台所を正式に委譲されたこと。
この8月からこちら、ずっと母は
「メニューが組めない」
「何をどうしたら良いか、わからなくなってしまった」
「昔みたいに作れない、作れる気がしない」
「(冷凍食品中心の献立で)こんな程度しかできない」
と随分台所に立つことにストレスを抱えている様子だった。
その都度、代わりにやるよ、任せてくれていいよと伝えてきたが
基本的には「私がやらなければいけないことだから」と
主導権を譲り渡すことは嫌がっていた。
けれど今日の夕食の席でぽつりと、母はわたしに
「これからは台所のこと、あなたにお願いしてもいいかな……」
二つ返事でもちろん、と答えたけれど、
そのとき言いようのない不安が押し寄せて、動揺した。
ああもしかして、母は、執着を手放そうとしているのか……?
転居に伴う環境の変化(特に近場にすぐ買い物できるところがない)やこころの変化(今夏~買い物にでかけるのがつらい、おっくう)という事もあって、台所に立つストレスは相当なものと推察出来た。そのため常々、わたし含め家族みんなで担うから任せてくれと主張してきた。努力します、という程度でなく実際わたし自身には可能だ。
以前のように家事ができるようになるまでとか、できるようになるはずだとか、そんな期待(依存)は誰もしていないから。母がいまの自分にできること・できないことを徐々にと受け入れて、前向きな諦めをもって、できないことは家族に任せようと思ってくれたら。
そう願っていたけれど、今は「さよならメール」が頭をよぎる。
少しずつ、母が、自分がいなくなってもいいように準備をしているみたいで。
良くない妄想だけれど、とても怖い。
心療内科の先生は、8月から混乱続きで母に疲れが出る頃合いだから年末年始は養生するように、と。
そうして、少し落ち着いて見える頃が一番自殺に走りやすいのだと。
浴室で転倒して怪我を負う父。
2年前にはそういったことは年に1度あるかなきかであったが、特にここ1年のうちに頻発している。特にここ数日は低血圧によるふらつきがひどく、一度の入浴で2度は転ぶ。そして排泄物の汚れで日に2回以上入浴する。手足の骨折で済めばマシ、歯が折れたり打ちどころが悪ければと気が気でない。今日ここに至るまで大怪我を避けてこられたことが、もはや奇跡とさえ思う。
父は入浴介助等の干渉をひどく嫌うため、
どのポイントで転倒しているか把握できていないが
この辺りは早急に片付けてしまいたい。
こんな補助器具があるよ。
こんな箇所に取り付ける例が多いようだよ。
と、母にさわりだけ相談してみるが……前向きに対処に臨めない様子。
うつの症状もあってのことだろう、処理能力が低下していることは本人も認めているので、父とわたしとで直接対決だ。
母には相談という形の報告をしていくことで「このことであなたを無視したり、軽んじているわけではないよ」と伝えるように意識していきたい。
問題は、父が「干渉をひどく嫌う」という点だ。
母が浴室で転倒し怪我でもしようものなら「手すりがいる業者を呼べ」と言い出すだろうけれど、こと自身のこととなると、大丈夫問題ないの一辺倒。
大怪我で寝たきりにでもなれば、そちらのほうが母もわたしも大変だ……程度の脅しは通用しない(気がする)。
母曰く「父が自分で言い出すのを待つしかない」。
父の頑迷さと過去のパターンからも結局そうなるだろうと
わたしも思う、でももう直ぐにでも何とかしたい!
