11 | (タイトルはいろいろありまして言えないのです)

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月曜日が祝日で助かっていたが、被害妄想気味のさとるはわずかな住人たちが使う通り道から、一階の自分の部屋の中が見えるような気がした。自分の生気のない姿を人に見られたくなく、カーテンを閉め、暗い気持ちに合った暗い部屋にした。昼でも眠りの中にいたくて、眠れるサプリをまた多めに飲んで寝たが、どこかの氷山の頂上から、底なしの氷の谷底に、猛烈な勢いで落ち、その落ちた谷底から、また氷山の頂上まで、猛烈な勢いで吹き飛ばされるのが、延々と繰り返される夢を見て、汗をかいて目を覚ました。眠れば悪夢というのがまだ、続いていた。
お先、真っ暗で、サザン・オールスターズの「つなみ」を繰り返し聞いていた。腹も減っていたが、部屋に食べられるものは何もなく、外に出るしかなかった。外に出てみると、少し、気持ちが楽になり、陽がすっかり暮れた中、さとるは岩山の陰から急に出てくる車に気をつけて、坂道の端を歩いて中心街に向かって歩いた。コンビニで弁当と総菜パンを二日分買い込むと、橋から暗い飛騨川のほとりに下り、総菜パンを二つ、大きめの石に座ってがつがつ食べ、ぼんやりと川の流れる音を聞いていた。明日、仕事をして、ジュリアへの電話は我慢して、執着を断ち切れば、少しは立ち直れるような気がした。
汗だくになってマンションに戻ると、駐車場に親方の車があった。名古屋から戻っていた。さとるは親方に、
「お疲れさまです。明日、よろしくお願いします」
と挨拶だけした。
「おお、大丈夫か?」
「大丈夫です。ご飯食べてきました。もう、寝ます」
そう言うと、彼は部屋に戻った。やることもなかったので、以前、胸の上に置いて寝た本をダンボール箱から出してきた。
「執着してはいけないものに、執着するから苦しむ。人は誰でも、自分の悩みに食らいついていたいものだが、自分のことは、少しばかり脇に置くのだ」と本には書いてあった。
さとるは布団をかぶり、胸の上で両手を組んで祈ってみた。
「もう執着しませんので、助けてください。ジュリアとの関係も修復したいです。どうか、お願いします」
祈りは本に書いてあったことと矛盾していたが、彼の望みだった。

身体を動かし、仕事に熱中していると、さとるは悩みを忘れることができた。仕事が終わると、親方とファミリーレストランで食事して、温泉の銭湯に行った。部屋に戻ると、ジュリアに電話したが、つながらず、ストーカーと化したさとるはインターネットで調べた東京の外国人クラブに手当たり次第に電話して、店に、「ジュリアというロシア人」が在籍しているか尋ねてみた。ルーマニア人のジュリアはいた。いろんな国のジュリアがいた。年齢や出身国が違い、電話ではわからなかった。
カーチャも行方不明だった。さとるはジュリアの居場所をカーチャに訊くため、佐々木に電話したが、カーチャがマンションから消えたとのことだった。佐々木も彼女にフラれたようで、さとるは彼に妙な共感を持った。どうやら佐々木の事業が相当悪化していたようで、彼は元気がなかった。カーチャの荷物の大半は部屋にあるが、彼女がどこにいるかわからないとのことで、ふたりは携帯電話でなんとか繋がっているらしかった。ふふふ。

さとるはお金を少しずつ稼ぎ始めていたし、親方が初夏の暑さに参って、金曜日から休みと言っていたので、金曜日、土曜日と東京に行ってみようと思った。ジュリアはタランチュラをやめたと電話で言っていたが、いるかもしれないのだ。世の中、嘘が多いものだ。大人になればわかること。彼は錦糸町のカプセル・ホテルと名古屋から東京までの、より安い運賃の高速バスを予約した。

