関東でのアソビノオオカミを振り返って
8/8(月)ライオンズゲートのピークの日。
大船駅近くの大船観音でのことを書きたいと
思います
☆他の日のアソビノオオカミについては、
しろじに紅く剛さんによる超大作ブログ
シリーズをご覧ください☆
この日は、2019年の同じ日にニューヨークの
自由の女神を解放した3人の女性達もそろい、
ご神事は大成功でした!
…が、僕自身の内面はと言うと、大船観音に
近づくにつれて、どんどん不機嫌になって
いきました。
ご神事も終わり、みんな楽しそうに写真を
撮ったりするのですが、僕一人だけ違う
ところにいて、取り残されているような
感じになりました。
帰り道、あっこちゃんやガッキーさんに
「なんかしんどかったなぁ」と話していると、
ガッキーさんが↓のように話してくれました。
「お母さんとのことで、怒りがある気がする。
今のお母さんかどうかは分からないけど」
「女性はどうしても母親みたいに
「あれしなさい、これしなさい」と
言ってしまうことがあるけど、
それが母性や慈愛なら「そんなのいらない」
って思ってるんじゃない?」
ハッとしました!
それまで、不機嫌になった理由が自分でも
分からなかったのですが、確かにこの時
よく出ていた「母性」「慈愛」という
ワードを聞くと何か嘘っぽく感じてしまい、
白けていた自分がいました。
そして、まさにこの日の朝、あっこちゃんと
小競り合いがありました。朝部屋を出る前に、
時間に余裕がなかったため、あっこちゃんが
僕の枕元にあったメガネとスマホをテーブルに
移してくれていたのですが、一緒に置いてあった
ルームキーは持ってくれたものと思い込み、
ロビーまで降りてきたところ
「え?私持ってないよ?」と。
結局、もう一度部屋まで取りに行って、
ロビーに戻ることになりました。
何をどこに置いていて、出る前には何を持って…
と全て段取りが頭に入っている僕にとっては
「余計なことされてペースを乱された」と思えて、
小競り合いに発展しました。
(一緒にいたさとしさん、ご迷惑を
お掛けしました^^;)
思えば、母との関係でも同じようなことが
ありました。小学生の頃からだったと
思いますが、自分の部屋の私物の場所が
少しでも変わっていると、「何か動かした?
なんで?」と毎回聞いていました。
物の置き場所は全て決まっていて、基本は
真っ直ぐに置いて、もし斜めになったり
していたら、何か理由があって敢えて
そうしているので、少しでも変わっていたら、
すぐに分かるのです。良かれと思って、
掃除の時などに動かしてくれたことも
あったみたいですが、どうしても
抵抗がありました。
「自分のことは自分できちんとします。
そんなことよりも、もっと自由に生きたい。
自由に選択して行動した結果を
受け止めてほしい」
母に対しては、そう望んでいたように思います。
それがあまり満たされない環境だったから、
私物のことで妙に神経質になったりしたのだと
思います。漠然とした女性への不信感にも
つながっていたかもしれません。
しかし、外に起きることの原因は全て
自分の内側にあるのです。
〇先回りしてあれこれ考えようとする自我
〇「↑は恐れだから手放すべきだ!」と
否定しようとする自我
〇ありのままの自分がやったことを
認めてほしい自我
…これらを受け止めて、認めて、赦した結果
出てきたのが、幼い頃に母に近所の道で
自転車に乗る練習をしてもらった時の
思い出でした。
母からきちんと愛されていたことを
改めて実感し、胸が熱くなりました。
3世帯7人家族の難しい環境の中で、
母との関係は“守るべき人”や“戦友”という
面が強く、当時のことはあまり記憶にない
ことも多いのですが、このことは他者が
出てこない、純粋な親子の思い出として
結構鮮明に覚えています。
これまで、剛さん・みいこさんに魂の
レッスンをして頂く中で、幼い頃のことや
親とのことは、何度となく消化・昇華
してきましたが、今回「まだその残存が
ありますよ」のサインとして、大船観音での
出来事があったのだと、よくわかりました。
剛さん・みいこさんをはじめ、
アソビノオオカミで一緒だった皆さん、
ガッキーさん、あっこちゃん、
気づかせてもらえて、本当に感謝しています!
ありがとうございました
大峠本番、これからもしっかり
乗り越えていきます!