だいぶ前のオール讀物に載っていた篠田節子の作品。
人が生きていくために必要なよろこびって一体なんだろう、と考えさせられた。
嗜好品とか娯楽とか、今私自身が生きていく上では欠かせないものになってしまっているけど、そういうものから遮断された世界で、私は一体どんなよろこびを見出せるだろうか。
人間にとっての根源的なよろこびは、きっと他者となにかを交換することなんじゃないか、と思ったり。
もうレヴィナスにはまってから全部そっちいっちゃうのね、わたし。
と自覚しつつも、やっぱり他人と言葉を交わしたり言葉以外でも何らかの意思疎通をしたり肉体的に触れ合ったりその結果何かが生まれたり、というのはきっとさかのぼりきれないほど昔からある快楽なんだろうと思う。
かといってこの物質的に恵まれた社会でその根源的な快楽だけで満足できるかというとそうではないところが人間の業の深さってやつなんでしょう。
きっと自分だけのひとと触れ合って新しい命を生み出す以上の快楽はないとは思うけど、生み出した後をめんどくさくする制約がありすぎるような気もする。そういう制約も社会的な要請から生まれてきたものだろうから一概になくせばいいというわけではないところがまた面倒くさいのよね。
一体自分が何を欲しているのかわからない、今大事だといわれていることが自分にとって大事だと思えない、という時に読むと何か感じるものがあるかもしれない。