受けたわけでもないので懲罰はなかった。しかし、日本で家族となった愛する人たちとの別れなどで、未来を悲観し、絶望の中にいる収容者たちもたくさんいて自殺する人もいた。世界における自国の政治的立場ゆえ、国に仕事がなく、家族を助けるために、一大決心して、日本にたどり着き、日本政府を信じて難民申請したら、収容されてしまった人もいた。そんな場所なのだった。
ジュリアは東京入国管理局、一階の壁にもたれ、外国人男女たちが行き来するのを見ていた。左手に二階に行くエスカレーター、右手にエレベーター。二階へのエスカレーターに乗れば係員と話せる。彼女は自分に問いかけた。何を話して、どうしたい? 何も決心していない。今、話すことは何もない。お金をつくらなければならない。まだ、東京にいなければならない。ジュリアは自分の現状を確認すると、施設の外に出て、小雨が降り始めた中、駅に向かって歩き始めた。

仕事が終わると、一時間ほど電車を乗り継ぎ、西永福町という駅に着いた。そして、アパートに向かった。さとるのアパートを出た後、カーチャのフィアンセ、佐々木の3LDKのマンションの一室にしばらく住まわせてもらったが、佐々木とカーチャの関係は今までになくぎくしゃくしていて、いつまでも居候できなかった。ジュリアは故郷に帰るロシア人から、古い木造アパートを引き継いで借りた。家賃は安かったが、職場からは不便な場所で、隣の部屋の声が聞こえる薄い繊維壁と汚れた天井の六畳一間で、トイレも風呂も共同だったが、立場上、アパートを選べなかった。

ジュリアは食事をすませると、部屋の窓に近づいた。そして、窓から見える森の形のいい木々をしばらく見ていた。気持ちが和らいだ。毎日、惰性で生きているだけだったが、仕事はある。明日もお金を稼ぐ場所があるわけで、それは感謝すべきことと思った。
心配事ももちろんあった。乳がんとか。大阪のクラブで一緒だった女性は牛乳など乳製品が乳がんや前立腺がんの原因と言っていた。ヨーロッパでベストセラーになった闘病体験記があるとのことで、東京に来てからは食生活を変えたが、以前のジュリアは乳製品が大好きで、毎日のようにお酒を飲む仕事でもあった。
ジュリアが一年で離婚したのも、ロシア人の夫の仕事がなくなり、アルコールに溺れたからだった。その頃、父から聞いたことがあった。アルコールというのはアラビア語の(al-kuHl:アルクフル) (لْــكُــحُــولُ)から来ていて、身体を食べてしまう霊という意味があるということを。もしアルコールが人の魂を食べてしまうのなら、精神的に追いつめられた時、人は正気を失い、暴言を吐いたり、喧嘩を始めたり、やけくその別れのメールを送ったりするのかもしれない。ロシア人の夫もそうだったし、ジュリアはしばしばそんなことを見てきた。
また、アルコールは身体の中に熱をもたせるものでもある。毎日のように飲めば身体の中が常に熱をもっている状態になる。でも、自覚症状はない。アルコールは臓器に炎症を起こす。そこから潰瘍に進み、最後には癌に移行しやすい。そんなことを父は言っていた。
日本でのホステスの仕事は、確かにロシアより効率よくお金を稼げる。でも、長くやる仕事ではない。本当はやらないほうがいいに決まっている。お酒はプライベートでたまに飲むくらいにしておくべきなのだ。そうでないと、いつか病気になる・・・。夜空の月を見ながら、ジュリアはそう思った。

さとるは最後の給料を持って岐阜県下呂市に向かった。東京駅から名古屋駅まで新幹線、そして、富山に向かって飛騨川沿いを走るJR高山線に乗り、二時間半ほどでJR下呂駅だった。住み込む七階建てのマンションは下呂駅から徒歩で三十分、タクシーで十分ほどの場所にあった。最初は人が住んでいない幽霊マンションかと思った。内階段のあちこちに蜘蛛の巣が張っていて何年も掃除されていないのは一目瞭然だった。
外階段はコンクリートから鉄筋がむき出しになっているところもあった。マンションはバブルの時期に建てられたものだったが、四方を山々に囲まれた観光地、下呂は雪も雨も多く、過酷な自然環境の中で年月が経ち、マンションのあちこちで補修が必要となっていた。
さとるの主な仕事はふたつだった。ひとつはマンションの広い屋上を再度、防水工事することだった。最上階の部屋に雨漏りが発生したらしかった。もう一つは四十二部屋へ供給されている常温の温泉水管が冬になるたびに氷点下の寒さで凍結するので使えなかったが、四十二部屋のボイラーまでの温泉水管を温める細い電気ヒーターを巻き、カバーをつけ、冬でも温泉の水を四十二部屋に運べるようにすることだった。これらはさとるには難しそうに思えたが、杉村社長の補佐をするのが仕事だったので、指示されたように作業すればよかった。
杉村社長と仕事をしていると勉強になった。温泉水というものは、電気やガスのように毎月の使用料を払えば、地元業者から温まってない液体の形で市内のあちこちに送られるとのことだった。それを各々の家のボイラー室で温め、浴槽で温泉に入る。自分の住まいに一番近いところまで来ている温泉の水道管から枝分かれする水道管を新設してもらう工事に数十万円はかかるが、都会の人間が味わえない贅沢なことを下呂の人たちが毎日のように味わっているとは知らなかった。一日働くと身体は疲れたが、マンションの空き部屋を家賃なしで提供され、日給が一万五千円というのは、彼にはとてもいい仕事だった。

