結局、直接の知り合いに本心を語りかけることには限界があるのか。
まぁいいや。嫌いじゃないし。
どうでもいい情報が氾濫しているが、必要な情報を選ばなければならない。
価値とは何か。
価値とは欲しい人が欲しいと思う気持ちのことを指しているのだろうか。
感情の問題なら不変なものは少ないだろうことが簡単にわかる。
なくはないだろうが。

そろそろ仕掛けて行こう。
回収をはっきりさせて、投資を行っていく。
深夜の午前三時から五時ごろまでの時間帯、「誰かいないかな」と思うものの、大体誰もいない。

どういうことかというと、twitterやらskypeやら、インターネットを介して人とつながるツールはあるものの、誰も情報を更新していなかったり、ログインしていなかったりで、誰もいない状態になっている。

そうすると、つまらない。

つまらないのは、その反面ありがたいことでもある。落ち着いて長文のウェブサイトを落ち着いて読めたり本を読めたりするからだ。つまらなくないかぎり、どうしても楽しい方に逃げてしまう。

人生は過程であり時間は有限であるが、その貴重な資源をしばしば無駄にしてしまう。

I must do things that I have to doとはいつも思うのだけど。

この人生はどこに向かっているのだろう?どこに向かっているのかわかる人生もなかなかないのかもしれないけど。

一人は嫌。面白い方がいい。質は高く。エスプリとは何ぞや。エスプリがある?人と一緒にいたい。

不安に思いすぎているだけかもしれない。思考が足りないような気もする。人と比べるのではなく、自分が納得できるレベルを追求するべきである。

しなければならないことなんてないし、生きなければならないレールなんてない。不安に思うことはない。過程を楽しめばいい。

思考と準備。これが今の自分に必要なことなのだろう。そのためにも書く必要がある。言葉にして、曖昧だったものを明確にして浮かび上がらせる作業として、書く。

誰のためでもない。自分のため。

残った文字は、思考の記録にもなる。過程の記録。言葉とは思考を留めるピンである。
結局

人間の深さってなんだろう?

人間は、何を期待して人間と一緒にいたいと思うんだろう。
いい経験といい思い出が、いい関係を作る。
一緒にいて、「いい思い」をさせることが、いい関係をつくるのだろう。
期待するより、期待されるようにならなければならない。どうやって。
どういうときに、一緒にいたいと思うか。

一緒にいて楽しい、と思われる。
一緒にいて落ち着く、と思われる。
一緒にいて安心する、と思われる。

相手にイニシアチブを握られるのではなく、こちらがイニシアチブを握る。
相手に、楽しい、落ち着く、安心する、を与える。

結局、夜思い出すのは俺の方。
頼りない三日月 月明かり あの人を連れてきて

ドリカムいいなぁ。

精神的なつながり、という根本的なところから離れてはいけない。

喋りすぎる癖を直さないといけない。
俺は正直、うるさい。これは欠点だ。直さないといけない。

何のために生きてるのか。
結局、理由なんてない。
死ねないから生きてるだけ。
もうやだ。
なんだか疲れた。

男がいない生活がこんなに辛いなんて。
自分で思ってたより相手に依存していたのだと、今さらながら実感。
相手が楽しそうにしていると、余計に辛くなる。
自分は一人では生きていけない。一緒にいてくれる男が必要。
次ができたら、もっともっと大事にしよう。
一人で生きていくのは辛い。
しゃべらない男が好きなのに、しゃべってくれないと怒る。
木曜日の夜に別れてから、5日が経過した。

今日、昼寝をしたら元彼が夢に出てきた。
夢の中で、古びていて高そうな、A3サイズくらいの大きく厚い本をくれた。
その中に、すごく複雑な感情だ、と言ったようなことが書かれてあった。

彼氏には、「もう好きじゃない」という理由で振られた。
俺の支えにはなりたいし、友達としては仲良くなりたいのだと。
「俺に疲れたんだな」ということをなんとなく悟った。

兆候はあった。
手をつないでくれなくなった。
セックスの回数が減った。
そもそも会う回数が減った。
メールが適当になった。

もう好きじゃないんだろうな、とはわかっていた。

何せ、この理由で振られるのは2度目である。
前にも別の男に、同じ理由で振られた。

今回は上手くやりたい、と思い反省点は活かしたつもりだった。
しかし、上手くは行かなかった。

コミュニケーションをとろうと思った。
でも、言葉によるコミュニケーションは上手くいかなかった。
大事なのは、「何を言うか」ではなくて、「何を言っていないか」なのかもしれない。

相手は、俺と何もしない時間を欲しがっていたのかもしれない。
相手は俺に全てを合わせてくれた。
俺も相手に合わせるつもりだったけど、相手が何を欲しているかがわからなかった。
もしかしたら何も欲していなかったのかもしれない。わからない。

相手は俺に多くを与えてくれた。
俺は何を与えることができたのだろう?

「もう好きじゃない」という理由はもう懲り懲りだ。
こう言われないためにはどうすればいいのだろうか?
何が悪かったのか。
いわゆる3カ月の壁、という、恋愛感情が盛り上がる期間を過ぎた後は、どのようにして一緒にいればいいのだろうか。

無言の時間の過ごし方を知るべきなのかもしれない。
どうしても話をしてしまうのかもしれない。
一緒にいて、話はしないけど、居心地はいい。
そんな環境の作り方を知るべきなのかもしれない。

「どこか行こう」「何かしよう」「何か話そう」だけではなく、
「一緒にいよう」が必要なのかもしれない。
そこでは何もせず、何も話さず、一緒にいて、なお且つ居心地を良くする必要がある。

それにしても淋しい。
夢にまで見るのに、連絡さえできないなんて。
愛は空気のようなものだ。
そこにあるときはその存在を当然だと思っているけど、それがなくなると苦しい。
誰かがもう言ってそうだけど。

彼氏と別れた。というか、フラれた。

わかっていなかったといえば嘘になる。兆候はあった。
ただ、やっぱりさみしい。

全然日にちが経ってないのにすべてが懐かしい。
あの大きな腕も、低い声も、優しい目も。
そこにあってほしいのに、ない。

「もう好きじゃない。」

この理由でフラれたのは、これが初めてじゃない。
たぶんおれがもっと愛情を与えるべきだったんだろう。疲れたのかもしれない。
求めすぎてて、それに応えようとして、疲れたのだろう。
相手と話そうとしたけど、相手が話すタイプじゃないと、話す、っていう手段は使えないのだろう。
向こうがおれに会いたい、という環境を作り出して時間をかけて過ごすことと、相手の考えていることをこちらなりに想像するしかないのかもしれない。