(写真: バークレーの Dark Carnival Imaginative Fiction Bookstore) 

 

日本語を勉強している友人と文通をしていた時、

 

「、、、」は英語の「...」と一緒ですか?

「、、、」と「。。。」は違いますか?

 

と聞かれたことがある。

はっと思って、なかなかいい質問だと思ったけど、「、、、」は結論から言うと間違いです、本当は英語と一緒で「...」が正しいです、と伝えた。いつも間違っている使い方をしていてごめんなさい、、、

しかし、「。。。」を使ったことはたぶんない。少なくともパソコンやスマホで字を打つときは使わない。終止符を三回打つと「ピリオドピロオドピリオド」と言っているようで気に入らない。

ならば、一番正しい「...」と打てばいいのだが、スマホでもパソコンでも、「。」を一回変換しないと三点リーダーにはならない。面倒くさい。「、、、」としておけば変換をせずに済む。

そして一番大きな理由は「、」は「てん」と読み、「。」は「まる」とよむが、「…」は音読するとき、「てんてんてん」と読む。まさか「まるまるまる」とはよまない。よって、実務的理由、趣向的理由でこれからもおそらく「、、、」と書くことが多いと思うが、日本語の句読点は比較的寛容であることにも気づかされる。

 

英語では有名なOxford Comma議論があるほど、カンマつけるか否かで賛否両論。一応この記事によるとアメリカ英語では「任意」とされているが、ないと事件・事故が発生することも多々。

 

I love my friends, Lady Gaga, and Beyonce.

I love my friends, Lady Gaga and Beyonce.

 

一文目は「私は友達、レディ・ガガ、とビヨンセが好きです」。

二文目は「私は友達のレディ・ガガとビヨンセが好きです」。

 

カンマのおかげで残業代500万ドルをゲットした勝訴も話題になった

カンマがあるかないかの違いは、500万ドルあるかないかの違いと同等、ということになる。

恐ろしい。

 

一方で日本語では、こういう文がきれいに見える。

スターバックス・コーヒーで、タゾ・チャイ・ティー・ラテのショートサイズ(シロップ控え目)を飲みながら、ぼんやり将来のことを考える。

将来、何になろう。

どこに住もう。

何をしよう。

そこで、ふっと思い出す。

あ、もう、今が将来なんじゃん。

僕、四十一歳だし。

(穂村弘著『本当はちがうんだ日記』ー『クリスマス・ラテ』より抜粋)

 

こういう文も書ける。

「はい、あ、こちらは本社ではございませんので、はい、はい、ニーズがございませんので、はい、はい、ニーズがございませんので、はい、はい、ニーズがございませんので、はい、はい、全くございませんので、はい、他をあたってください、はい、すみません」

(穂村弘著『本当はちがうんだ日記』ー『ツナ男』より抜粋)

 

英語圏で穂村弘のような人がいないのは、そういうことなんだと思う。

 

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