幸せに笑って泣ける。ネタバレ含むけど古い映画だからいいよね。


アルフレードが渋くてかっこよくてメロメロ。

少年のトトがもう本当にかわいい。何かを純粋に好きになるって、この年頃までしかできないと思う。それまでに何かを見つけられるってとても幸せなことだよね。

またトトが青年になるととってもセクシーで、壮年になるとアルフレードとはまたちがう枯れた渋さで、何度おいしいんだっていう。


田舎に生まれてそこを出ていく、っていうことを経験していないからそれに憧れているせいもあるかもしれないけど、トトのために(「ために」なんて本人は思っていなさそうなところがポイント)故郷を離れさせるアフルレードが素敵すぎる。

トトの乗った列車が発車して、真っ先に立ち去ろうとするシーンはたまらないものがある。


お母さんがやたら息子をひっぱたくのはちょっと気になったけど、でもこの時代に夫がいなくて父親と母親の役割を一人で果たさなくてはいけない苦しみがとても感じられた。

全てを捨てて行った子どもが帰ってきたとき、それでも子供の正しさを信じていたって言えるのは、きっと息子だからなんじゃないかな、とは思ってしまったけど。完全に私情です。


この映画はサルバドーレがひとりで立つところまでで終わるんだけど、そこで終わるところが彼はこれからどんな人を愛してどんなふうに誰かと生きていくんだろう、ということを想像させるのでとても心地良い余韻が残る。


ああ、本当にいいもの観たなあ。


余談だけどなんだか気になったのは「俺の広場だ!」って言い続けるホームレスの彼。この時代の地域コミュニティは、狂気を多少揶揄しながらも包含していたことが感じられた。彼のことを白痴って書こうとしたら「はくち」では変換できなかったんだけど、なんていうかそういうやり方のほうが排除しているんじゃないかと思う。確かにその言葉を差別的に用いる人もいるけど(というか日常会話で口にするときは大概そうかもしれないけど)、そういう単語を制限するだけじゃ根っこにある意識は変わらないしただのいたちごっこだよね。

障害を障がいにしても障碍にしても、子供を子どもにしても、きっと変えなきゃいけないところはそこじゃない。その言葉で不快になる人がいる限りは使うべきじゃないんだろうとは思うけど、結局また新しく不快な言葉を作り出す人が一定数いるように思われる、というこの状況がおかしいんじゃないかと思ったりでもそれは私の勝手だったり。実際この時代だって地域が包含しきれない人がどんな扱いを受けていたかと考えると恐ろしいわけで。

特に結論はないのに長い余談でした。