サリンジャーは村上春樹訳のライ麦畑しか読んだことなかった。

吉田秋生と攻殻機動隊の元ネタがつまっているということで。


全編とおして、話が終わらないのよね。ほとんどの話が現在のこととしては語られない。

続きを考えてしまって止まらないし、終わり方も幾通りも読み取り方があったりして、なんというか刺激的。

文章自体はさらっとしてクールなところがまたかきたてられるというか。


「バナナフィッシュにうってつけの日」

シーモアはいったいどんなふうに考えていたのだろうか、と考えてしまう。

ミュリエルと母親の会話とラストシーンだけだとわかりやすくなってしまうんだけど、その間にシーモアの会話があるので、それが読者の描くシーモア像を混乱させる。もちろんサリンジャーはそれを狙っていると思う。


「コネティカットのひょこひょこおじさん」

ラモーナになったりエロイーズになったりメアリ・ジェーンになったり忙しかった。

最後のエロイーズの台詞を、きっと10年後の私も20年後のわたしも言い続けるんだろう。

で、ひょこひょこおじさんは誰?


「対エスキモー戦争の前夜」

ジニーとは男の好みが合いそうなので、友達にはなれないかもしれない。

妙なところに惹かれてしまうのよね、困ったことに。


「笑い男」

私はオンバに感情移入してしまって、とてもやるせない気持ちになった。

とても大切な人の支えになれなかった彼はどうなってしまうのだろう。

一体誰が主人公なのかわからないこの書き方がやみつき。


「小舟のほとりで」

意味がわからなくても、そこに込められた気持ちがなぜかわかる、というちからが大人になるにつれて失われていく気がする。

そして自分が気付かなくなるにつれて周りもわからないはず、と思ってしまう自分を反省したりして。


「エズミに捧ぐ―愛と汚辱のうちに」

愛と汚辱という言葉から私の連想するもののなんと貧困なことか。

最後の一文は、淵まで行って(壺に入って、でもいいけど)戻って来られた人からしか出てこないんじゃないだろうか。


「愛らしき口もと目は緑」

あーはいはい、なるほど、と思って読み進めていたら、終盤で「え、どういうこと!?」と混乱をきたした。

してやられている感がなぜか快い、ということがなんだか悔しい。


「ド・ドーミエ・スミスの青の時代」

ああ、青いね、若いね、と思いながらいつのまにか引き込まれ、終わってみたら、え、最初の話は?とまた冒頭に引き戻される。にやにや。


「テディ」

この話だけが、現在形で語られ、終わりを持っている。

でも、次数が違うから他の八編と同じ次元では捉えられないともいえる。

なんかラカンとか異邦人を連想した。


一冊読み終ると気が付いたら戻って来れなくなっていて、くそうサリンジャーやってくれたな、という感想。