あーもう、なんとかならんか。
2年前にはそういったことは年に1度あるかなきかであったが、特にここ1年のうちに頻発している。特にここ数日は低血圧によるふらつきがひどく、一度の入浴で2度は転ぶ。そして排泄物の汚れで日に2回以上入浴する。手足の骨折で済めばマシ、歯が折れたり打ちどころが悪ければと気が気でない。今日ここに至るまで大怪我を避けてこられたことが、もはや奇跡とさえ思う。
父は入浴介助等の干渉をひどく嫌うため、
どのポイントで転倒しているか把握できていないが
- 浴室と脱衣所を隔てる扉を折り戸にする
- 手すりを増やす(特に扉近く)
- 洗い場に滑り止めマットを敷く
この辺りは早急に片付けてしまいたい。
こんな補助器具があるよ。
こんな箇所に取り付ける例が多いようだよ。
と、母にさわりだけ相談してみるが……前向きに対処に臨めない様子。
うつの症状もあってのことだろう、処理能力が低下していることは本人も認めているので、父とわたしとで直接対決だ。
母には相談という形の報告をしていくことで「このことであなたを無視したり、軽んじているわけではないよ」と伝えるように意識していきたい。
問題は、父が「干渉をひどく嫌う」という点だ。
母が浴室で転倒し怪我でもしようものなら「手すりがいる業者を呼べ」と言い出すだろうけれど、こと自身のこととなると、大丈夫問題ないの一辺倒。
大怪我で寝たきりにでもなれば、そちらのほうが母もわたしも大変だ……程度の脅しは通用しない(気がする)。
母曰く「父が自分で言い出すのを待つしかない」。
父の頑迷さと過去のパターンからも結局そうなるだろうと
わたしも思う、でももう直ぐにでも何とかしたい!
あーもう、なんとかならんか。
8月
「早く家を出た方がいい」「これからひどいことになる」
とある理由(詳しく言いたがらない)から、白い目で見られてる。
これからひどい目に遭う。迫害される、そう繰り返す。
とにかく落ち着きなく家の中を歩きまわる。
「ひどい便秘」
食べると(腹に)詰まるの一辺倒、なぜか水分もほぼ取らない。
食事をほぼとらないまま、3昼夜ほど。真夏、8月に!
医者を勧めたり、浣腸薬を買ってきたり。結局その後胃腸内科へ。
「うつだってみんなに言わなきゃいけない」
「ダメなの」「違うの」「全部だめ」「もうだめだ」
近所の人間や(母の)兄弟に、わたしは鬱なんだっていわないと。
そう繰り返しはじめたのは、盆過ぎ。
急激に痩せたのもあり、盆に実家方であれこれ心配され帰宅。
「すべてを曝け出すだけが真摯な付き合い方ではない」
「親しくも言えないことはある、けれどそれを嘘つきと糾弾されたり、ましてやあなたの人格が否定されるものではない」
そう伝えて、告白すべきかどうか少し考えよう?と勧めるも
心配してくれる人にウソをつくのがつらい。人としてあるまじき行いだと、翌日、衝動的に泣きながら彼らにうつを告白。
ただ、お世辞にも母方の実家の人間は、善意のカタマリではない。
とにかく「大丈夫! すぐよくなるよ!」と連発するタイプ。
今後の干渉が心配……。
「わたしは病気じゃない」「全部ウソだから」
初めて心療内科でうつと診断された4年前、母は
うつであることを受け入れていたようだった。
イライラうつうつしてくると「ヤクがきれた(笑)」と、
(薬の多幸感からかもしれないが)笑い事にまでしていたこともあったが、現在は否定。
うつも、おかしくなったのも、歩きたくなっちゃうのも、全部ウソ。わたしはウソつきだ。
ウソをついていただけだから、わたしはどこもおかしくない、と主張。
睡眠導入剤等、心療内科で処方された薬の服薬を拒否。
9月
3人で心療内科へいく。昏迷状態にある、と医師。
とにかく服薬させること、すこし落ち着いていこうと。
丁寧に話に付き合っていくうちにどうにか服薬を再開。
10月
再び3人で心療内科へ。ここ2・3ヶ月の疲れがでてくるだろうと医師。
薬はほぼ変わらず。このまま様子見をしようとのこと。
「薬なんか飲んでも治らないよ」
「睡眠導入剤はないとこまるから、医者通いは続ける」
だいぶ薬で落ち着いてきた頃にぽつりと。
うつ否定の一部かと思われたが、現在もこの主張は変わっていない様子。
「じっとしていられない」「変な癖ついちゃった」
美容院や医者に行けない、じっとしていられない。じっとしているとツライ。
歩きたくなっちゃう。(それは変なことだから)出かけられない。
そんな風に不安を話してくれる。
「することがない」「つまらない」
12月にはいってぽつりと。テレビにも意識が行くようになった。
本や新聞などはまだ目を通す気にならない様子。
「早く家を出た方がいい」「これからひどいことになる」
とある理由(詳しく言いたがらない)から、白い目で見られてる。
これからひどい目に遭う。迫害される、そう繰り返す。
とにかく落ち着きなく家の中を歩きまわる。
「ひどい便秘」
食べると(腹に)詰まるの一辺倒、なぜか水分もほぼ取らない。
食事をほぼとらないまま、3昼夜ほど。真夏、8月に!