金曜日。さとるは午前中に下呂駅から高山線上りに乗った。乗客がわずかに乗る二両編成の列車は飛騨川に沿って、トンネルをいくつもくぐり、走った。彼はごつごつした白い岩々の間を流れる深緑の飛騨川をずっと見ていた。太陽が当たると川はエメラルド・グリーン色になり、そこで鳥たちが水浴びをしていたりした。さとるだけでなく、他の男性も川を見ていた。見る価値があった。街にいればこんな深緑の川は見られないのだから。街に住んでいると、もともと世界はこんな大自然であって、その平野部に人々は商売する街を作ったことを忘れてしまう。その原点を目の当たりにするから、目が離せないのか、川の左側を走っていた列車が川をまたぎ、右側に行くと、さとるも他の乗客もカバンを持って反対側の席に移動した。
正午に名古屋駅に着くと、人がずっと多くなり、見慣れた光景になった。彼は高速バスに乗った。安い運賃のバスだった。のどが渇き、水分補給し、もよおしても、車内トイレがなかった。休憩時間となる次のサービス・エリアまでトイレを我慢しなければならなかった。さとるの顔は赤くなり、最後尾の座席からバスの横揺れに耐えながら、最前列の運転中のドライバーに訊きに行った。
「トイレ休憩、あと、何分ですか?」
「あと、四十分くらいかかります」
と何回も呆れたように言われ、さとるは膀胱が破裂しそうになりながら、耐え抜いたが、お金をケチることなく、車内トイレ付きのJR高速バスにすればよかったと後悔した。六時間と少しで東京駅に着いた。東京駅のトイレでしばし安らぐと、自分はこの大都会に長い間、いたのだと感慨深い気持ちになった。さとるは地下鉄のホームに降りていき、錦糸町行きのJRに乗った。東京の地下鉄網は複雑怪奇なので、路線図を見て移動した。錦糸町に着き、コンビニで食料と水を買い込み、予約してあったカプセル・ホテルにショルダーバッグを置いて、外に出たら、もう夜だった。

タランチュラの入口には、小笠原店長がいた。以前は悪評高かったが、憑き物が取れたように穏やかな雰囲気だった。彼は言った。ジュリアもカーチャも店を辞めて、もういないと。本当だった。ママが突き飛ばされ、救急車が来たと言っていたルーマニア人も、「魂はおばあちゃんにならない」と言っていたウクライナ人もいなかった。さとるは入口にいた長身の女の人に訊いてみた。
「この店にいたロシア人のジュリア、どこの店に移ったかわかります?」
「ユーリアね」
「ユーリア? ジュリアじゃない?」
「ジュリアは英語の名前。ロシアだからユリア」
ユーリア? さとるはパスポートにジュリアと印字されていたような記憶があったが、ユーリアが本名と学ぶのだった。
「あなた、なに関係の人?」
「ジュリアと住んでたんだけど、お金がなくなって、引っ越したかったから、追い出しちゃって、電話で怒ってたから来てみたの」
「マリアに聞けばわかるかも」
さとるは一時間のお金を払って情報収集することにした。マリアは黒髪の女の人で、ジュリアを知っているような雰囲気があった。
「知ってる?」
「知ってる。ここ、いた」
彼はマリアと席に座り、彼女のためにグラス・ワインを頼んだ。
「ジュリアはいま、どこの店にいるかわかる?」
「・・・・・」
マリアはブルー・ミリオンだと思った。彼女はさとるに何かを期待するような上目づかいで、右手をさとるの前に小さく差し出し、微笑んだ。さとるは財布から千円札を三枚とり出し、小笠原店長などに見つからないように、お札を小さくたたみ、テーブルの下から彼女にお札を手渡した。マリアは小さな声で、
「ありがとう・・・たぶん、ブルー・ミリオン」
 と言うと、マリアは携帯電話を見ながらブルー・ミリオンらしき電話番号を紙ナプキンに書いてくれた。ブルー・ミリオン。知らなかった。
その後、さとるはジュリアとの悲しい電話のやりとりを話したら、彼女は、
「女の子、すぐ、お店、変わる。営業時間とか、警察うるさいとか、お給料のこととか。でも、希望、捨てないで。わたし、同じ経験ある。わたしも彼、いつかわたしのところ、戻ってきてくれる、思ってる。遊び疲れたあとで」
 と、よくわからない慰めの言葉をかけてくれた。

