【「MIRIA」~神社巡り~「徒然日記」】

 

先達て、所用で東京を

訪れる機会がありました。

 

2月に入ってから、人と会う約束や

その他の予定で都内に赴く機会が

 

非常に増えて来たのであります。

 

こうした「予定」が日常の中で

「ポツリ」と入りその地で滞在をしていると

 

そこから、急に「神社巡り」が始まってしまう

という事が、度々起こります(*^-^*)汗

 

今回の上京も、同様。

 

(一体、何なのでしょう・・・?)

 

しかし、このような時でも

私がいつも「行動の主軸」にしている

 

「ふと、なんとなくの感覚に従ってみる事」や

「直観に従って動いてみる」こと

 

「お導き」や「流れに乗ってみる」

「随神」「天にお任せ!の状態」

 

で、動いてみた結果、どんな展開が

待っていたか?という事の

 

面白い「実体験」であると思いましたので

今日は「神社巡り徒然日記」と題して

 

皆さまにもシェアしてみたいと思い

日記を書いてみました(*^-^*)b

 

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今回「人にお会いする」という約束で

まず、初めに訪れたのが、東京の下町

 

深川の地でありました。

 

「門前仲町」

 

かつて、私も東京で10年以上

生活をしていたこともありましたが

 

この辺りは、当時も、全く縁がない土地であり

一度も訪れた事がない場所でありました。

 

(東京にこんな風情の町があるのね・・・)

(なんだか新鮮・・・♡)

 

新しい土地に足を踏み入れると

その土地の空気や街並み

 

人々の様子を観察し、楽しむようにしています。

 

予約を入れていたホテルにチェックインをすると

目と鼻の先に神社がありました。

 

「富岡八幡宮」です。

 

 

「江戸最大の八幡様」

 

看板にはそのような見出しが

書かれていました。

 

(あら・・・八幡様・・・久しぶりの感じ・・・!)

 

「八幡様」とのご縁は

今から2年前くらいでしょうか。

 

八幡神は源氏が信仰する神でありますが

 

2013年まで暮らしていた宮古島は

どちらかというと「平家」の傾向が強く

 

現象に出ていましたので

 

「私は平家にご縁があるのかな・・・?」

などと思ったりしていたのですが

 

その宮古島でも、「ユタ」という

こちらの方で言う霊能者の方に

 

「神功皇后の守護がある事」を伝えられたり

また、そのような傾向が色々と起きてきたり

 

という事がありました。

 

⇒2016年3年ぶりの「宮古島」へと

          導いたK君と平家のお話・・・

 

また、ある時から始まった

「不可解な状況」から

 

宮古島を出てその後

各地での巡礼の旅を続けていましたが

 

その時も同様、折に触れ

「八幡」や「ヤハウェ」といった傾向が

 

各所に現れていた事を思い出します。

 

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【八幡神について】

 

八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)は

日本で信仰される神で、清和源氏

 

桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)

「弓矢八幡」として崇敬を集めた、

 

誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ

応神天皇と同一とされる。

 

また早くから神仏習合がなり

八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称され

神社内に神宮寺が作られた。

 

現在の神道では、八幡神は応神天皇(誉田別命)の

神霊で、欽明天皇32年(571年)に初めて

 

宇佐の地に示顕したと伝わる。

 

応神天皇(誉田別命)を主神として

比売神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて

 

八幡三神として祀っている。

 

また、八幡三神のうち、比売神や

神功皇后に代えて仲哀天皇や

 

武内宿禰、玉依姫命を祀っている神社も多くある。

 

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【比売神とは?】


アマテラスとスサノオとの誓いで誕生した

宗像三女神、すなわち

 

多岐津姫命(たぎつひめのみこと)

市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)

多紀理姫命(たぎりひめのみこと)

 

の三柱とされ、筑紫の宇佐嶋(宇佐の御許山)に

天降られたと伝えられている

 

宗像三女神は宗像氏ら海人集団の祭る神であった。

 

それが神功皇后の三韓征伐の成功により

宗像氏らの崇拝する宗像三女神は神として

崇拝を受けたと考えられる。

 

また、八幡神の顕われる以前の古い神

地主神であるともされている。

 

