2017年の夏は一時的に
東京都内で生活をし

自室でbodyトリートメントを行う事を
試験的に行ってみました。


マンスリーマンションを借りて
試験的に生活をしてみたのですが

その結果…

都内の利便性の良い場所故、沢山の方との
交流が生まれ

楽しい日々を過ごす事が出来ました。

その一方で、都会の余りの空気の悪さと
夜通し止むことがない首都高速の

車の騒音と排気ガスに疲弊し
3ヶ月でやむ無く撤退。

富かな自然が残る次の拠点に
移転をした経緯があります。


この都内での“短期的お試し生活”を開始して
間もなくの頃。

昔、色々とお世話になっていて
ある方に連絡を入れてみた事がありました。

「○さん、お久しぶりです❗」
「8日から麻布に越してきました♪」

「近所なのでよかったらまた遊んでください♥」

その方、通称「社長」に
お世話になっていたのは、20代前半の頃。

「ヒルズ族」(←懐かしい…)などが
流行っていた頃で

社長のお仲間の皆様で度々
六本木のマンションで

ホームパーティーをしたり

大人が集う青山や麻布のクラブやディスコ等に
連れていって頂いたりと

当時もまだ引きこもりで友人も
全然いなかった私に声をかけて下さり

何かと良くして頂いていたのです。

そんな社長に連絡を入れてから数日後。
社長から連絡が入りました。

「突然だけど、今日、ヒマ?」

「靖国神社に参拝に行かない?」

「今から一時間後くらい」

(えぇ…っ❗)
(一時間後って…急すぎる…❗)

「急なので、スッピンなんですけどいいですか~!?💦」

そんな経緯で、「社長」と実に十数年ぶりの
再会をすることになったのです…☆

↑変わらず若々しかった社長…。

そんな社長に連れられて訪れた
初めての靖国神社参拝。

車では、相当の混雑が予想されるので
地下鉄の駅は、九段下で待ち合わせ。

社殿までの道すがら社長に色々な
お話を伺いました。


時は2018年8月15日。
終戦記念日。

今日は朝からシトシトと雨が降り続いていた。

社長から連絡を頂くや否や、いそいそと
出掛ける準備をして家を出る。

「○さん、お久しぶりです~♥」

その御年に見えない変わらない
若々しさ保っていらっしゃる。

やはり、長年ジムで体を鍛え
武道を続けられている事も

若々しさの秘訣でなのではないかしら?

以前より、社長が靖国神社参拝をされていた事は
折に触れ、お話を伺っていましたので

存じ上げていたものです。


一方で、日本全国各地、これまで様々な場所を巡り
各地の神社を訪れてきた私でしたが

靖国神社だけは一度も足を踏み入れたことが
ありませんでした。


それには、この神社の“特異性”
というのがあったからだと思います。

(靖国神社って…

太平洋戦争で亡くなった
日本の英霊達が祀られているんだよね…)

