社会人になって、2週間が経とうとしてる。

色んな方に研修してもらって、

来週から実験に入るそうな。

(この感じで大丈夫かいな、、、)

という事で、

基本的な実験の原理を復習しているところ。

 

(あっ、そういえばプロフィール変えなきゃ。もう学生じゃなくなったもんね。笑)

 

主席研究員の方との研修で、

前のラボとか前の前のラボのこととか色々思い出してしまって。

心が揺さぶられたなぁ。

(まあ無理もないよね。わたしの20代のほぼ全てそれらの環境で過ごしたのだから。

大学研究の実態を目の当たりにして、色々思うところがあった)

 

統計の仕方とか、すごく耳が痛かったし、

今の日本の大学の研究では、

もうノーベル賞級の研究は出来ないんじゃないか、とか。

 

今の日本は、

『すぐ役に立つ』研究

ばかりを求めていて、

そういうところにお金(科研費)が流れるようになっている。

 

しかしながら、

『すぐ役に立つ』というのは、

『すぐ役に立たなくなる』ということと

表裏一体なのである。

 

そして、これは今まで複数のひとに聞いた事だが

「大学が独立行政法人化してから、大学の研究の質は下がった」

と。

 

要するに、科研費の申請と大学の雑務に時間を割かれてしまい、

満足に研究できていない現状なのだと。

(これは、前のラボで身に染みた。だから私は、日本の大学で研究することは一旦諦めたのだ)

 

言葉に言い表せない気持ちが、まだ心の中を渦巻いている。

 

データでも、大学で研究する人はやはり、

『どれだけ綺麗でインパクトのある、チャンピオンデータをとるか』

ということを意識してしまいがち。

だが、企業においては、

『どれだけ安定的に再現性のある実験系を組み、安定的なデータがとれるか』

ということが求めれる(はずである)。

 

したがって、

『いつまでも大学のラボの体質を引き摺ったままいるなよ』

と言いたい。

(誰に?)

(というのも、私の配属先に、私が脱した大学のラボ体質の人が、かなりいたからだ、、、)

 

(前の大学で、論文を書く際に、

嘘を書いてまで、再現性のとれないデータをのせてまで

論文を投稿したくなかった。

そこが私の最大級の葛藤・ジレンマである。)

 

『自分の手技が綺麗で、あの人が下手なだけ』

って、そんな言い訳が許されるとでも?

 

『せっかくあの異様な体質の環境から脱出したとおもったのに、

結局また、あんな体質の環境で働くのか、、、』

と一種の絶望を感じた。笑

 

なんだろう。

わたしのやりたい事と、働きたい人・環境って

交わらないのかなぁ。。。

 

どこにいっても、結局は人間関係なのか?

 

もうほんとにめんどくさい。

こんな気持ちになるなら、

いっそのこと感情なんていらないのか。。。?

 

何はともあれ、せっかくの新天地。

やれるだけやってみて。

そのあとはその時考えよう。

 

才能や特別なものがなくても、

『自分にとっての幸せ』を追求して、生きていきたい。

生きてたら、身体が自由に動くだけで

まずは幸せなんだよ。