重い。けど、とても具体的なのでそこまでは重くないかもしれない。


もう帯に書いてあるので書いちゃうけど、母親を刺した場面が冒頭に出てくる。

その時点で刺した理由を推測し始めたけど、全然違ってた。

てっきり母親とべったりでいることの異常さに気づいて衝動的に刺したんだと思ったんだけど、そう読むっていうことが自分と母親の関係を反映していたことに気づいて穴があったら入りたくなった。

冒頭の場面だけを読んで、「なぜ刺したのでしょうか」と聞いてみたらものすごく多様な答えが出そうな気がする。


私と母の関係もたいがい歪んでいるけど、あまりにもありふれている。

というか歪んでない母娘の関係ってあるのかしら?

尊敬しすぎるか見下しすぎるか依存しすぎるか憎むか、もっとバリエーションはあるかもしれないけど結局健やかな感情しかない関係なんてほとんどないんじゃないか?

しかもどんなふうに歪んでいても情があるのでそれがまたややこしかったり

。そういうの含めて全部かかえてなんとかやっていくしかないんだけど。という意味ではこの話の主人公二人はちょっと子どもすぎる気がしなくもない。


主人公の一人、みずほの、友人たちを見下す視線がまるで私みたいで、はたからみると本当に感じ悪い。でも見下していても好きだしむしろその子達みたいになりたいと思っていて、でもなれないから見下すことで自分を保たないとやっていけない、ほんとややこしい。

見下されている友人たちと見下しているみずほはコインの裏表みたいなもので、見下すか羨むかどっちかに足場をおいていないと立っていられないからとりあえずどっちかの位置を決める。

でもどっちが上とか下とか、本当はないんだよね。どっちも持っていて、そのうち片方しか「持っている」とは言えないから一応決めてるだけだから。

見下すポーズで羨んだり、羨むポーズで見下したり、忙しいなあ。


もう一人の主人公が、あまりにも私とかけはなれすぎて全く共感はできないんだけど、母親を全く疑わずにいられる、というのは素敵なこととは限らない、というよりすごく危ないことなんだということを見せてくれた。

ほんの少しでも母親と自分の意見が食い違う可能性を考えていれば、きっとあんなことにはならなかったのに、という。


母を信頼するということを早くに諦めてしまった娘からすれば、娘を無条件に肯定する母親はどうやっても手に入らない夢のような存在だけど、母と娘であっても必ずしも同じ考え方をするわけではない、とういことを大人になるまでに気づかせることもまた親としての責任だよなあ。

その塩梅はこれって決まっていたら楽だけど、楽じゃないから面白いっていうのもあるんだろうな。


何が書きたかったのかわからなくなってきた。。。


しかし辻村深月の描く主人公(この本ではみずほのほう)が、私と似すぎていて読みながら気まずい。というか、ああやめて私の恥ずかしいところ書かないでわかってるから!ってなる。でもきっとまた読むだろうな。