その他の神社と違い

一寸、特殊な神社
という認識であったからです。

⬆靖国神社を創設した大村益次郎の像。

実際に、靖国神社に祀られているのは
軍人ばかりでなく

戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や
女学生、学徒動員中に

軍需工場で亡くなられた学徒など

軍属・文官・民間の方々も
数多く含まれています。

その当時、日本人として戦い亡くなった
台湾及び朝鮮半島出身者や

シベリア抑留中に死亡した軍人・軍属
大東亜戦争終結時にいわゆる

戦争犯罪人として処刑された方々などの
御霊も祀られています。

社殿の前に着くと既に、長蛇の列。
その横を通り抜け、少し横から参拝をす
しました。

心を込めて手を合わせます。

東京で、一時的に拠点を移していた
2017年の8月のその頃というのは

当時の日記にも書いていましたが

「先祖供養」がメッセージとして
来ていた頃です。


お盆を迎える前だったからでしょうか。

この時期のなると多くの方が「御先祖様」に
意識を向けると思いますが

そのような時期、リラックスをしていると
ある瞬間に、ズラーッと一同に介して

御先祖様が並んでいる映像が
瞼の裏に映る事があります。

「こんなものが見えたのだけど…」

その事を、霊的な感覚を持っている方に
お伝えしたら

「やっぱり並ぶよね~❗」
「ズラーッと並ぶよね」

とのこと。

「先祖供養」というと、通常は
自分の家系の御先祖さまを意識して

手を合わせたり感謝をしたり
ご供養を行う事と思いますが

一口に「先祖」といっても、それは
自身の家系の先祖だけでなく

◆私達「日本人の先祖」

さらに視野を広げてみれば

◆私達「人類の祖先」

「先祖」である事は確かです。

この時、先祖供養のメッセージが来ていましたので

“自身の家系の先祖を改めて意識し
祈り感謝の供養をする”

