全くもって、現代の音楽やら芝居やらというものは、ときめきがないものである。



所謂、なぜ昭和歌謡とかそういうジャンルが今でも人気なのかと言われると、自分たちが作品の主人公になれるからなのだ。



それに、旋律や歌詞やらセリフやらが難しく無い。

スッと、頭から素直に落とし込めて、それが無理なく身体の中に浸透できるからなのだ。


吉田拓郎さんの『夏休み』や、かまやつひろしさんの『我が良き友よ』は、進行は簡単な造りなのに、世界観が立体的にイメージできるのだから、もう何にも言えない。






こう綴ると、昔の風習が良くて今がダメと思われがちなのだが、決してそういうわけでは無い。


だがしかし、現代の世情のせいもあるのか?、いろいろと忙しい。

リスナー目線ではなく、自分がやりたい音楽とか芝居をただ自己満足で終わってしまうだけになっていないだろうか?


全くもって見聞きする気にもならないし、終始一貫して主張したい意味がわからない。



これではせっかくの作品が台無しである。






僕が思うには、現代は簡単に量産できてしまう分、ひとつひとつの作品に対してアーティスト自身、愛情が薄れつつあるのではないかなと薄々感じている。


よくアーティストは、作品のことを自分の子どもだと言うが、子どもならもっと愛情かけよと伝えたい。



『ラジオ体操の歌』や『青い山脈』で有名な、藤山一郎さんは、その時代紙がとても貴重なものだったとのこと。


それ故、紙を大切にしなかった者を殴っていたらしい…!



それほど、作品に対しても大切にしていたということであるのだ。





こんな持論を展開しているが、こんなこという僕は、いったい何を大切にして生きているだろうか…