才能の救出と冷蔵庫の中身 | みるまに【手刺繍と言葉】

みるまに【手刺繍と言葉】

中組温子(なかぐみ あつこ)
暇を見つけては刺繍します
ときどき人と言葉を交わすのも好き
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みるまにです^^



例えば
料理だと思ってみる。








わたしは
料理がそんなに得意ではないです。

なるべく効率的に済ませたい
という欲求はあるものの


自分で野菜を買うと
いつも同じものばっかり
選んでしまうこともあって


なのであえて

季節の野菜セットみたいなのを
個配で注文してるんですが



でもそうすると

自分で選んだものじゃないから

使いにくそうな野菜や
馴染みのないものが
混ざっていることも多々あって



それをどう使っていいか
困惑して放置してしまうことも多い。




家族が健やかに過ごすために
ご飯を作るのは好きだけど

下ごしらえが必要な野菜や
手間が掛かりそうなものは
極力避けたくもある。




そうすると
冷蔵庫の中に

行き場のない野菜が
たまに出てきます。
( 変な欲求と現実との、矛盾と葛藤です… )




それでもやはり
廃棄するには忍びなくて

思い切って今日は
これを使おう!


と、頑張れる日があるんですが



そういうときは


苦手意識のある材料を使って
なにか一品ができたこと自体に
達成感があるから


たとえ子どもたちが
それを食べなくても


そこそこ美味しいものができると
何故か嬉しくなるのですよね。

なんならちょっと失敗しても
チャレンジした自分が誇らしいくらい。





その
使いにくい
億劫な材料への着手って


自分の才能の救出
とも少し似ています。




こんな野菜(能力)別にほしくないのに
もっと使いやすい材料(才能)ならいいのに


わたしはこんなの望んでない

もっとすごくて
もっと手軽で
もっと使いやすくて
もっと【確実に】美味しくなるもの


そういうのがほしいのに
これじゃないのに


と、使わずに廃棄しそうだったところを


救い上げる行為のように
感じませんか?





他人の才能は簡単に見つけられて
素直に褒めることができるのに、
美味しい美味しいと食べるのに、


自分の才能のことになると
途端にストイックに
意固地に冷酷になる。




なんなの、自分に恨みでもあるの

と思うほどのときもあるけど。




でも野菜を廃棄することに
心が痛むのと同じように


自分の才能を
使うことなく廃棄することにも

心を痛めてみるのはどうだろう




廃棄された才能は

野菜みたいに土に還るわけでもなく
燃やされるわけでもなく
腐って朽ちるわけでもなく


自分の奥底に
落とされ隠されているだけなのだけど。



才能という言葉が

まるでスゴイものを
指すように感じるのなら



わたしを構成する材料だと
思えばいい。



それひとつひとつは
使いにくくて
ありきたりでも

組み合わせることで
いかようにも美味しくなること
知っていてほしいです。




使いにくい材料を見つけたら



料理されたくて
ウズウズしている


廃棄されたくない
使ってほしい



と、言っている。
そんなふうにイメージ。





わたしで言うなら

この回りくどい言い回しや
例えたがりの妄想癖。



それさえ活かして
日々刺繍し、ブログ書いております。




わたしがわたしを美味しくしないで

一体誰が
それをしてくれるというのでしょうね!





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