医者を勧めたり、浣腸薬を買ってきたり。結局その後胃腸内科へ。
「うつだってみんなに言わなきゃいけない」
「ダメなの」「違うの」「全部だめ」「もうだめだ」
近所の人間や(母の)兄弟に、わたしは鬱なんだっていわないと。
そう繰り返しはじめたのは、盆過ぎ。
急激に痩せたのもあり、盆に実家方であれこれ心配され帰宅。
「すべてを曝け出すだけが真摯な付き合い方ではない」
「親しくも言えないことはある、けれどそれを嘘つきと糾弾されたり、ましてやあなたの人格が否定されるものではない」
そう伝えて、告白すべきかどうか少し考えよう?と勧めるも
心配してくれる人にウソをつくのがつらい。人としてあるまじき行いだと、翌日、衝動的に泣きながら彼らにうつを告白。
ただ、お世辞にも母方の実家の人間は、善意のカタマリではない。
とにかく「大丈夫! すぐよくなるよ!」と連発するタイプ。
今後の干渉が心配……。
「わたしは病気じゃない」「全部ウソだから」
初めて心療内科でうつと診断された4年前、母は
うつであることを受け入れていたようだった。
イライラうつうつしてくると「ヤクがきれた(笑)」と、
(薬の多幸感からかもしれないが)笑い事にまでしていたこともあったが、現在は否定。
うつも、おかしくなったのも、歩きたくなっちゃうのも、全部ウソ。わたしはウソつきだ。
ウソをついていただけだから、わたしはどこもおかしくない、と主張。
睡眠導入剤等、心療内科で処方された薬の服薬を拒否。
9月
3人で心療内科へいく。昏迷状態にある、と医師。
とにかく服薬させること、すこし落ち着いていこうと。
丁寧に話に付き合っていくうちにどうにか服薬を再開。
10月
再び3人で心療内科へ。ここ2・3ヶ月の疲れがでてくるだろうと医師。
薬はほぼ変わらず。このまま様子見をしようとのこと。
「薬なんか飲んでも治らないよ」
「睡眠導入剤はないとこまるから、医者通いは続ける」
だいぶ薬で落ち着いてきた頃にぽつりと。
うつ否定の一部かと思われたが、現在もこの主張は変わっていない様子。
「じっとしていられない」「変な癖ついちゃった」
美容院や医者に行けない、じっとしていられない。じっとしているとツライ。
歩きたくなっちゃう。(それは変なことだから)出かけられない。
そんな風に不安を話してくれる。
「することがない」「つまらない」
12月にはいってぽつりと。テレビにも意識が行くようになった。
本や新聞などはまだ目を通す気にならない様子。
「さよならメール」に気付くまで。
11月末、母に突然の来客。
家族にとっても旧知の方だが、玄関先にて取り乱した様子。
母に会って早々奇声をあげる。
母が応対に出たので様子をうかがっていたところ、
ドライブでもということで小一時間外出。
帰宅後、母から自発的な説明はない。
「突然で驚いたねえ! どうかした?」
夕食後訪ねてみるが、母は言葉を濁していたので追求せず。
12月頭、母宛に女性からと思われる手書きの封筒。
不在時に盗み見させてもらうと、11月末の来客とはまた異なる旧知の方。
「メールを読み筆を執った」
「残念に思うが、あなたの意思意向を尊重する」
「幸せであるよう祈る」
等々、なにやら不穏な内容。
深夜、いざメールチェック。
「突然一方的ではあるが、さよならをさせてほしい。」
「私は元気」
「生きていこうと思う」
こういった内容が含まれたメールを数人に送信。11月末の日付。
これでは、まるで、とバカはあわくっている。
おそらくだが父は知らないだろうなあ。
11月末、母に突然の来客。
家族にとっても旧知の方だが、玄関先にて取り乱した様子。
母に会って早々奇声をあげる。
母が応対に出たので様子をうかがっていたところ、
ドライブでもということで小一時間外出。
帰宅後、母から自発的な説明はない。
「突然で驚いたねえ! どうかした?」