さとるは店を出て、ブルー・ミリオンに電話してみた。電話が通じることはなかった。足が疲れていて、カプセル・ホテルに戻ったが、いつのまにか寝てしまった。
翌朝、土曜日。錦糸町のカプセル・ホテルから、上野のカプセル・ホテルに移動した。二日連続で予約していなくて、満室になってしまったのだ。
狭いカプセル・ルームから、ブルー・ミリオンを電話番号案内で訊いてみたが、そのような登録はないとのことだった。電話番号も公にせず、看板も出さないで、常連客だけを対象にして、営業している隠れた店もあると、インターネットには書いてあった。「インターナショナル・クラブ」を検索してみたら、2チャンネルに飛んだ。

さとるは毎日、毎晩、携帯電話に着信の存在を、青い点滅で知らせる小さな場所を見る癖がついていた。昨晩も今朝も着信ランプはついてなかった。ジュリアに電話したが、「またおかけ下さい」というメッセージになるだけで、「とうきょう きたよ。あなた どこに いる?」とメールしてみたが、反応はなかった。

「ジュ●●という女の人を知っていますか? ロシア女性です。前は、シャレードとかにいました。今はブルー・ミ●●●というお店にいると聞きました」
他にジュリアを探す方法が思いつかず、彼はインターネットの2チャンネル掲示板にそう書き込んだ。コンビニにサンドイッチを買いに行っている間に、誰かが、
「昨日、錦糸町にいってきた。J嬢と話して帰ってきた。I・フォーンの扱い方がわからないようで教えてあげたよーん」
と書き込んでいた。I・フォーン・・・J嬢・・・ジュリアかもしれない!
「そこはブルー・ミ●●●ですか?」
とさとるが書き込むと、
「嬢がいるかどうかは、知らないけど、四つ目通りから奥の細道を入ったところにあるお店だよ」
と返してくれていた。四つ目通り? 奥の細道?

JR錦糸町駅南口、デパート丸井前の幹線道路が京葉道路。これに交差する道路が隅田川から四つ目の通りということで、四つ目通りというらしかった。
奥の細道という通りがわからなかった。奥の細道という界隈は、松尾芭蕉が有名な旅を始めたスタート地点らしいと、インターネットには書いてあった。
さとるは老舗店であるらしい二つの店に電話して、奥の細道という通りについて、何か知りませんか? と尋ねたら、電話にでた店の人が、みずほ銀行の裏の通りじゃないか? とあっさり教えてくれた。
やった!

夜、八時。さとるは錦糸町のみずほ銀行の裏通りをきょろきょろ見回し歩いていた。看板のない、それらしき店があったが、ずいぶん前から閉店状態のように見えた。その裏通りにいたアジア系の客引きの男に事情を話すと、ゴールド・エスキーナという店で訊いてみろと、彼はその店があるビルまで、さとるを連れて行ってくれた。
ビルの中に入り、店へのエレベーターに乗ろうとすると、そこにいたアジア系の中年男がさとるの侵入を強く拒否した。
「あなた、何、お客さん?」
「店で訊きたいことがあるんだけど」
「お金払って、遊んでいく?」
「ジュリアという女を探してるんだ」
バン、ゴールド・エスキーナ、マネージャーと書かれた名刺を差し出した男は有無を言わせず、さとるを追い返した。ショック状態で店の前の歩道に立ち尽くしていると、去っていったはずのその男がさとるに近づいてきた。
「どんな女、探してる?」
うかつにも、ジュリアの写真を持ってこなかったので、彼女がシャレードとタランチュラで働いていたことを話した。彼は言った。
「おれの店、その女、いない。みんな、顔、知ってる。ロシア人、いない。ブルー・ミリオン? 聞いたことない。看板だしてない? それはわからない」
「・・・・・・」
「あそこ、あの通り、越えたところ、大きい黄色い看板、見えるだろ?」
 彼は四つ目通りを越えて、もっと遠くを指差してそう言った。
「うん。見える」
「あそこ、Xビル、ある。四つ、店、ある。あと、黄色い看板の左、ビル、ある。そこもたくさん店ある。行ってみれば?」
「・・・ありがと」
「店に訊く時、気をつけろ。ジュリアとか、女、探してる、言うと、いい気しない。あんた、怒れない。なんで、そんなこと教える? だろ? ジュリアさんがいたら、指名して入ります、いないなら入らない、って言うんだよ」
「・・・ありがと」
さとるが立ち去ってから、バンは、クラブ・バニラの支配人の岡崎に電話した。ジュリアを探している日本人がいると。

