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「漢城別曲」の写真がゲットできたので載せてみます。ちょっと映りが悪いかな~^_^;

観終わって2週間ほど経ちますが、今も重い余韻の残る、印象深いドラマでした。
実はもう一度一話目からじっくり観たくて、録画が消せません(^^ゞ
ラスト2話は、それまで結構スピーディな展開だったのが、じっくり丁寧に
撮ってあって、サンこと正祖は最終話の前に亡くなってしまいますが(T-T)
そこからのどんでん返し、主人公たちが選ぶ道、その結末、涙が流れっぱなしです。
きちんと膝を正して、思わず合掌しながら?^_^;観たくなる感じでした。
なにかそのままにしておけないような重大な課題を残された気分です。

今観ている「イ・サン」で、段々とサンの理想や理念が明確になってくるに従って、
「漢城別曲」の結末は仕方のないものだったのかも、と思えてきています。

ところでBS朝日「チャン・ヒビン(張禧嬪)」は
イ・サン(正祖)の先王であるおじい様(英祖)の
お父様(粛宗スクチョン)とその后のお話です。
このサンのひいおじい様の後を継いだのは英祖の腹違いの兄(景宗)で
チャン・ヒビンはこの方の母。
粛宗のあと、景宗が若くして亡くなるので弟の英祖が王となり、次がサンとなる訳です。

ウィキペディアなどで調べた結果をまとめてみますと。。。
この粛宗(1661~1720)は王権を最も強力に奮った王様らしく、
朝廷の第一党派をまとめて入れ替える換局(ファングク)というのを
3回もやったりしたようです。
サンもそれに近いことをやろうとしているんだけどなあー。
簡単にはできそうにない荒技です"^_^"

この頃は南人と西人の党争が激しく、粛宗の母と正妻は西人派、
側室でのち景宗を生むチャン・ヒビンは南人派。
正妻には子ができず、側室の子が王世子になるというので対立が激化し、
結局正妻は廃位されて西人派が一掃され南人派が朝廷を独占。
こういう形で一党が他党を追い出す独裁形態ができてしまったのですね。。。

ところが、チャン氏と周辺勢力の横暴が王を不安にさせることになり、
今度は正妻が復帰、チャン・ヒビンが服毒処刑されて、
南人に代わって西人が政権を独占。
この西人派がのちに老論と小論に分裂します。

粛宗が亡くなり景宗が王位につくと、老論派は弟・後の英祖を次の王位継承者として
擁立し、摂政としようとしたため弾圧され、小論が政権を掌握。
養子を迎えて太子としようとしますが、景宗が崩御して英祖が王位に就いたため
結局、朝廷は老論派のものとなったわけです。

こうして見てみると、英祖は老論という一党の後見によって王位に就いたわけですから
これまでの粛宗のように王が主導でいられない面があり、やがて貴族の力が肥大して
英祖晩年にはあのように、王の目を欺いて朝廷を牛耳るようになってしまったんですね。
そう考えると、サンの父はその力に抗って罠にはめられ、サン自身は党による
後ろ盾を得ずに、自分の選んだ側近たちと自力で王位を勝ち取ったことになります。
老論にとっては、なびかなかったサンの父もサンも邪魔なだけ。
老論が激しくサンを排除しようとするのはこういうわけだったのですね。

でも、時代は貴族中心に移りつつあり、また王であるサン自身も新しい
世の中(商人などが力を持つようになり、脱封建社会に移行する)の流れを感じ
とっていたはずで、丁度過渡期の王として苛酷な時代を生きなければいけなかった
といえるのかもしれません。