マンションの裏手はなだらかな山で、朝、目覚めると鳥の鳴き声が部屋の中まで聞こえてきた。それは都市では味わえないものだった。空気も澄んでいた。近所の坂道を散歩すると、曲がりくねった道の両側に空に向かって大きな針葉樹が群生していた。雨上がりの早朝に、両手のひらをくっつけた大きさのカエルと遭遇したりした。
仕事の手を休め、マンションの屋上で空を眺めると、鷲が空高く飛んでいた。大自然はさとるには新鮮だった。温泉で有名なその町にはホテルや旅館はたくさんあったが、マンションは四棟と少なかった。コンビニは三軒、一般の人が入れる温泉の銭湯は二軒といったところだった。

さとるは仕事を覚え、失敗はあれど、こなしていった。平日は仕事が終わると杉村社長とさとるはファミリーレストランで食事をした。その後、三百円の温泉の銭湯に行き、ぬるぬるした温泉の湯ぶねにつかり、コンビニで翌朝のサンドイッチや弁当を買ってマンションに帰り、翌日に備えた。杉村社長はさとるの隣の部屋に帰ると、缶ビールを飲み、スポーツ新聞を読んですぐ寝る人だった。さとるは杉村社長を親方と呼ぶようになった。顔や髪型が相撲界の時津風親方に似ていたからだった。

仕事は順調に進み、日曜日になった。翌週の月曜が祝日だったので、親方は日曜の朝、家族のいる名古屋に車で帰っていった。さとるは肉体的な疲労もあって、作文は全く進まなかった。だからといって、ボーリング場やスナックに行っても仕方なかった。親方から貸してもらった軽トラックで、下呂の町の中心を流れる飛騨川に行き、暖かい太陽の下で、足を濡らし、本屋やスーパーマーケットで買い物を済ませると、部屋で身体を休めたかった。スーパーマーケットに行くと、地元の女の人たちが買い物をしていた。日本人同士、それが普通で、幸せな生き方に思えた。彼はずっと日本社会に陰謀を感じて、結局、外国人に救いを求めた。そもそも、それが間違っていたのか? 間違っていたのかもしれない。外国人の故郷は日本ではないわけだから、あらゆることが、より難しくなる。東京都から一駅離れた新丸子のスーパーマーケットで女の人を見るたびに、「女っていいなぁ」「誰か部屋にいてくれたらなぁ」「話し相手になってくれたらなぁ」と思っていたのが、どうなってしまったのだ?
部屋に戻り、古ぼけた青い椅子に座り、目を閉じると、それでも、初めて女の人と一緒に住み、自分以外にもう一人が鍵を持つ経験をして、朝方に、がちゃがちゃと彼女が鍵を開ける音で、目が覚め、「・・・帰ってきた」と安心した想いが蘇った。さとるはクラブで、「あなたといつか一緒になりたい」とジュリアに言った。言葉には言霊があるとのことで、一度言ったら、魂を持って走り始めるそうだ。彼の言葉の霊力はしっかり彼女に届いていた。だから、彼女はオーバー・ステイという誰にも言えない弱みをさとるにさらけ出した。それは彼の気持ちに火をつけはしたが、結局、何もできず、自分の問題を解決したいばかりに、彼女から逃げてきた。裏切ってしまった。彼女は、「金の切れ目が縁の切れ目」といったお金だけの人ではなく、どんな時も、さとるを見捨てなかった人だったかもしれなかった。ワーキング・プアーの男とオーバー・ステイの女は釣り合いのとれた組み合わせで、ソウル・メイトと言われるものだったかもしれなかった。彼女との生活は、干天の慈雨だったのだ。
うっ。さとるは心が痛んだ。東京から自分で送った段ボール箱が、リビングの古いブラウン管テレビと壊れたエアコンの間にあった。段ボール箱を開けてみると、ジュリアが置き忘れて行った日本語練習ノートやさとるの、「えんむすび」、「幸」、「金運」の御守りなどが出てきた。
ふー。時間がたてば、風向きも変わることもあるかもしれない。短期間でも男と女が一緒に暮らしたのだから。仲直りできる可能性はゼロではないはずだ。今の仕事で貯金を作り、東京にまた行けばいいんじゃないか?
そんなことがさとるの頭の中で渦巻いてくると、いてもたってもいられなくなり、彼は東京のジュリアに電話した。「電話に出ることができません。またおかけください」というメッセージが流れた。彼は下呂に来てから数回、電話していた。いつも彼女は電話にでなかった。メールは送信できたが、迷惑メールボックスに行っているようで、反応がなかった。
一方、ジュリアは貯金が新しいアパートの家賃でどんどん減っていき、お母さんへの仕送りもできなくなっていて、東京でなんのために働いているのかわからなくなっていた。ジュリアはさとると話したくなかった。

