今日は豊年祭ムラプール。
仕事は午前中で早退させてもらい、急いで帰って来た。
もねちんたちは学校集合が5時だけど、
祭りの行事は2時くらいからいろいろ始まっているので
それに間に合いたかったのだ。
それにしても今年はずっとバタバタしっぱなしで
他の地区の豊年祭も、気づくと終わってしまっている。
豊年祭は、今年の豊年に感謝し、来年の五穀豊穣と幸せを願う
島最大の行事で、各地区で日程が違います。
主に地域の御嶽関係者だけで行う神事オンプールと
地域住民だけでなく地区の企業や学校、観光客も巻き込んで
盛大に行うムラプールの2日間で行われる事が多いです。
(しかし、地区により異なります)
これは昨日のオンプールでの様子。
各御嶽で行われていた行事もすでに終わり掛けの頃
見に行ってみたのですが、まだ大綱引き用の綱かきが
急ピッチで行われている最中でした。
たった1回の綱引きのために、毎年、綱は新調されます。
材料の稲藁も、地域住民の田んぼから集めます。
しかし、年々作業する人数が減って来てしまっているみたいで
(高齢化も進んでいるだろうし)大変そう。
さて。
2時過ぎに、会場となる崎原道路に行ってウロウロしていた私。
海で司さんたちがカースンヤー願いという神事を行っているのに。
思い出して慌てて向かうと、なんとかアガリ節には間に合いました。
各御嶽を守る司さんたちが一同に介し
海に向かって手招きする動作を繰り返しながら歌います。
このあと、4時くらいからいよいよ豊年祭がスタートとなるのですが
あまりの暑さに、一旦家に引き上げました。
そして4時過ぎにまた崎原道路に出かけたら
番所(オーセ)での旗頭の奉納や踊りがちょうど終わったところ。あらら残念。
4時には、現地に行ってないとダメだな。
でも、上の村と下の村の旗頭「瑞雲」「豊穣」とともに
行う司さんたちのアガリ節は見る事ができた。
カースンヤー浜で行った時と同様、この時も、司さんたちの目線の先には
海があります。こうして海からの来訪神をお迎えするのです。
小学校1年生の女の子だけがお伴できる大浜のミルク様。
旗頭は1本で50kg以上あるのですが、お神輿と違って
一人でこうして持ちます。
ものすごく体力と技術がいります。
地区の男の子たちは、6年生から旗頭を担ぎます。
小学校の旗頭は小さいのですが、それでも30kgくらいあるんじゃなかったかな?
まずは棒の先に古タイヤを括り付けたもので練習するのです。
こんな風にかっこよく担げる男になる事を目標にして。
この後は、地区の各団体の趣向を凝らした踊りのパレードが続きます。
ミルク様の行列や、中学生によるイリク太鼓はもちろんのこと、
今年はハワイアンなんかもありました。
もねちんは鼓笛隊として参加。
この前の社会を明るくする運動のときより
上手にフラッグを扱えていたようです。
夕暮れが迫って来る頃には
あふれんばかりの人出。
懐かしい顔、いつもの顔、いろんな人に出会えて、私も写真撮りながら
たえず誰かと挨拶している感じ。それが嬉しくてたまらない。
パレードが終わる頃は夕闇も濃くなり
旗頭の頭の方に明かりが灯る頃になると
いっきに祭りは佳境に入ります。
ツナヌミンから大綱引きまでがなんといっても豊年祭のクライマックスで
この迫力は何年見ていても背筋がゾクゾクするほどかっこいいです。
松明が炊かれ指笛が吹かれる中、男の人が支える板の上で
見栄を切る上の村の鎌の武者と下の村の槍の武者。
松明の燃える匂いが、私の豊年祭の「匂い」の記憶の一つです。
だんだん両者は近づいていきますが、最後の最後まで
旗でお互いの姿は隠されたままです。
この役をする人は、まさにヒーローです!
