「父の」というあたりにジェンダーを感じてしまうあたり、私はまだまだなんでしょう。


「父」にとって、ある時は息子でありある時は娘であり、また子どもであり大人であったということについて、自分としては複雑なものを感じながら、それもまた私が人の子であるということなんだな、と感じつつ。


貧しいと人が小さくなる、ということは、現代では経済的な豊かさに関わらずみんな貧しくなっているんだろうと感じたり。

私が過ごしてきた時間の中で、自分の射程を拡げてくれるような関係は書物の中にしかなかったな、とか。

昭和の父と子の関係が教育の拡大であったとしたら、平成の父と子の関係はどんなものなんだろう。私個人について言えば、両親とも高等教育を受けた人ではないので昭和に近かったかな、とも思うけれど。


抑えつけられるような情愛には若干覚えがあるな、なんて。


私は実の親の元で育ったけど、それでもやっぱり大人と顔色を窺うようにして育ったし、今でもそこから抜け切れないところもある。

まあ子どものころにいわれたことも関係しているのかもしれないし、そうでもないかもしれない。


でもやっぱり、「ジェンダーの関係しない関係」って不可能よね。

ジェンダーとセックスの絡み合いかたってほんと複雑、どこまでがセックスでどこからがジェンダーかって、線引きが難しすぎる。女だから敏感なんだろうって言われればそれまでだけど、そういう言い方自体ジェンダーに影響されてるっていうね。


自分の父親像というと、理不尽なことでいきなり怒る、っていうのが一番大きいかなあ。でもそういう理不尽な人が世の中にはいるんだという意味では勉強になったこともあったり。

別に完璧な存在でなくても、子どもは勝手に学ぶのよね。




って、どんどん本と関係なくなってきている(笑)