「青い眼がほしい」でも「スーラ」でも登場人物の誰にも理解されなかったそれぞれの事情に触れたミルクマンはいったいどうするのだろう、と思ってたらやっぱりそうなるよね、という終わり方だった。


以下モロネタバレ。


バイロットの死は自ら選んだものなのかギターの失敗なのか、とあとがきでは問うていたけど、私はパイロットは死を受け入れる準備は出来ていたけど自ら死を選んだわけではない、と思っている。

死を受け入れた瞬間に死が訪れるということそれ自体がパイロットの魅力なんじゃないか、という気もする。

ギターは自分が誤射したことに戸惑わなかったのではなくて、ミルクマンを殺すことしか考えていなかったんじゃないか、とも。そして、パイロットの死に向き合った後のミルクマンと「初めて出会って」、「これは俺の大切な友達だ」と感じたんじゃないか、なんていう見方もありじゃないかなーと。

でも置いて行ってしまうのね。飛んで逃げたりしてはいけないのに。


何かに囚われるということはたしかに他人に迷惑をかけるかもしれないけど、何にも囚われずに飛ぶことができるっていうのもまた残された人を悲しませる。

どこかの土地(土地じゃなくてもいいけど)に結びつきながら、誰も縛り付けずに生きるっていうことはできないのかしら。


とか書いてたらパウロ・コエーリョの「11分間」につながりそうだ。

「所有することなしに所有されるような愛し方」っていったいこの世にあるのかしら。