という事を行うと同時に、上記した2つの

◆私達、日本人の先祖と
◆私達、地球人類の先祖

も併せて供養をすることを行っていました 。

つまり“大きな意味での私達のご先祖さま”に向けて
祈ることに、意識を向けていたのです。

ある時、ふと思い付いて作った
友人達とのグループがありました。

その会には
「祈りのネットワーク」
という名前をつけました。

「祈りのネットワーク」のメンバーは
霊的感性がある方や、祈りを通せる方

巫女的役割の方、集合意識を動かしたり
諸々の残存思念の浄化をしたり

歴史の清算の祈りをしたり
光を降ろしたりする力がある方

ヒーラーの方などです。

各自が、その時々で受け取った情報を共有し
その時々で受け取ったテーマをシェアして

祈る事を、当時、行っていたのです。



平和で豊かな現代社会で生活をする
私達でありますが

この平穏な日常を送ることが出来ているのは

こうしたご先祖様達のお陰があってこそ

こうした歴史や多くの犠牲があった上で
現在の豊かな暮らしが実現出来ています。

日常を送っているとそうした事を
すっかり忘れてしまっている事はありませんか。


日本は本来、和を以て貴しとなす国。
戦争はしません。

明治維新以降がおかしかったのです。

江戸260年太平の庶民の
パラダイス国家であった。

縄文の15,000年も一切戦いなし。
明治維新をみなおす必要があります。

近代は西欧植民地時代で
侵略戦争の時代と言える。

それ故、江戸260年平和はすごいこと。
周りは植民地戦争。

この内容は、この記事を編集するに辺り
日頃よりお世話になっている

元自衛隊陸将補・作家の
「池田整治先生」

改めて確認をし、教えて頂いた内容です。
 


展示室の展示パネルを見ながら
社長が言いました。

「大東亜戦争が終わってから、今年で73年」

「近年で、こんなにも長く
戦争が起きていない期間って
今だかつてなかったんだよ」

「それって、いかに凄いことかって分かってる?」



そうでした…。

私達、日本人のみならず人類の歴史は
過去を振り返ってみるとまさに

「戦いの歴史」であったのですから…❗


⬆実際に使われていた武器である銃。

今なお、今日も世界のどこかでは戦争や
殺戮、紛争、殺し合いが行われています。

今日も沢山の方が亡くなっていっています。
飢餓も虐待も、未だ存在しています。

展示室を見ていると日本国内でも
これまでの歴史の中で、絶え間なく戦争が

繰り返されていた事実に改めて直面します。

⬆こちらは戦国時代の展示室ゾーン。



人類の歴史は戦いの歴史。
私達は何故、戦うのでしょうか…。



そうでない選択肢を取る事は
出来なかったのでしょうか…。

⬆こちらが資料館

⬆日本の国花「さくら」

参道では、朝から演説が行われていました。


立ち止まって社長と話を聞く。

暫くすると終戦を迎えた時刻がやってきました。

アナウンスと共に
その場に居た人達全員で、黙祷を捧げる。


様々な思いが込み上げてくる。

この戦争によっても
どれだけ多くの方達の尊い命が失われた事か…。


愛する人、大切な我が子
かけがえのない家族。

その先には「死」が隣り合わせで
やって来るこるは当然の事ながら

承知の上で“お国の為”
という大義名分の元

「いってらっしゃい…」

と、愛する人を送り出すことは
どれだけ辛かったでしょうか…。


展示室には当時の戦士達の遺品や
手紙も沢山残されていました。

出兵するに辺り、家族へ向けて
残していった若き兵士達の手紙や

愛する息子、愛する夫への
無事を祈り、綴られた手紙です。

戦場へと赴いた兵士達の手紙には
当時の年齢も添えられていました。

昭和○年 ○月○日 名前 ○○○○ 20歳
昭和○年 ○月○日 名前 ○○○○ 21歳

22歳、23歳、25歳…
その兵士達の年齢を見ていけば

まさに青春真っ只中の若き青年達。

その青年達が自らの命を持って
大勢、戦いに出たのです。

これから先、やりたい事も
色々とあっただろうに…。

その選択肢も自由に持つことすら
出来ないままに…。


徴兵された若き戦士の中には
生まれたばかりの乳飲み子を残し

出兵した青年もいます。

その他にも、お見合いで結婚はしたけれども
一度も奥さんと契りを交わすことなく

一度も結ばれること…即ち
愛し合うこともなく間もなく

出兵の指令が来て戦地へと赴き
若き命を落とした戦士もいます。


こんなパネルもありました。

子供の頃からスポーツが得意で
大会に出るために日々

鍛練を重ねてきた青年の姿。

ユニフォーム姿で
爽やかな笑顔で楽しげに写っています。

しかし、そんな日々も束の間
ある日突然、徴兵の声が掛かり

その夢も「戦争」というものによって
一瞬にして奪われた上、命を落としました。

女性も同様。

戦地に出向かなくてもミサイルや爆弾が
周りに落ちてきます。

友人、家族、子供が
次々と、目の前で命を落としていきます。

衛生状態も劣悪になります。

自も命を落とします。

純真無垢な笑顔で写っている
青年達の写真を眺めていると

再び涙が止まらなくなりました…。

ボロボロと止めどなく溢れてくる涙。

周りも気にせず、その場で立ち尽くして