さとるは元シャレードの社長、アバスと缶酎ハイを飲みながら話した公園を横切り、バンが指さした方向に向かった。言われた場所の近くに来てみると、神社があり、その横に狭い道があった。その狭い道が、奥の細道に思えた。その道を入って行くと、二階に、一軒、店があった。階段を上がり、店の人に事情を話すと、中年の男性スタッフは、さとるに店内を見せてくれた。
ジュリアはいなかった。いないと報告すると、彼は携帯電話で系列店に聞いてくれた。一回目の電話の店にはいないようだった。しかし、二回目の電話の店には同名の女性がいるとのことだった。
やった!
「忙しいとこ、すいません」
「いいんだよ。日本人同士じゃないか」
 さとるは人の情けにぐっときた。彼は店の入口にいた体格のいい男に言った。
「この方、タイムさんに連れてってあげて。話はしてあるから」

 普段着の三十代らしき大柄な彼はあちこちの店に出入りする客引きスタッフのようだった。男とさとるは、呼び込みがたむろする歩道をタイムという店を目指して歩いた。
「あいつら、ほとんどが、バングラディッシュとパキスタンすよ。初めての人、この辺、通ると必ずあいつらに捕まるからね。通り抜けるのに、十五分くらいかかるんだよね」
と彼は笑顔で、この界隈の事情を教えてくれた。
「まだ、バングラ、パキはいいほう。イランは危ない。気をつけた方がいいっすよ。あいつら、ナイフ持ってるからね」
「ナイフですか?」
「そう。イランはたち悪い。丸腰なら怖くないけど、ナイフはね。抵抗あるなぁ」
「・・・・・・」
「イスラムってケンカになったら、相手、殺しちゃうんだよ。彼らの国とか、悪いやつ、殺されるの正当化されちゃう。この辺でも殺されとる。・・・あいつら、逃げたら捕まらない。国に帰る。日本からわざわざ捕まえにいかないし。やりたい放題だよ。フィリピンもやりたい放題」
「どんなふうにやりたい放題なんすか?」
「例えばさ、フィリピンで子供、堕ろせないでしょ。法律あるから。でも、日本では子供、堕ろせる。イランはクスリで警察に捕まってる。あいつらの車、よく警察に調べられてるもん」
「なんで、調べるんですか?」
「武器、載せてるからじゃない? イランはそれ当たり前」
「・・・どんな武器ですか?」
「いろいろじゃない? どーせ、不法で入国してる。あそこ、花屋の横、トルコ・ケバブ・バー、見えるでしょ。イラン、イラク、多い。あいつら、国、違っても、言葉、似てるんすよ。お互い、しゃべれる」
さとるは夜中の公園で話したイラン人社長、アバスも悪い印象はなかったので、街の最悪の評判に心底、がっかりした。
「・・・あのフィリピンもナイフ持ってる。あいつら、フィリピンの地元、帰ったら殺される。フィリピンじゃ、みんなピストル持ってるからね。たった一万で人、殺すんだよ。信じられん」

 ふたりはジュリアがいるというビルに着いた。エレベーターでタイムという店に向かった。店に入ると店長らしき人が、
「聞いてますよ。この人でしょ?」
と背の高い外国人女性を紹介してくれた。ジュリアではなかった。さとるが茫然としていると、
「まぁ、いいじゃない。飲んで行けば?」
 と彼は言った。
「すいません」
さとるはそう言って、逃げるようにエレベーターに乗り込んだ。その雑居ビルの各階には、東欧、中国、台湾、その外のアジア、いろいろな外国人クラブが営業しているようだった。そのどれもがバングラディシュ人かパキスタン人の経営のようだった。

