GWが終わりましたね。東京に戻って来ました・・・と言っても山に籠っていたわけ
ではありませんよ

皆さま、お元気でいらっしゃいましたか
オラクルカードリーダー兼オラクル・ミラクルダンサーMiroです。

今日から、Miroのオラクル・ミラクルダンス(自分ダンス)
のレッスンが始まりました

正しくは、真性オラクルであるMiroと開発する自分ダンス
(ミラクルダンス)
ということになりますか・・・

最近の傾向なのでしょうか、身体との結び付きというのか、身体に対する
意識が落ちている・・・ような気がします


自分で自分の身体を意識できないそんなバカな  と思いますよね 

トラウマ・センシティブヨガの本にありましたが、例えば目を閉じて椅子に腰かけて
目をつぶる。その状態で脚をあげてみると、感じない人は自分で脚をあげている
ことがわからない、と言うそう。

腹筋に圧がかかるから、脚を上げているというのはわかるけれど、これ、結構
どのくらい上げたかはわからないものだ。
自分では、このくらい上げたつもりが、目を開けて確認すると「あれ
状態。
自分でイメージした通りには全然なっていないものだ。

できれば、これは一致した方がいい・・・気がする。
そのために、ダンスはとてもいいツールになる

ダンスの元は、神様に祈りを捧げる・・・が感極まっていった形かなと思う。
だから、自分の気持ちももちろんだけど、何かこう自分のものでないものが
動き出さないと、ダンスじゃないような気がする
・・・変

私が25年前、勇気をもってフラメンコ教室の門を叩き、入門した時、誰もが
「この娘、大丈夫か?」と思ったそうだ。「大丈夫か?」には、「無理だろう」
が含まれていたことは、容易にわかる。
2年後上達したつもりが、他の先生に付けば「何1つ出来ないのね」と。
基礎が全くなってないがトラウマとなり、基礎を必死で探した。
そして、いつの間にか「基礎があるから何をやっても出来るのよね」と嫌み・・・

私の身体は硬い
でも、硬くても踊れないか身体が硬かったら踊ったらダメなのか
硬いなら、柔らかく見せればいいだろと考えた私は、柔らかく見える
動きを研究し、作り出した。
完璧に柔らかい必要はない、柔らかく”見えればいい”のだ。

しかし・・・

いったいそこまでやって、私はどうするつもりだったんだろう
道(武”道”、茶”道”のように「舞踊道」)として、一生追及するため
はてそれだけでよかったんだろうか 今も考える・・・

教えることは素晴らしいこと。でも、難しいこと。
そして、教えている生徒さんが上達することは、何にも増して嬉しいこと。
発見も多く、学ぶことは多い。

なるべく、(踊りたくてたまらないのに)踊れないと思い混んでいる人
に踊って欲しいな・・・と思っている
、おせっかいだけど・・・

私も全然踊れなかった。でも、踊れるようになった(バレエは出来ないけど)。
自分が動きたいようには動けるようにはなった(実はこれが難しい )。

演劇の練習では自分が火になったり、水 になったり、砂になったり
する。感情(怒り、喜び、悲しみ、等)にもなるし、街にもなる・・・。
ダンスは、これとは違う気がする、なんとなくだけど。

表現が何なのか、何を表現したかったのか、したいのかを考え
つつ、それぞれの表現方法を模索していく・・・。

20代前半で、フラメンコの個人レッスンを初めて受けることになった時、
今の私くらいの年齢の先生が「醜いところも見せ合っていきましょうね」
言った。その時は、よくわからなかったけど、今はわかる。

だから、これから自分ダンス、自分の表現を模索していく人、
Miroと一緒にそれをやって行こうと決めてくれた人には、やはり、
同じことを言いたい。
「お互いの醜いところも見せ合って行こうね」と。

だいたい、最初は醜いものです、見た目がですよ。それを恥ずかしがって
何もしなかったら、出来るものも出来るようにならないですものね。
恥ずかしがる必要もないし、何回繰り返してもいい。
繰り返すのが苦手な人(私のように)は、数回で、沢山新しいことをやって
みればいい。

本人のペース。でも、ちょっとだけ難しくて、新しいことに挑戦してもらう・・・。
だから、大人になるまで一度も踊ったことがなくても大丈夫
自分に何が合ってるかわからなくても大丈夫。それをみつけるための
レッスンだから。やってみたければ、自由にチャレンジできる、ラテンでも
オリエンタルでも、アフロでも・・・

今は、そんな感じでやっています
やってみたくなった方は、お気軽にお問合せ下さい。
プライベートでも、お友達とご一緒でも、月に4回でも2回でも、
ご自分の体力と、ご都合に合わせてスケジュールが組めます。

長~い話にお付き合いいただき、ありがとうございました
おやすみなさい

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