夕食後訪ねてみるが、母は言葉を濁していたので追求せず。
12月頭、母宛に女性からと思われる手書きの封筒。
不在時に盗み見させてもらうと、11月末の来客とはまた異なる旧知の方。
「メールを読み筆を執った」
「残念に思うが、あなたの意思意向を尊重する」
「幸せであるよう祈る」
等々、なにやら不穏な内容。
深夜、いざメールチェック。
「突然一方的ではあるが、さよならをさせてほしい。」
「私は元気」
「生きていこうと思う」
こういった内容が含まれたメールを数人に送信。11月末の日付。
これでは、まるで、とバカはあわくっている。
おそらくだが父は知らないだろうなあ。
父の、母の、兄弟の、わたし以外の人を記録していく日記。
登場人物
父 墓まで病気を引きずって歩く。昨今は日々の体調により歩行に難あり。転倒を繰り返す。
母 うつと診断を受ける。ほぼ寛解と見込まれていたが今夏(2015年)以降、これまでと異なる様子をみせた。強い不安に苛まれている。
兄・弟 生きているかわからない。部屋でミイラになってたらどうしようか。
これまでのまとめ
2011
1月 母方の祖母他界。相続で混乱が続く。
3月 震災。バカなんとなく大学を卒業。
8月 無事無職のバカ娘実家に戻る。
11月 父還暦。十二指腸潰瘍ついでに胃を3/5切除。
2012
1月? 父入院。糖尿病悪化、人工透析通い開始。
3月 母退職。父にはその旨明かさず、バカ娘から伝える。
7月? 母、バカ娘と探した心療内科へ。うつと診断。
?月 父退院。
2013
4月 母、かかりつけ医の了承を得て転居先探し始め。
5月 バカ娘バイト始める。
8月 バカバイトやめる。
10月 バカパートに出る。
2014
5月 転居。母、糞田舎因習に悲鳴を上げる。
2015
3月 バカパートやめる。転職失敗。以降ニート。
8月 母還暦。不安障害のような症状が出始める。母実家の人間にうつを告白。
10月 母、服薬拒否。うつを否定、診療拒否。父とバカの執拗な勧めにより診療、服薬再開。
12月 母11月末に「さようならメール」を旧友に送りつけていたことが判明。
--------------------
いまここ
さすがのバカも泡食って右往左往。父、母のメール等は知らない(と思われる)。
登場人物
父 墓まで病気を引きずって歩く。昨今は日々の体調により歩行に難あり。転倒を繰り返す。
母 うつと診断を受ける。ほぼ寛解と見込まれていたが今夏(2015年)以降、これまでと異なる様子をみせた。強い不安に苛まれている。
兄・弟 生きているかわからない。部屋でミイラになってたらどうしようか。
これまでのまとめ
2011
1月 母方の祖母他界。相続で混乱が続く。
3月 震災。バカなんとなく大学を卒業。
8月 無事無職のバカ娘実家に戻る。
11月 父還暦。十二指腸潰瘍ついでに胃を3/5切除。
2012
1月? 父入院。糖尿病悪化、人工透析通い開始。
3月 母退職。父にはその旨明かさず、バカ娘から伝える。
7月? 母、バカ娘と探した心療内科へ。うつと診断。
?月 父退院。
2013
4月 母、かかりつけ医の了承を得て転居先探し始め。
5月 バカ娘バイト始める。
8月 バカバイトやめる。
10月 バカパートに出る。
2014
5月 転居。母、糞田舎因習に悲鳴を上げる。
2015
3月 バカパートやめる。転職失敗。以降ニート。
8月 母還暦。不安障害のような症状が出始める。母実家の人間にうつを告白。
10月 母、服薬拒否。うつを否定、診療拒否。父とバカの執拗な勧めにより診療、服薬再開。
12月 母11月末に「さようならメール」を旧友に送りつけていたことが判明。
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いまここ
さすがのバカも泡食って右往左往。父、母のメール等は知らない(と思われる)。
