誰もいない
<2024年5月2日>
の続きです。
『金華山黄金山神社』とは…
「今から凡そ1270年前、聖武天皇の御世 天平21年(西暦749年)に、陸奥の国守百済王敬福が朝廷に黄金を献上しました。大仏建立に黄金を必要としていた天皇は大いに喜ばれ、年号を天平勝宝と改められました。」
と㏋に説明がございます。
あら
「1270年」=『127』ですって!
このブログのために詳細を調べたところ、
㏋で発見してしまったのですが、
実際に行った2024年5月2日の時点では、
気がついていなかったのですよね。
こうやって、後から後から
「やっぱりお役目だったのね!」と
確定されていくこともよくあります。
そして、日本ではじめて金が産出された地であり、
金銀財宝の守護神である『金山毘古神』『金山毘売神』を祀り、
神社を創建したのだそうです。
このことから、金運の御利益を求めて参拝に来る方が多く、
3年間?毎年参拝すると、一生お金に困らないなどの
ジンクスがあるとかないとか![]()
船着き場から送迎バスで神社まで上がってきたのですが、
実は一巡目のバスには乗れず、二巡目のバスで来ました。
そのためか、一巡目の方々は、
すでに参拝順路を先に進まれたご様子で、
私たちが着いた時には人がいなくなっていて、、、
「お人払い」をしていただいたように感じました![]()
神仏習合の時代には、
辯財天 (べんざいてん)を守護神として、
別当寺を金華山大金寺と称し多くの信仰を集め、
女人禁制を敷いていたそうです。
この時はまだ、「お役目」と言っても、
この旅の具体的な動機が分かっていたわけではありませんが、
これを書いている今(2025年12月)、
辯財天 と聞いて「もしかして、そういうことなの??」と
僅かに点と点が結ばれていく気配を感じています。
このことはいずれ、伏線回収できたらいいなと思いますので、
首を長ーく待っていていただければと思います![]()
そもそもなぜ、『金華山黄金山神社』に行くことになったのか?
青森の旅もそうだったのですが、
保江邦夫先生の著書に書かれていたのがきっかけで、
「次はここに行かなくては!」と言うか、
~しなければならないという形とはちょっと違うのですが、
私の頭の中に「次は〇〇」と、
ポン!と急に浮かぶのです。
今までもそうでしたし、
まずはじめに私の頭の中に場所が浮かび、
それを後押しする状況が整っていくと
お役目が発動するイメージです。
おかげさまで、初夏のやわらかな太陽のもと、
ご神気をたっぷりと感じることができました。
あれよあれよと形が変わってしまいましたが、
お空には何とも言えないカタチの雲が!
と、空を眺めていると
中から太鼓の音が聞こえてきました!
続きます。
<過去記事です>






