さとるの後を追って、黒い背広姿のバングラディシュとパキスタンの男たちが、ぎゅうぎゅう詰めになりながら下りのエレベーターに乗った。
彼らは一階に着くまで、ずっと、さとるを怪訝そうに見ていて、
「どうして女を探してる?」
とさとるに話しかけた。
「探したいから」
一階に着いたので、エレベーターを出た。
さとるを連れてきてくれたスタッフからの電話連絡で、だいたいの事情を知っているような彼らは、さとるの後をぞろぞろついてきて、代わる代わる、さとるに話しかけた。
「女に騙されたか?」
「騙されてない!」
「復讐か?」
「復讐じゃない!」
「貢いでない!」
「バカだな、おまえは」
「バカじゃない!」
背広がなぜか似合わない浅黒い顔の男がニヤニヤして、さとるをからかい、仲間たちが大笑いするので、むかついたさとるが、
「アイ・ラブ・ハー!」
と言い返すと、
「オー、ハートブレイクか?」
彼らはまた大笑いした。表通りに出ると、ここはバングラディシュかパキスタンかというほど、アジアの男たちが大勢たむろしていた。

さとるはXビルに移動した。エレベーターに乗り、ボタンを押して、停まった三階には、クラブ・バニラがあった。さとるは店長らしき男に自分がロシア人女性を探している事情を、丁寧に頭を下げて説明した。彼は言った。
「店内を見てもらってもいいですよ」
と。彼はさとるに店の女の人たちを、遠目に見せてくれた。店内は白いソファなど白で統一されていて、綺麗な店だった。
この男か、と彼は思った。バンからの連絡でジュリアを探している日本人がいるとは聞いていた。
店長らしき男は言った。
「いましたか?」
「いませんでした」
「ブルー・ミリオンですか? 知らないですね。ジュリアさんですか? どこかで見たことあるかもしれませんね」
紺色のスーツを着た四十代前半に見える、長髪で整った顔立ちの彼はそう言った。
「今、どこにいるかわかります?」
「いや、現時点ではなにもわからないですね」
クラブ・バニラはとても流行っている店で、お客たちは入口に立つさとるの横で頻繁に出入りを繰り返していた。営業の邪魔になっていると思ったので、帰ろうとすると彼は、
「帰られますか? もし、何かジュリアさんのことでわかりましたら、連絡しましょうか? 携帯の番号とか書いてもらっていいですか?」
と彼は、支配人、岡崎と印刷された名刺とともに、メモ用紙、ボールペンをさとるに渡した。
さとるが携帯電話の番号を書き終わると、彼は、
「今のままだとストーカーに間違えられますよ。一時間のセット料金、払って店に入ったほうがいいですね。お金、払えば、店としても入れざるをえないからその方がいいですよ」
と言った。さとるは困難な状況の中、また、人に温かく扱われ、少しばかり胸を打たれていた。

クラブ・バニラのあと、そのXビルの四階と五階の店にも行き、さとるは同じようにジュリアについて訊いた。そしてまた、店の好意に甘え、店内を見せてもらったが、ジュリアはいなかった。
一階に戻ったさとるがXビルの前で、呆然と立ち尽くしていると、少し前にさとるをからかっていた東南アジアの男たちが、また何人も集まってきた。浅黒い顔の男が言った。
「なんで、おまえに何も教えないか、わかるか?」
「わからない」
「おまえ、イミグレーション(入国管理局)かもしれないだろ? 警察かもしれないだろ?」
「ちがうよ」
「じゃ、身分証明、見せて」
さとるが自分で作ったプライベートの名刺を差し出すと、男はそれをしばらく眺めた後、ポケットに入れた。そして、誰かに報告にでも行くがごとく、彼はその場からひとり去って行った。他の男が言った。
「だいたい、三か月くらいで店、変わる女が多いね。探してもわからない」
悲しい土曜日は、すでに日付が変わり日曜日の一時になっていた。そして、いつのまにか、軽自動車のパトカーが二台、Xビルの前に停まっていた。

午前四時。さとるは上野のカプセル・ホテルに戻っていた。足が重かったが、誰もいない深夜の大風呂に入り、自分のカプセル・ルームに戻ったが、カプセル・ルームの空気孔はカビだらけで、さとるは咳が止まらなかった。そんな時、携帯に電話がかかった。
「今、錦糸町にいらっしゃいますか?」
バニラの支配人の岡崎からだった。
「いえ、上野のカプセル・ホテルにいますが・・・」
「あー、そうですか・・。まだ錦糸町にいらっしゃったら、喫茶店でお話でも、と思いまして」
「いやー・・・心配してもらって」
 さとるがそう答えたところで、電話は切れた。