僕の母はすごい人だった。「J R勤務の父を辞めさせた編」 | Issei世界旅人

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先日母の家にお邪魔してきました。

両親は僕が幼い時に離婚していて別居。

家から1時間くらい離れたところに住んでいます。

年に2回ほど遊びに行く感じだけども

お互いに電話番号を知らないので勝手に遊びに行く感じです。

 

今回はとても面白いお話を聞けました。。

大人になってから数十年。。

親は起業家でど田舎では知らない人がいないお店を立ち上げました。

父は高学歴で真面目、そして母は学歴なしのアンポンタン

でも僕がすごいな〜って思っていた全ての行動は

母親のアイデアだったことが今回わかりました。。

 

今の僕と全く同じで全く突拍子もないことを行動に移す。。

きっとそれ以上の行動力やアイデアを作り出す。

 

この街で親のお店の名前を知らない人はいないほど有名で

高齢者6万人の街での知名度は90%以上。

このマーケティングには本当に大人になってから

そして自分がいざマーケティングをし始めてから凄さを感じました。

 

この6万人の街では「。。の息子」と言えば全員がすぐわかる。

それは子供の時からそうでした。

なので悪いこともできません。悲しい。。

 

そのマーケティングや企業も2度ほどしたのですが

全ての考案が母だったということ。

アンポンタンだと思っていたらアイデアマン!

今でいう優秀なコンサルタント兼経営者だった。。

 

昭和43年にJR(元国鉄)で働いていた父と20歳で結婚して企業した母親。その当時の国鉄の給料が月3万円、でも母はその当時1日で3万円稼いでいたという。後、父の国鉄をやめさせて母の事業を手伝うようにさせたという。そしてその事業が傾き始め落ちてきたら次の企業を始めてフェイドアウトする感じで企業。それも田舎では誰もやっていないことだったけども2人とも何の知識もない。。広告を入れたの客は来る。

そんなところからのスタートだったようだ。宣伝も看板、スピーカーをつけて町中を走る。。そのスピーカーの録音音声は僕が小学校低学年の時、300円でやらされたこと。今でもよく覚えているけども、それが莫大な宣伝効果があったという。。選挙以外にあんな車にスピーカーを積んで大音量で走ることなんて違法なんじゃない?って母に言うと「役所に許可をとった。。」と言う。

 

今の時代にどんな女性が旦那のJR勤務を辞めさせられるのか?

私と働いた方が儲かるわよ!手伝って?

そんな女性がいるだろうか??

僕の母だった。。

 

本当かどうかはわからないけども、何かやったもん勝ちという成功経営者の気迫が漂う。。


人はすごくいい。。可愛がられる存在の母親。。


僕はアンポンタンだと今まで思っていたけども

今になって、あの全てのアイデアは母のものだったとわかる。。

 

スゲ〜な。。。

 

母曰く「私があの車にスピーカー、看板のアイデア、お店の企業のアイデアをしたのは私。やってみたらいいんじゃない?って。。父は私が言う全てを受け入れてくれていた。」っと言う。。


めちゃくちゃいい夫婦関係じゃないか。。

マネキンの髪の毛の事業をしていた時に会社名を何か作らなくてはならなかったみたいでつけた名前が

 

T.M.ヘアー

 

初めて聞いた。。。

昭和40年代にこんな田舎でアルファベット?

すげ〜な〜

 

T.M.ネットワークより早いじゃないか!!

 

T.M.の意味は?っと聞くと。。。

父の名前と私の名前!

うお〜ださいーーーい!!

 

でも母からマーケティングを教わる時代がやってきたようだ。。

 

それでは今日も良い1日を!