比売神は八幡神の妃神、伯母神、あるいは

母神としての玉依姫命(たまよりひめのみこと)や

 

応神天皇の皇后である仲津姫命とする説がある。

 

『東大寺要録』や『住吉大社神代記』に

八幡神を応神天皇とする記述が登場することから

 

奈良時代から平安時代にかけて応神天皇が

八幡神と習合し始めたと推定される。

 

近年では比売神はヒミコでありアマテラスである

という異説やシラヤマヒメという異説も登場している。

 

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【「神功皇后」について】


応神天皇は母の胎内ですでに皇位に就く

宿命にあったため「胎中天皇」とも称されたことから

 

皇后への信仰は母子神信仰に

基づくと解釈されることもある。

 

三韓征伐に協力した胸形氏らの崇拝する

宗像三女神や住吉三神や天照大神など

数多くの神を各地で祭った。

 

神功皇后は三韓征伐の後に立ち寄った

対馬に広幡乃八幡大神(息子の応神天皇)の名の

 

由来である大きな軍旗である

八つの旗を立てて神に奉じたと伝えられている。

 

                ~いずれも「Wikipediaより」~

 

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(なるほど・・・)

 

こうして体験の後、記事をまとめ

色々と繋がり、気がついて来る事が

 

良くあります・・・。

 

以降も、これら所縁の地を巡ったり

2014年からは、再び、導かれて暮らしていた

 

滋賀県の琵琶湖畔の土地は

「近江八幡」というまたしても

 

「八幡」の名の付く土地でありました。

 

(※この時の近所の土地の神社は「日牟八幡宮」)

 

⇒2014年滋賀県琵琶湖畔「近江八幡」の地にて

        「農業のお手伝い」他当時の日記

 

⇒神功皇后&豊玉姫・玉依姫・龍宮関係に導かれ・・・

          2016年宮古島~福岡の旅日記


 

このように、日常生活を送る中で

なんとなく入ってきた「予定」から

 

その地を訪れてみると、その土地で

 

「ご縁のある神様が

祀られている神社が待っていた」

 

という事が多々起こるようになりました。

 

このような時、本人は全く持って

無意識の状態であります。

 

これも、以前と異なる点であり

面白い変化だと感じます。

 

というのも、以前だったら神社を訪れる時は

このようなパターンの元、動いていたからです。

 

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「一例」・・・

 

◆2010年頃、七福神や弁財天、奴奈川姫、瀬織津姫

聖母マリアといった現象メッセージの傾向が強く現れていて

 

自身もなぜか強くそれらの神様に

心惹かれていた時など・・・

 

↓↓

 

その神様が祀られている各地の神社や聖地を

自ら調べ、自ら予定を立てて、その地を訪れてみる

 

という行動を取って各地を巡っていた。

 

◆あるいは、日常でどうしようもならないような苦しみが

訪れ、その苦しみから逃れようと藁をもすがる気持ちで

神社を訪れていた

 

◆その後も、暫くはそうした「自らその土地を調べて

赴いてみる」という事が続いた。

 

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と、いう感じです。

 

それもいつしか、これらの事を調べても

様々な情報が出回っていますので

 

良く分からなくなり、頭が混乱し

探求は迷宮入りし

 

ついには疲れ果て、以降は

そうした事からすっかり離れて暮らそうと思い

 

日常生活に没頭をして過ごすよう

努めていました。


 

しかし「そうした事」と離れて過ごしている

と、自分では思っていても

 

何の因縁か・・・

 

自身の目の前に顕れる世界

(現象界)には、このような形で

 

ポツリポツリと、不思議なセッティングが

なされる機会が訪れるので

 

やはり、水面下ではこうした「流れ」は

まだ、続いているのだなぁ・・・

 

と、思う事になったりします。

 

(※その後様々な体験の末分かった事ですが

頭で左脳的に分析をしたり計算をしたりせず

 

何も考えず空っぽの状態「つつ」のような状態でいる事

の方が、「大いなる所」からの導きがあり

 

自身も楽であり、動きやすくなることが分かりました。)

 

⇒「宇宙意識」で生きるがラク!