数時間後、日曜日の夕方、さとるはまたジュリアに電話した。
「電話に出ることができません。またおかけください」
また同じメッセージが聞こえた。さとるは真剣な表情のジュリア、さとるに向かってカメラを構えているジュリア、そして寝ているあいだに内緒で撮った彼女の寝顔、残っていた写真を表に向けたり裏返してみたりするくらいしか、力が出なかった。
もう一回だけと思って、さとるは電話した。ジュリアは応答した。
「アロー(もしもし)」
「さとるだけど。怒ってる?」
「・・・・・・・・」
「ごめ(ん)」
途中で電話は切れた。さとるはもう一度、電話した。電話が鳴り続け、ジュリアは応答した。
「おれ、いま、岐阜県の下呂っていうところにいるんだ。温泉もあるよ。ジュリアはタランチュラにいるのかな?」
「タランチラ、やめた」
「今、どこにいるの?」
「・・・・・」
「カーチャのところ?」
「ちがう」
「アイ・フォーンのところ?」
「・・・・・・・」
「うー・・・。こいびととか、できたりして」
「・・・・こいびと、いるかも」
「うわっ!」
さとるはその場に立っていることができず、電話を持ったまま、畳の上に崩れ落ちた。頭がくらくらした。血の気も引いた。
「あなた、残酷した」
電話は切れた。さとるはしばらく悲しみに沈んでいたが、このまま飛騨の山奥で沈みきるわけにはいかないので、また電話した。
「前、そんなふうじゃなかった。多摩川のとき、そんなこと言わなかった」
「あなた、さいしょ、わたしと、いっしょになる、言た。けど、わたし、すてた」
また、電話が切れたが、心の壊れたさとるは再び電話するしかなかった。
「おれ、ジュリアと結婚したい」
さとるはそう口走った。
「・・・・・・・」
「ジュリア、ずっと結婚しないの?」
「わ・か・ら・な・い」
「おれ、チャンスある?」
「だれでも、チャンスある」
 だれでも。言葉がもう、昔のジュリアとは違っていた。
さとるはジュリアの犬になり下がって、もう一度、彼女の心を確かめるように、ゆっくりと訊いた。 
「本当にこいびと、いる?」
「アプローチ、ある」
日本の首都にいるジュリアにそう、はっきり言われると、自然は豊かでも過疎地帯にいるさとるは心が死に、その死んだ心の上でドカドカと踊られたような気持ちになった。
「なに、かんがえてる?」
ジュリアは暗い声で言った。
「これからどうしようと思って」  
電話は切れ、しばらくしてまた電話すると部屋を移動したのか、電話の向こうからテレビの音に混じって、赤ちゃんか子供のような声が聞こえた。
どうなってるんだ? 一ヶ月やそこらで、もう赤ちゃんが生まれたのか?
カーチャのところじゃないから、新たなルームメートの子供か? いや、新しい恋人の子供か? ということは今、ジュリアの隣にアイ・フォーン男が一緒にいるのか? 
さとるは連続して電話した。ジュリアは電話に出なくなり、留守番電話に切り替わった。あとから電話の発信履歴を見ると、日曜日の二十一時から日付変わって、一時五分までに四十回かけていた。
それから、さとるは悲しみにくらくらになって寝て、朝、目が覚めると、午前九時から十四時までで三十二回、一分から五分おきにジュリアに電話した。
合計、五十二回。さとるはもうストーカーと言えた。さとるの心はスカーっと切れ、睡眠薬のメラトニンを十粒飲み、気絶するように睡眠の中に逃げ込んだ。