内田樹は、不思議な人だ。フランス思想研究が専門の大学教授だが、いわゆる“象牙の塔”の人ではない。武道や映画にも詳しく、いま起きている社会問題について一般の人たちにわかりやすく解説する本も多数あるしブログも超人気。かと言って(私のような)タレント文化人とも違い、全体としてはリベラル派だが特定の政治思想を主張するわけでもない。つまり、専門的な知識や経験に基づいて言うべきことはしっかり言うが、決して声高ではなく、その姿勢に計算や私欲もないのだ。こんな人、いまの日本にはまずいない。
だから、多くの読者や編集者が「内田さん、この問題についてどう思います?」と意見をききたくなる。今回は、教育論だ。
『街場の教育論』での著者の主張は、はっきりしている。教育は結果が出るまでに時間がかかり、かつ空白が許されない性質を持つものなので、「教育改革」などという名のもとに、一気に変えることなど不可能だ。今ある制度、今いる教員をうまくやりくりしながら、少しずつ良い方向に進めていくしかない。ビジネスの論理まで持ち込んで教育現場を批判ばかりして、教師のモチベーションを下げるのは、まったくの逆効果。
こういう前提に基づいて、では学校とは何か、学ぶとは何か、といった話が繰り広げられていくのだから、昨今の市場主義的教育改革派にとっては、ひっくり返るような話も多い。たとえば、子どもたちに最初に教えるべきはいかに助け合い、支援し合うかであるのに、他人を蹴落(けお)とす競争を強化ばかりしているから、学力は向上せずに下がり続けるのだ、と著者は言う。「学力テストの成績を公開してもっと競争を」と主張している人たちに読ませたいものだ。ほかにも、教師は教え込まずに踊り続けよ、そして生徒を葛藤(かっとう)させよ、学びとは教師や先達と出会って「離陸すること」だ、などビジネスとはまったく違うシンプルな教育や教師の本質が語られる。
あたりまえといえばあたりまえだが、誰もなかなか口にできない。そんなことをさらりと言ってのけられる内田樹の意見をもっとききたくなった人には、エッセー集『昭和のエートス』をおすすめしたい。表題のエッセーは、「昭和人」を「昭和という時代を作り出し、生きた人」と定義して、自らの父親の話も重ねつつ語られる時代論。「彼らの負託
に私たち子どもはただしく応えることができなかった」という後ろめたさと、「私たちがこのような日本であることを選んだのである」というあきらめと自負。そのあたりの複雑な心情が、この稀代(きだい)の言論人
が生まれる源泉となったと見たのだが、どうだろう。
『昭和のエートス』には、「頭を冷やすことの大切さ」と題されたエッセーもある。頭を冷やし、あくまで現実を見すえながら、悲観論
にも楽観論にも陥らずに発言する。内田樹は不思議
な人だと冒頭で述べたが、実はもっともあたりまえの人なのかもしれない。あたりまえの話をしてくれる人があたりまえではなくなっている今の世の中
、彼の登板回数
はますます増えそうだ。