 足立幸子さんの「あるがままに生きる」ご紹介記事

 

私は、これまで、何年間にもわたる

体へもかかって来る強大な伝達や

 

そうした目に見えない世界の事で

自身の日常が振り回されることに

 

ことごとく疲弊してしまい

もう、こうした事がすっかり嫌になり

 

心底疲れ果ててしまって

自ら離れようとして極力

 

関わらないように努めていたのです。

 

⇒奄美のユタとシャーマンと「神だーりぃー」のお話

 

この日、縁あってふらりと訪れてみた

「富岡八幡宮」で祭られていたのは

 

応神天皇(誉田別命) 外8柱

と、公式HPにありました。

 

また、地域の地図には

「富岡八幡宮」「恵比須神」とも書かれていました。

 

(なんで恵比須神なんだろう・・・?)

 

(※「恵比須」に関して、まだ、日記は書くことが

出来ていないのですが

 

年末の神戸行きあたりでも、瀬織津姫や

神功皇后をはじめ、「恵比須」や「蛭子」といった新しい

傾向が色々と出て来ていたのです)

 

(※神戸行きの前あたりから、目を閉じて

リラックスしていると「恵比須」の風景が

 

何度も何度も出てきたり

訪れた神戸でも「恵比須神」「が待っていたり、など)

 

⇒2016年の年末の「神戸滞在記」

 

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【「富岡八幡宮」の御由緒】

 

富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた
現在地に御神託により創建されました。
 
周辺の砂州一帯を埋め立て
社地と氏子の居住地を開き
 
総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。
 
世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も
変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
 
江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を
殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け
 
明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に
御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り
 
新しい御代の弥栄を祈念されました。
 
また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の
変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ
 
今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日
28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。

 

      ⇒「富岡八幡宮」HP ~ご由緒より~

 

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気の良い境内。

 

本殿で参拝後、境内を歩いていると

片隅に池がありましたので

 

歩いて行ってみました。


 

「神社の境内に池があって、お社がある」

 

こうしたところは概ね、弁天様

=「市杵島姫命」水の神、瀬織津姫などが

 

祀られているケースが多いものです。


 

こちのお社もやはり、同様。

 

「七渡神社」


 

 

御祭神 「市杵島姫命」

 

(やはり・・・そうか・・・)

 

ここで一点、気になった事が。

 

「合祀」として祀られていると

記載されている

 

「粟島神社」

 

この「粟島」というのも

ここ最近、ごく親しい方との中で

 

「伊弉諾」「伊弉冉」「若姫」などと共に

出て来るキーワードであったからです。

 

(※残念ながら、私は歴史的な事を

ある時から学ぶことを辞めたので、良く知りません・・・。

 

というよりも、あまりこうしたことを探求する事に

「関心がない」というのが本音です・・・)

 

(しかし「現象」として色々とやって来るという状況・・・)




 

市杵島姫命のお社の所で

 

今日、このようにしてご縁を頂いた事や

いつもお導きをくださっている事

 

そして、古くよりこの土地をお守りくださっている事など

感謝のお祈りを終え、一通り参拝をしました。


↑その直後に出ていた空の様子。

 

それから、約束の時間まで

まだ数時間時間があったので

 

公園で持参してきたお弁当を食べ

近所を散策してみました。

 

すると・・・


 

近隣をぐるりと一周してきたようで

富岡八幡宮のすぐ隣にあった

 

「深川不動」に辿り着きました。


 

お寺系はある時から、どこか

「仏様と魂のご供養の領域」で「因縁が深そう」であり

 

「エネルギーが重い」と感じる事が多いので

現在ではあまり行かないようにしている場所なのですが

 

折角、こうして辿り着いた「ご縁」ですので

お参りをしてみる事にしました。

 

(こうした「こだわりをなくす」といういことも

人生を楽に楽しくする秘訣であるようです♪)

 

そして門前仲町での時間を過ごし翌日。

別件の所用で品川の隣

 

「泉岳寺」へ移動。


 

こちらでも「ある要件」で予定があり

利便性の高いこの宿を取って、滞在をしていました。

 

(宿を「安い値段で選ぶ」という事も辞めました・・・)

 

20階。高層階のお部屋。

 

東京タワーや街並みが一望できる

眺望のお部屋です。

 

ところが!

