母の入院を機に、
色んな感情が出てきております。
全て家族関係ですけどね。
弟、義母、叔母。
その中でも、弟に対しては結構ありました。
一番最近で言うと、叔母かな。
入院してから初面会をした叔母から、
『1人で暮らしてなきゃこんなことにならなかった、可哀想に。』
と言われました。
これは、
一緒に暮らしてたら、大動脈瘤が破裂しなかった、認知症にもならなかったということを言っているんでしょう。
言われて、いい気分はしません。
『は?』と思いましたよ。
認知症が軽度で、母本人がまだ1人でやりたいと望んでいたし、デイサービスなども利用し、楽しくやっていました。
大動脈瘤は何年も前からあり、手術が出来ない状態で破裂するかしないかわからないものでした。
一緒に住んでいようが破裂する時はするので、誰かのせいではないのですよね
腹が立つまでの感情にはなりませんでしたが、
ちょっと責められている感覚になりました。
弟も、そうです。
実家の近くに住んでて病院にも近いのですが、
何かと私に押し付けてきます
奥さんがうるさいからとかなんだかんだ理由をつけます。
それでいて、
看護師さんや医師への不満が多い。
『あれではダメだ』
とか、
『いい加減だな』とか言ってます。
その不満を私に言ってと言って来たりして
伝達が看護師さん同士しっかり出来ていないことなど多少のことはあります。
でも、それくらいはあり得ることなので気になりません。
それより、母のお世話をしてくれているので、私はありがたい気持ちの方が強いんです。
弟の言うこと、
叔母の言うことに、
一緒になってハマっていたら、私も弟や叔母のように、不平不満がドバドバ出てくるでしょう
そりゃ〜一瞬、
『は?』とか『え?』とか
ちょっと複雑な気分にはなりますよ。
何でそんなふうに言うのだろうと思っていましたが、誰かのせいに弟や叔母がしていることに気づきました。
案外俯瞰して見れている自分がいる。
何かのせいにするのは、外側に意識が向いている状態。
それじゃ〜、不平不満が出て来ちゃうよ
私も、以前は外側にばかり意識がいってて、似たような感じだったかもしれません。
今だって、あります。
そうなったら、早めに気づいて、
そこじゃないでしょと軌道修正。
やはり外側ではなく、自分自身の内側に全て答えがあるんですよね
自分の心地よくない感情に意識を向ける。
ここで、やっちゃいけないのは、
そう思った自分を責めてしまうこと。
例えば、
あの人、嫌だなと思った場合、
こんなふうに思う私はダメだ〜と自分責めをしない。
なぜ嫌だと思ったの?
なぜそう感じるの?
と自分に聞く。
弟、叔母を通して、気付きがありました。
『は?』とか『え?』と思ったけど、
私の中で内側を見ることのホントの意味が絶賛吹き出し中の中でようやく腹に落とせたように感じます
一見カチンと来そうな出来事でも、無駄な事ってホントにないですね