両者の旗がさっとどいたとたん、
戦いが始まり、その後は、すごい勢いで両者の板は離れていきます。
その間も見栄を切った型を崩す事なく板の上で武者は踏ん張ります。
板を担ぐ人は、観光客の男性でもOK。他の地区ではどうだかわかりませんが。
でも、この一連の流れが解ってないと、きっと大変だろうな。
このあとの大綱引きもそれはそれは白熱するのですが、
毎年上手に写真が撮れない。
それに私も綱引きに参加するから。
今年は、我が地区、4連勝がかかっていたのですが
13分くらいの熱戦の結果、敗退してしまった。
もう、渾身の力を込めて大綱から出ている小綱を引くのですが、
私の持った綱が3回も切れてしまった。
ケガしなくて良かったよ。
神事の綱引きは運動会の綱引きとはぜんぜん違います。
ぜひぜひ、石垣島好きの方は、豊年祭に合わせて来島し、
参加する事をお勧めします。
祭りを見ないと、石垣島は語れないですよ。
このあとは、12時過ぎまで、地区内を
旗頭がまわりました。
仕事は午前中で早退させてもらい、急いで帰って来た。
もねちんたちは学校集合が5時だけど、
祭りの行事は2時くらいからいろいろ始まっているので
それに間に合いたかったのだ。
それにしても今年はずっとバタバタしっぱなしで
他の地区の豊年祭も、気づくと終わってしまっている。
豊年祭は、今年の豊年に感謝し、来年の五穀豊穣と幸せを願う
島最大の行事で、各地区で日程が違います。
主に地域の御嶽関係者だけで行う神事オンプールと
地域住民だけでなく地区の企業や学校、観光客も巻き込んで
盛大に行うムラプールの2日間で行われる事が多いです。
(しかし、地区により異なります)
これは昨日のオンプールでの様子。
各御嶽で行われていた行事もすでに終わり掛けの頃
見に行ってみたのですが、まだ大綱引き用の綱かきが
急ピッチで行われている最中でした。
たった1回の綱引きのために、毎年、綱は新調されます。
材料の稲藁も、地域住民の田んぼから集めます。
しかし、年々作業する人数が減って来てしまっているみたいで
(高齢化も進んでいるだろうし)大変そう。
さて。
2時過ぎに、会場となる崎原道路に行ってウロウロしていた私。
海で司さんたちがカースンヤー願いという神事を行っているのに。
思い出して慌てて向かうと、なんとかアガリ節には間に合いました。
各御嶽を守る司さんたちが一同に介し
海に向かって手招きする動作を繰り返しながら歌います。
このあと、4時くらいからいよいよ豊年祭がスタートとなるのですが
あまりの暑さに、一旦家に引き上げました。
そして4時過ぎにまた崎原道路に出かけたら
番所(オーセ)での旗頭の奉納や踊りがちょうど終わったところ。あらら残念。
4時には、現地に行ってないとダメだな。
でも、上の村と下の村の旗頭「瑞雲」「豊穣」とともに
行う司さんたちのアガリ節は見る事ができた。
カースンヤー浜で行った時と同様、この時も、司さんたちの目線の先には
海があります。こうして海からの来訪神をお迎えするのです。
小学校1年生の女の子だけがお伴できる大浜のミルク様。
旗頭は1本で50kg以上あるのですが、お神輿と違って
一人でこうして持ちます。
ものすごく体力と技術がいります。
地区の男の子たちは、6年生から旗頭を担ぎます。
小学校の旗頭は小さいのですが、それでも30kgくらいあるんじゃなかったかな?
まずは棒の先に古タイヤを括り付けたもので練習するのです。
こんな風にかっこよく担げる男になる事を目標にして。
この後は、地区の各団体の趣向を凝らした踊りのパレードが続きます。
ミルク様の行列や、中学生によるイリク太鼓はもちろんのこと、
今年はハワイアンなんかもありました。
もねちんは鼓笛隊として参加。
この前の社会を明るくする運動のときより
上手にフラッグを扱えていたようです。
夕暮れが迫って来る頃には
あふれんばかりの人出。
懐かしい顔、いつもの顔、いろんな人に出会えて、私も写真撮りながら
たえず誰かと挨拶している感じ。それが嬉しくてたまらない。
パレードが終わる頃は夕闇も濃くなり
旗頭の頭の方に明かりが灯る頃になると
いっきに祭りは佳境に入ります。
ツナヌミンから大綱引きまでがなんといっても豊年祭のクライマックスで
この迫力は何年見ていても背筋がゾクゾクするほどかっこいいです。
松明が炊かれ指笛が吹かれる中、男の人が支える板の上で
見栄を切る上の村の鎌の武者と下の村の槍の武者。
松明の燃える匂いが、私の豊年祭の「匂い」の記憶の一つです。
だんだん両者は近づいていきますが、最後の最後まで
旗でお互いの姿は隠されたままです。
この役をする人は、まさにヒーローです!
両者の旗がさっとどいたとたん、
戦いが始まり、その後は、すごい勢いで両者の板は離れていきます。
その間も見栄を切った型を崩す事なく板の上で武者は踏ん張ります。
板を担ぐ人は、観光客の男性でもOK。他の地区ではどうだかわかりませんが。
でも、この一連の流れが解ってないと、きっと大変だろうな。
このあとの大綱引きもそれはそれは白熱するのですが、
毎年上手に写真が撮れない。
それに私も綱引きに参加するから。
今年は、我が地区、4連勝がかかっていたのですが
13分くらいの熱戦の結果、敗退してしまった。
もう、渾身の力を込めて大綱から出ている小綱を引くのですが、
私の持った綱が3回も切れてしまった。
ケガしなくて良かったよ。
神事の綱引きは運動会の綱引きとはぜんぜん違います。
ぜひぜひ、石垣島好きの方は、豊年祭に合わせて来島し、
参加する事をお勧めします。
祭りを見ないと、石垣島は語れないですよ。
このあとは、12時過ぎまで、地区内を
旗頭がまわりました。