泣いてしまいました…。



当時の状況を、現代の私達の豊かすぎる生活や
家族に置き換えて考えてみると

如何でしょう…。

いかに私達は、今、有り難く恵まれた
平和な環境で日々を送ることが

出来ていることか…。


日々、共に暮らしていると
沸き上がってくる思いは其々、多様に

あると思いますが…

こうした生きるのさえ命がけの
時代の事を思うと

今、目の前にいる家族や現在の環境

ご縁があって出逢った周りの方達
動物、植物、自然界の営み…その全てに

感謝や愛しさ、大切さ、愛の気持ちが
込み上げて来ませんか…❗



⬆こちらは兵士達が戦場に残していった遺品の数々。


僅かな荷物と、僅かな食料で
戦いに挑み続け繋ぎ止めていた命。

いつ、死の瞬間が
やってくるか分からない恐怖と対峙しながら

過ごす日々。

僅かなご飯を野外で焚き、どんな思いで
隊員達はお食事をされていたでしょうか…。



ボロボロになった僅かな衣類で
寒さにたえる日もあったでしょう…。


ご飯も十分に食べられず空腹に堪えながら
過ごされた事もあったでしょう…。


愛する家族ともう2度と
会えないかもしれない…

逃れることが出来ない状況下に置かれ

自らの命をかけ戦いに挑んだ兵士達には
どんな思いがあったでしょうか…。


遺品を見ていると当時の兵士達の思いや
帰宅を待ち続けた族の思いが汲み取られ

涙が止まらなくなってしまいます…。

止めどなく溢れてくる涙。

もう周囲などは視界に入らず
鼻を啜り泣きながら

それぞれの展示を見て回りました…。


私達は今、どれだけ豊かで、恵まれた
平和な環境の中で

暮らしているのでしょうね…❗


当たり前になりすぎている事が
あまりにも多過ぎて

つい、忘れてしまいがちですが

そんなありがたい環境の中にいながらも

あれが足りない
これが足りない

これが嫌い、誰が嫌い
あいつが憎い、あいつが許せない

毎日食べ過ぎて、成人病やメタボになってしまた
ダイエットをしなくては…❗

お腹一杯だから「もういいや」
「食べない」と、ご飯を容易に捨てる

止めどなく出て来てやまない「欲」からは
新たな悩みや苦しみを生じさせています。


20代の頃から、これまで様々な
お悩みを抱えられた方が

ご相談という事で多様なお悩みを
寄せられていました。

現在は、自分で“ある意図(設定)”をしたので
そのような方が来られることは減りましたが

私は、皆様のお悩みが楽になるよう
分からないことがあればその都度調べに行き

出来る限りご相談の
お答えをしていたのです。

今、もしも何らかの課題で
お悩みを抱えられているという方が

いらっしゃったとしたら

一度、靖国神社へ出向いて資料館を
見に行かれるとよいかもしれません…。

私達は、いかに恵まれた環境で
暮らしているかが一目瞭然で分かり

「こんな事で悩んでいるなんて…
バカバカしかった❗」

「お恥ずかしい…❗ごめんなさい…❗」

と、ハッと我に立ち返り
恵まれ過ぎている環境の中で

忘れてしまっていた
大切な「何か」に気がつくかもしれません。


「大東亜戦争」

その名前は、ある都合で書き換えられ
「太平洋戦争」と呼ばれるようになった

戦争から去年で73年。

考えてみたら僅か
73年前に起きていた事実なのです❗



資料館には戦争で亡くなった多くの
英霊達の写真が飾られています。


一人一人のお写真を拝見しながら
このような思いが込み上げて来ました。

「有難うございます」
「皆様のお陰で現代の私達の豊かな暮らしがあります」

「本当に有難うございます」
「皆様の尊いお働きに感謝いたします」


止むことがない涙。

静かな展示室には目頭をハンカチで抑え
啜り泣いている方の姿も多く見られました。

「有難うございます」
「皆様、本当に有難うございます」

「皆様の苦しみや無念の想いは癒え
光に帰られました」

繰り返し、祈りました。



現代の私達の豊かで平和な暮らしの中で
どうやら、忘れてしまっていた

大切な何かが色々とありそうです…。


TVや本でこうした事を見ていても
そこまでの「実感」は沸きません。

現地に赴いて初めて
「胸の内に、強く込み上げてくる思い」

というのがあった事を感じます。

帰りの地下鉄の駅まで行く道のりでは
このようなパネルを目撃しました。

⬆世界で行われている拷問の実態。

人が人に対してこのような事を
行って良いものなのでしょうか…。



色々と考えさせられる機会です。

(自分には、いったい、何ができるのだろうか?)

世界平和を願い、インドにいた
マザー・テレサの所まで出向いていって

こんな事を申し出た日本人がいたそうです。

「何か私にも出来ることをお手伝いさせて下さい❗」

その時、マザー・テレサは
このような事を仰ったそうです。

「今すぐ日本に帰って、自分の身の周りにいる人に対して
出来ることを行いなさい」

大きなことは出来ないかもしれないですが

「今、この場から、自分に出来ることを
始めればいいのですよね…❗」

世界平和の一歩は、自分の心と
周りの人を平和な世界にすることから。

初めての靖国神社参拝ではこのような
体験をしました。

靖国神社に連れていって下さった社長。
お世話になりまして有難うございました。