『私は何で生まれてきたのだろう』 | 日常の当たり前の中にある幸せ♡

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今の自分を造っているのは、過去の自分の経験。

言い換えるなら、過去の経験から得た何らかの気付き。



小さい頃、『私は何で生まれてきたのだろう』と思っていた。

それは、大人に近づくまで自分の中の疑問としてあった。

嫌な事が起きる度に、そう思った。

でも、答えは見つからなかった。



楽しい時は、『私は何で生まれてきたのだろう』とは思わない。



辛さや悲しみが、自分のキャパを超えてしまった時に、そう思ってしまうのかもしれない。



大人に近づいてきた時、その答えは『魂を磨く為』なんだと聞いた。



その答えが正解か不正解かはわからないまま、『そういうものなんだ』と思った。



そう思ったのは、『魂を磨く為に生まれてきた』ということに少し納得した自分がいたからかもしれない。

あるいは、そう思わないとやってらんないと思ったからかもしれない。





全部自分で設定して生まれてきていると言われている。

ならば、もう少し、葛藤のない人生を設定しても良かっただろうに。



それでは、魂が磨かれないのだろうか。



自分が望む輝きというものは、そこまでの設定をしないと光放たれないのだろうか。



私の中に、『人生は修行』という概念があるのも確かではある。



だから、『厳しさ』は嫌いではない。

それが歪んだ厳しさでなければ。



歪んだ厳しさでなければ、厳しさの中に優しさがあるのは確かかもしれない。



この世界は光と闇が相対関係に存在している。



光しかない世界では、ネガティブは経験出来ない。



言い換えるなら、『楽しい』『嬉しい』などのポジティブと言われるものは、ネガティブなものがあるから味わえるものである。

ネガティブがわからなければ、ポジティブも色褪せてしまう。



ポジティブもネガティブもただ在る。

光と闇もただ在る。



自分の中にただ在る、それだけのことではないだろうか。



それを経験したかったのだろう。



ピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハート



なんか、私の口調じゃないゲラゲラ


よくわからないけど、書きたくなった?

(笑)




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