"Let me die instead" がもう一回来るかと思ったら来なかった。”Look down”は2回出たのにね。
なんかいろいろ主題が絡み合っていて複雑。
「それでも愛されることを夢見ずには生きてゆけない」とか、
「ゆるされた人間でなければゆるすことができない」とか、
「平等は死ぬまで訪れない」とか、
「唯一つの絶対の真理に依って立つ人間は脆い」とか、
そういうテーマがごちゃごちゃと混ざり合っている。
一体この作品のバルジャンはどのようにコゼットを愛していたのだろうか?親のように、兄のように、恋人のように?それはきっと彼にしかわからないし、誰かに言葉で説明することなど不可能な種類の愛し方だったんだろう。それでも、憎しみに満ちた心を赦された彼が彼を許さずに追い続けたジャヴェールを赦し、コゼットとマリウスの幸せを支えられたということは救いなんだろう。
コゼットとマリウスがあまりにも衒いなく幸せそうなので腹が立ちそうになったけど、考えてみたら彼らが悪いわけではなく、悪いところがあるわけじゃない人たちにもランダムに不幸が訪れるとうことがミゼラブルなんだた、と。でもやっぱりマリウスはちょっといやだ。個人的にエポニーヌに感情移入しすぎたせいもある。でも、コゼットと会えないからもうどうでもいいみたいに投げやりな行動をしたせいでエポニーヌが犠牲になって、しかも愛してもないのに死ぬ前の人間に優しくするっていうのはただの自己満足で優しさでも愛でもないと思う。そしてエポニーヌの「You are here, that is all I want」には共感しすぎてもうなんか目から汗が。
私もそういう愛し方をしたい、って思うけど、なかなかその境地は遠いのだ。
ABCの友のリーダーがかっこよかったけど名前がわからん!
ガブローシュは出てきた瞬間にこの子絶対死ぬわーと思ってたけどやっぱり死ぬときは泣く。子ども死なせるのはずるい。って原作もなんだけど。
ちょいちょい神の話が出てくるけど、信仰が違うのでそこはなんともいえん。結局、目の前にいる誰かに自分の存在をゆるされるっていうことが一番強いような。
愛を信じたがために堕落せざるを得なかった人間と、幸運にも信ずるに足る愛を見つけた人間の間に大した違いがないということがなんともミゼラブルではある。
ラストシーンはたぶん感想が分かれるのかと思うけど、やっぱり明日が来るということを希望に満ちた言葉で歌い上げる彼らが全員死人であるということは無情なんだと思ってしまう。それでも彼らと何らかのかかわりのある二人が幸せになれたということは、死者への救いでもあるのかもしれない。
ジャベールの脆さは、自分の目に見える・手で触れられる人との関係性の希薄さからきているとも読めるので、結局目の前の人とのつながりほど強いものはないということなのかもしれない。
全体的に早足だけど、文庫で全5巻をこの長さにしようと思ったら仕方がないのかな?
ヒュー・ジャックマン素敵すぎて卒倒しそう。
ところで、当時のパリの下水道に外傷のあるまま浸かったら感染症で死ぬんじゃ?と思ってしまう職業病(しかも生半可な知識)。
誰も悪くなくても、それでも無情はランダムに訪れる。
それでも、誰も責めずに生きてゆく、ということが私たちを人間たらしめる方法なのだと思う。