妻の逝去から2日経ち、通夜の日となりました。13時には家を出て,葬儀場へ向かうことになっていましたので,本当に近くにいられる時間も,少なくなってきました。
 そんな中ですが,この日の午前中もいろんな準備がありました。ほとんど徹夜で喪主あいさつ書き上げたところですが、11時からの葬儀社との打ち合わせを前に、花や果物など、葬儀場内のお供物を決める必要がありました。こればかりは喪主の私が出すわけにはいきませんし、妻と私には子供がなかったので、子供や孫からの供花等もない状況でした。妻の両親や妹さん、私の弟などからいただくことになりますが、私から「〇〇お願いします」というわけにはいきませんので、私の弟に調整をお願いしました。
 その後、11時からの葬儀社との打ち合わせでは、供花を注文したり、DVD用の映像を渡したりなど、細かい作業が続きました。映像は写真やデータを用意したりしています。結構大変でしたが、私や弟など現役の社会人が揃っていたので、対応できた感じです。
 打ち合わせに引き続き、納棺へ向かうことになりました。布団で移動しますが、実家に搬送した時と同じく、車までの移動が大変でした。弟と私、葬儀社の方2名、合計4名で支えて運びましたが、重さもあるうえ、布団を持つ場所も難しく、なんとか我慢して車に乗せた感じです。
 車は白のワンボックスでした。後ろの寝台に妻を乗せ、私が付き添って葬儀場へ向かいます。葬儀場の近くに、妻と私の自宅があるので、途中立ち寄ってもらいました。自宅の前で車を止めて、妻は自宅と最後のお別れになります。3月30日のことでしたが、ちょっと寒々とした感じでした。自宅の前で、写真を撮ったりしています。私はこの時から、礼服着用で対応しておりました。また、妻の実家も葬儀場の近くでしたので、引き続きそこへ向かってもらい、実家とも最後のお別れをさせてあげました。妻は週に1〜2回、実家へ行ってご両親の買い物付き添っておりました。直近買い物に同行した時、これが最後になるとは全く思っていなかっただろうなと察します。妻の実家は、ちょうど芝桜が綺麗に咲いておりました。
 14時には葬儀場に到着し、納棺が始まります。簡素にするなら、服もそのままで納棺することもあるようですが、白の着物に替えてあげることにしました。納棺師さん(女性でしたね)がお見えになって、私も体を支えたりして、着替えさせていきました。髪型整えたり、化粧したりもありますが、病気でのやつれなどはないので、自然と日頃の妻の感じになっていきました。
 結婚指輪は外して取っておきました。また、白の着物だけでは寂しいので、倒れた時に着ていた服(多分、私のお迎えの時に着てくるはずだった服)も、一緒に入れてもらいました。
 そういえば、かつて、「おくりびと」という、納棺師さんが出てくる映画がありましたね。妻と一緒に見にいったはずです。妻と私にとっては、こんなに早く納棺師さんのお世話になるなんて、といった感じでした。
 納棺が済むと、妻は葬儀場のホールへ運ばれます。私も妻を一人にさせたくないので、そばに付き添います。納棺が済んで15時頃、通夜は19時からでしたのでまだ時間があり、ホールには人影もありません。祭壇や供花などの準備はできており、寂しい光景の中、妻の横で泣いてしまった気がいたします。