大慈山 乙訓寺(だいじさん おとくにでら)(牡丹) | 広く浅く楽しくゆっくりと

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去年の晩秋に紅葉で光明寺に行った後に立ち寄った乙訓寺

その時に牡丹の寺って知って、牡丹の時期に行こうって思ってました。

 

紅葉の時の記事↓

大慈山 乙訓寺 前編 長岡京市 | 広く浅く楽しくゆっくりと (ameblo.jp)

 

大慈山 乙訓寺(だいじさん おとくにでら)(牡丹)

ネット情報↓↓↓

乙訓寺は京都最古とされる広隆寺(603年創建)と同時期の創建です。

寺伝では、推古天皇の勅願を受けた聖徳太子が開いたと伝わります。

弘仁2年(811)、弘法大師(空海)が嵯峨天皇から任命されて、乙訓寺の別当を務めました。翌年には、伝教大師(最澄)が乙訓寺を訪れ、

空海と密教についての法論を交わしたと記録が残っています。

空海は嵯峨天皇に、乙訓寺の境内に実っているミカンに漢詩を添えて献上したと伝わります。

現在も境内にはミカンの木があります。

延暦三年(784)、桓武天皇がこの乙訓の地に遷都したとき、

京内七大寺の筆頭として乙訓寺を大増築したと伝わります。

長岡京遷都から間もない延暦4年(785)、造長岡宮使の藤原種継の暗殺事件に関わったとして、早良親王(桓武天皇の実弟)を乙訓寺に幽閉しました。

親王は身の潔白を訴えますが、淡路島へ流罪になり、道中で絶命していまいます。

その後、天皇の周りで不幸が相次ぎ、早良親王のたたりと恐れた天皇はわずか10年で都を長岡京から平安京へと遷都したともいわれています。

 

 

日限地蔵尊のお堂

 

本堂

 

弘法大使象

 

鐘楼

 

ここからはひたすら牡丹の写真です。

 

牡丹見てたら奥から鳥の鳴き声が・・

可愛いラブ

 

乙訓寺の牡丹、いかがだったでしょうか。

ご覧いただきありがとうございましたうさぎのぬいぐるみ