今日は、『慰霊の日』。
沖縄では、太平洋戦争において
日本軍が無条件降伏し、戦争が終結した日(1945年)8月15日ではなく、
日本軍の牛島司令官が自決し、沖縄戦が実質終了したとされる(1945年)6月23日が、
いわゆる「終戦記念日」なのです。
沖縄戦終結から、今日で65年。
毎年この日は学校、官公庁などはすべて休みになります。
学童も休みなので、私も仕事を休みました。

島に住んで10年になりますが、機会を逸していて
足を運んだ事のなかった「八重山平和祈念館」に行って来ました。
$石垣島ゆがふ日記
毎年、この日の前後に、各学校では「平和学習」というのが行われていて
戦争体験者の話を聞いたり、ビデオを見たり、本を読んで話し合いをしたり
作文を書いたりします。
10日ほど前のことだったと思うけど、
もねちんも沖縄戦の様子や石垣島での避難生活などを聞き、
考えるところが多かったみたいで(学童疎開船「対馬丸」撃沈の話しを聞いたり、
絵本「つるちゃん」を読んだりしたらしい)、家で、いろいろ話してくれました。
平和学習は1年のときもやっているのだけど、2年生になって
やっと実感を持って想像することができるようになってきたみたい。
そして、先生に、できればおじいちゃんやおばあちゃんから
戦争の話しを聞いてこいと指令が出され、さっそく実家の父に電話してみました。

父が、東京生まれで、小学4年生のときに千葉のお寺に学童疎開した事、
6年生は学徒動員で戦争に行った事、
東京に残っていたお母さんと妹が空襲で亡くなった事、
お父さんは仕事で家にいなかったので助かった事、
そんなことを聞きました。
父は、年齢的にも運にもギリギリの所で恵まれ、命を落とさずに済んでいたんです。
…。なんと、私はまるっきり知らなかった…。
幼い頃、聞いたことはあるはずなんだけどぜんぜん記憶にない。
もねちんのおかげで、貴重な話を聞くことができて本当に良かった。
もねちんは、さっそくその日の日記にレポートを書いていました。

そんなこんなで、今年は戦争についてもっとよく勉強する機が熟してきた感が。
毎年、慰霊の日は平和記念館の入館料が無料になります。
2時からビデオ上映会もあると新聞に告知があったので、1時ころ出かけて行きました。

八重山では、地上戦は行われなかったのですが、
「戦争マラリア」の被害が甚大でした。
沖縄本島での地上戦の被害をできるだけ少なくし、時間稼ぎをするために
(しかし、ご存知の通り、本島での地上戦は悲惨の極みでした)
八重山の島々は利用され、各離島の島民は、日本政府の命令により
マラリア有病地帯への強制疎開を余儀なくされました。

マラリアというのは、病名でもあり、原虫の名前でもあります。
菌ではなく、小さな生物なのです。
マラリア患者の血を「ハマダラ蚊」と言う蚊が吸い、
いったん原虫を蚊の体内に取り入れます。
そして、次に刺された人が、その蚊から原虫をうつされ、
マラリアに罹患してしまうのです。

罹患すると、高熱を発し、設備や薬が極端に少なかった戦時中は
バタバタと人が死んでしまったのです。

ちなみに、ハマダラ蚊自体は、今でも普通に存在しているそうです。
ただマラリア原虫がいないからマラリアにならないだけなんだそう。
こわいです…。

日本政府は、罪もない島民を、マラリアが発生しているとわかっているジャングルの
奥地に、強制的に追いやったのです。
1945年当時の罹患率の表が展示されていたのですが、それによると、たとえば
石垣島でいうと
平得が人口703人のうち613人が罹患(87.20%)、うち死亡率は43.07%。
大浜が人口1866人のうち1805人が罹患(96.73%)、うち死亡率は26.54%。
どちらも、石垣島武名田原というところに強制疎開させられた結果です。

子ども用のアニメ「石の声」も上映され、波照間島から西表島へ強制疎開させられ
たくさんの人がマラリアで亡くなった話しをみました
(犠牲者の中には66人の学童が含まれていたと言われています)。

もねちんは、本当にショックだったらしく
夜、いったん寝たのにしばらくして
「マラリアの事が頭から離れなくて眠れない…」と
泣きながら起きて来ました。

それだけショックを受けたのは、悪い事ではなく
いろいろ考えてる証拠なんだからいいことなんだ、
今、もしマラリアが発生しても医療体制も情報網も整っているから
戦争中みたいに死なないということを言って聞かせて
やっと納得して寝てくれました。

今日、私が一番印象的だったのは、
沖縄本島の地上戦のドキュメンタリーフィルムの中で語られた
「島民は、米軍と日本軍の間に挟まれて行き場を失いました。
しかし、恐ろしかったのはむしろ、米軍ではなく日本軍だったのです」
という言葉。
降伏するくらいなら自決しろと言われた島民がどんなに悲惨な目にあったことか。

そして、そのおろかな戦争に破れた結果、
今も沖縄には「戦後」は訪れていないのです。

私も、だいぶ勉強になった、実り多い慰霊の日でした。