 

お部屋に到着するなり

 

グラグラグラ・・・

 

地震です!

 

ペットボトルの中の水もグラグラと

揺れています・・・!

 

(もしも、今、巨大地震がやって来て

このビルを始め近隣のビルが一斉に崩れたら・・・

 

この街や人々は

いったい、どうなってしまうのだろうか・・・)

 

そんな思いがふと頭を過りました。

 

地盤もそう強くないこの東京の地に

こんなにも沢山の巨大ビル群を

 

次々と建ててしまって・・・

これから先、いったいどうなってしまうのでしょう・・・?

 

⇒「覚悟して下されよ」

 沖縄の神的な方「長田明子さん」の予言

 

滞在先のホテルで一泊を過ごした翌日。

 

予定までに再び時間が4時間ほど

空いていましたので

 

折角なので、近隣を散策してみる事にしました。

 

私はその日、一日を何をして過ごすか?

 

という事を、日々、自分自身で

「決める事が出来る暮らし」をしています。

 

それには、以前に強く感じた

 

「やる事を強制されない」

「会社や人、物、に縛られない自由な時間

人生の中で優先したい」

 

とある時強く思い

 

そうした生活が出来るスタイルを

コツコツと作って来た、という経緯があるからです。

 

(他人の思いや、他人の人生

毎日、同じことの繰り返しや

 

人に決められたことや惰性で

日々を生きるなんてまっぴらごめん!

 

自らが「人生の創造主」となり

日々、自らが心底満足する世界を

 

創造をしていきたいわよね・・・!)

 

という本音があったからです。

 

⇒2016年1か月間の秋田県滞在のある日の日記

 

ホテルの玄関出て、まず

 

(どちらの方面に歩いて行こうか?)

という事を自分自身に問い尋ねてみました。

 

潜在意識へ質問を投げかけ回答を待ちます。

 

この時、「選択肢」としては

次のようなものがありました。

 

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◆持参してきた手持ちのお弁当である「おにぎり」が

全部なくなってしまったので何処か近くのお店へ入って

 

ランチを食べながら、同じく持参していた最近の

「研究課題」である「タントラ」の本を読む

 

◆あるいは、以前から見たかったお部屋に置く為の

「観葉植物」を専門店に見に行く

 

◆ここから「品川方面へ行くか」?

それとも「三田方面に行くか?」どうしようか?

 

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など、このような選択肢がありました。

 

他人から見たら「どうでもいい事」ですね!

(*^-^*)b汗

 

しかし、このようなとき

私がいつも大事にしているのが

 

「ふと、なんとなく」という

「なんの根拠もない理由」から出て来た

 

「答え」を優先する、ということです。

 

それが「直感」や「潜在意識」「魂」

「大いなるお導き」に繋がるコツであることを感じます。

 

⇒分かりやすい!「宇宙と繋がり」

強運に生きる☆「浅見帆帆子さん」の本

 

そして、その時の質問で

出て来たのが・・・

 

「三田方面に歩いて行く」

という答えでした。

 

この時、三田方面には何の用事も

予定もありません。

 

ただ「なんとなく」「思っただけ」です。

 

すると、間もなく・・・

 

ずっと気になっていた

大き目の観葉植物が置かれているお店が

 

何軒も出てきました。

 

それによって、「私が欲しいと思っている植物」が

どんな種類の植物であるか?

 

という事を見て感じることが出来

明確になる

 

というように「求めていた事」への

「ヒント」も貰うこと出来ました。

 

時刻は、お昼時。

 

道行くサラリーマンやOLさんの姿を

観察し、巷の「ランチタイムの様子」を

 

眺めながらぶらぶらと街を歩きました。

 

どの道を行き、どの角を曲がるか?

