スタートは小金宿

北小金駅からスタート

 30度を超える大変な猛暑日でしたが、暑さの中北小金駅9:00集合で、福田村事件講演会実行委員会の委員10名が集まり、白鳥さんの案内でフィールドワークをスタートしました。

 メンバーは実行委員で、流山市議1名と、松戸市議9名でした。超党派で、共産党3名、市民力2名、社民党2名、政策実現2名、立民1名でした。超党派で行動ができるのは素晴らしいと、白鳥さんからも言われましたが、私も同感です。


なぜ殺されなければならなかったのか

 一般質問から始まった関東大震災時の朝鮮人虐殺事件についての2回の講演会や、今回のフィールドワークも、想いは、なぜ朝鮮人というだけで殺されなければならなかったのか、という疑問と、その事実が隠され、いまだに松戸では被害者が追悼もされていないという事に対する怒りです。人間として当然だと思います。


松戸でもあった虐殺事件

 今回は、北小金、馬橋、葛飾橋と松戸の虐殺の現場付近を、当時の現状に思いを寄せ、そして亡くなった方々の痛み、恐怖、悔しさ、無念、を想像しながら歩きました。その時代の背景や、地域の状況などを白鳥先生から詳細にお聞きし、さらに鮮明に浮かび上がらせる事が出来ました。


         万満寺

虐殺は街道沿いで

 白鳥先生の話では、事件は街道沿いで起こっている、との事です。(下記の表参照)

 また、柏でも未遂事件があったが、虐殺を止めた方の子孫がご存命という事で一度お話を伺いたいと思いました。まれに、この様な虐殺を止めようとした人もいて、助けられた朝鮮人もいましたが、何百という群衆の前ではその声はかき消され、多くの朝鮮人が虐殺されてしまったのではないかと思います。

工兵学校の軍人も

 中央公園に、戦前、陸軍工兵学校があり、その軍人が葛飾橋の上で朝鮮人をひとり射殺しています。この葛飾橋は昔の木製の橋で現在はありません。今の橋より少し上流の松戸郵便局の裏あたりです。江戸川沿いの道には、ここから、水戸街道が始まるという石造りの標柱が建っています。

 この事件は、朝鮮人が暴れたから射殺したとして、適法とされています。4月の平形さんの講演では、軍人もたくさん虐殺に関わっているが、ほとんど裁判になっていない、つまり罪に問われていないという事でした。ここには、軍人を別格とする当時(今も)の日本の考えがあるのではないかと思います。

 


 工兵学校門跡(中央公園)にて説明する白鳥先生


一帯は旧陸軍用地だった

 最後は今注目のS字道路を下り、旧葛飾橋のあったあたりまで歩きました。おそらく朝鮮人を殺した軍人もこの道を歩いて降りていったのかなと思います。S字道路のちょうど真ん中くらいのマンションのゴミ捨て場の右端に、小さな石の標柱が立っていて『陸軍用地』と書いてあります。

 昔この辺り一体は陸軍の土地で、戦後それが国有地化され今にいたっています。その名残ですね。そんな歴史を途中に感じながら歩きました。



今年は松戸でも追悼集会を

 最後は江戸川の土手です。旧葛飾橋のあったあたりで、集合写真を撮ってフィールドワークは終了しました。

 歩いている中で、ぜひ今年は松戸でも追悼集会をしたいですねと、話しをしました。

 言われなく無惨に虐殺された人々をいたみ、二度とこの様な差別に基づく惨事が怒らないようにしなければと思います。引き続き実行委員会では、この問題を勉強し、議会でも継続的に取り上げ、松戸市にも追悼集会を主催してもらうぐらいまでやりたいと思います。


        旧葛飾橋辺りで