勝龍寺城公園 後編 | 広く浅く楽しくゆっくりと

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勝龍寺城公園 後編です。

全く前知識無く行った場所なのでネットで検索しながらUPさせて頂いてます。

実は私、明智光秀の最後を知らなかったんです笑い泣き

ここにたまたま行って知る事になりました。

 

ネット情報↓↓↓

勝龍寺城は暦応2年(1339)、足利尊氏の命により細川頼春によって築城されました。

 天正6年(1578)、明智光秀の娘、玉(後のガラシャ夫人)が、細川忠興に嫁ぎ、

2年間、この城で幸福な新婚時代を過ごしました。

本能寺の変の後、山崎の合戦では光秀がこの城に本陣を構えました。

 勝竜寺城公園は平成4年(1992)、勝龍寺城跡に造られた都市公園で、

「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。

 

 


櫓の中は休憩所でした。

 

 

 

ネット情報↓↓↓

1578年(天正6年)8月、織田信長の仲介を受けて、細川藤孝の嫡男・忠興と明智光秀の三女・玉子(お玉)がこの城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされています。

勝竜寺城公園内にはふたりの銅像が建てられています。

 

 

 

 

 

光秀出陣テラス

 

勝龍寺城の北西隅から北門跡が見つかっています。

枡形(ますがた)といって四角い空間を作り、

進路をワザと折り曲げて、敵を横や後ろから攻撃する工夫が仕組んであります。

ちなみにこの北門から、山崎合戦に敗れた明智光秀が逃げたといわれています。

 

 

天正10年(1582)、「本能寺の変」により主君・織田信長を討った明智光秀は、

この勝龍寺城を拠点とし、羽柴(豊臣)秀吉を迎え撃ちます。

圧倒的な秀吉軍の軍勢を前に、「山崎の戦い」に敗れた光秀は勝龍寺城に退却し、

最期の夜を過ごしました。夜中のうちに城を脱出し、坂本城へ向かう途上、

落ち武者狩りに討たれて絶命しました。

 

光秀ファンなら皆さん存じてるんでしょうが、

私は歴史小説に出て来る武将の1人としてしか思って無かったので

本当にいい勉強になりました。

 

最後は紅葉で締めます。

 

勝龍寺城公園記事にお付き合い下さりありがとうございました。

 

 

 

ウメ

最近、素敵だと思う事。。

スマホ変えてから音がすごくいいので音楽にハマってます。

ウォーキングしながら片耳用のイヤホンで聴いてるんですが、

1万歩なんてあっという間に過ぎちゃいます。

藤井風さんとか髭男とかが1番よく聴いてますラブ

ずっと真夜中でいいのにの「綺羅キラー」とかもお気に入り!

みなさんは最近どんな曲聴いてますか?

 

 

 

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そりゃあスキーやりたいけど、お金と時間かかる(笑)