という事も「感覚」に従って動いてみました。

 

暫し、三田方面に歩いて行くと

急に鳥居が見えてきました。


 

「御田八幡神社」とありました。

 

またしても「八幡様」です。

 

御祭神は・・・またもや

主祭神:誉田別尊(ほんだわけのみこと)
 
相殿神
 
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
武内宿禰命(たけしうちすくねのみこと)
 

⇒「御田神社」公式HP


 

この「誉田別尊」という方は別名

応神天皇(おうじんてんのう

 

仲哀天皇9年12月14日 - 応神天皇41年2月15日)で

第15代天皇に当たります。

 

(在位:応神天皇元年1月1日 - 同41年2月15日)。

 

諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)

誉田別命(ほんだわけのみこと)

大鞆和気命(おおともわけのみこと)

誉田天皇(ほむたのすめらみこと/ほんだのすめらみこと)

胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)

 

とも称されます。

麛坂皇子と忍熊皇子は異母兄にあたるそうです。

 



 

いつものように、ご挨拶と

感謝のお祈りを終えると

 

丁度、御祈祷を終えた子供たちが

社殿から続々と出てきました。


 

(なんだか活気があっていい感じ♡)

 

 

「御田神社」で参拝を終えると

上空に、日輪が出てきました。

 

こうした「何かのアクションを取った後に

空や太陽、外界の様子を観察する」というのも

 

苦難の20代の頃、密教行者さんに教わった

天地人が連動して動く事や

 

祈りが通った事や証の判断法でありました。

 

⇒早い段階で気が付くと

  人生が驚く程スピーディーに展開する!

  誰にでも来ている・・・!宇宙の「サイン記事」☆

 

その後も、赴くままに

三田駅の方向へと進んでいきました。


↑慶応大学の前に出る。



↑この時、上空はこのような感じ。

 

そしてまた、ぶらぶらと「巷のお昼時」の

様子を観察して

 

気の向くままに歩いていると・・・

 

再び、神社が出てきました。

 

今度は「春日神社」です。


 

神社巡りが大好きだった私。

 

これまで散々各地の神社を巡って来た

私ですが

 

ある時からは(もう、いいよね)

という感じになり

 

あまり自ら神社に参拝をすることが

なくなりました。

 

というのも、外に何かを求めてどこかへ行くのではなく

自らがいる場所(お部屋や空間)や

 

自分自身の肉体が神が宿る

「お社」にする、という方向性にある時から変わった為です。

 

しかし、ひとつ前の「御田神社」で春日神社が

末社にあり

 

その名前を見かけていたのと

その場所の気が良いと感じた事

 

そして、この流れで目の前に顕れたのだから・・

という事で

 

階段を上り参拝をしてみる事にしました。


↑都会の中のちょっとした癒しの地。


 

御祭神

天児屋根命 (あめのこやねのみこと)


祝詞の神、出世の神


※中臣連の祖(中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神)

 

(藤原氏の氏神様か・・・)

(むむむ・・・)

 

⇒三田「春日神社」公式HP


 

2014年、滋賀県時代、身の回りの方達の中で

 

「天智天皇因縁解消シリーズ」として

「鏡王女」の何か?をさせられたり

 

(※私はこうしたことが嫌で仕方がなかったです・・・)

 

その後、ご縁が出来た「藤原鎌足」(中臣鎌足)の

末裔の方に何かと助けられるなどがあった為

 

藤原氏の系統も何かと出て来る系統でありました。


↑参拝後、上空に出ていた雲




 

ふと、日常にこうしてポツリと「予定」が入り

訪れた地から、神社巡りがスタート。

 

全て「ふと、なんとなく」の感覚で

「空っぽ」になって過ごしていたり

 

色々な調整が図られた末に

こうした流れがやって来ます。

 

(あぁ・・・そういう事だったのね・・・)

 

後から分かってくる事が色々とあり

 

また、「抗っても仕方がない事」も沢山あり

 

「もう、全部お任せしますよ!」

という「心持ち」でいると

 

色々な手配がなされ

自然とあらゆることも

 

「な~んだ!」

「上手く行っているじゃない」

 

という具合にすんなり収まる

という風に良く出来ていることを

 

何度も体験する事になりました。

 

以上、私が体験したある日の日記でした。

 

(あまり意味が分からなかったでしょうか・・・(*^-^*)汗)

 

⇒「MIRIA」神秘の空の写真館

 

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⇒人生の前半、ドン底の日々を送り続けた「不運・不運人生」だった私が

日々、実践している「劇的に運が良くなる日常のコツ」

 

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