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mireりん☆ブログ

ようこそ☆
*れぃ*による、まるで統一感の全くナイ気ままな日記です☆思いついたこと書いちゃいます!!
気軽に絡んでもらえると嬉しいなぁо(ж>▽<)y ☆

※ 教師についてのブログを書きました。

  教師の方には不快な内容かもしれないので、不快になることがお嫌な方はこれから後の記事はご覧にならないようにしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、教師が嫌い。

 

教師という職業にさえ嫌悪感がある。

なんでここまで嫌いになってしまったんだろうと、ふと考えることもある。

世の中には、本当に素晴らしい教師もたくさんいるだろうし、いままでの人生で好きな教師もいた。

でも、この根深い嫌悪感は変わりそうにないな。

 

小学3年生の時の担任がその元凶。

もう30年近く前の記憶なのに、その日のことだけは鮮明に覚えている。

理科の授業で自習する時間ができて、私もその準備をしていたら「〇〇さん(私)はちょっとこっち来て」と言われて理科準備室に連れていかれた。

すごく怖い顔をした先生に、「なんで呼ばれたかわかる?」と聞かれ、わからないと答えると。

「Aさん、今日学校来てないでしょ。あなたにいじめられたと言っているの。心当たりある?」といきなり言われてびっくりした。

Aさんは、家が近所で数人で一緒に帰ったりしていた女の子の一人。

正直、何をいわれているのかさっぱりわからなくて、何度も先生にわからないと言った。

「ランドセルを持たせたりしたんじゃないの!」と強く言われた。たしかに下校時の遊びでじゃんけんをして負けたらランドセルをしばらく持つっていうのはしていたけど、私も負けたら持っていたし、その遊びをしていたのは4-5人だったのに、私だけが呼び出されて詰問をうけた。

何度説明しても、私だけが意地悪でランドセルを持たせたと言われて最後には「最近いじめが理由で死んでしまう子がいるの知ってるでしょ。Aさんが死んでしまったら、誰のせい!?あなたっていうことになるでしょ!」と言われたこと、いまだにはっきり覚えてる。

小学3年生の子どもにこの言葉って、ありえないよね。

それを言われてから、もう何も言えなくなった。

謝れと言われ、謝りにいくことになったけど、「本当に謝ったか、先生も後でAさんのおうちに行くから」と最後の最後まで信じてくれなかった。

 

それ以来、教師が嫌いになりました。

勉強ができたAさんだったから、馬鹿な私のことは信じなくてもAさんのことは信じたのかなとも思った。

私の母は信じてくれた。

悔しい気持ちもわかってくれた。そのために、勉強を頑張れと結構スパルタ指導するようになった。

そのおかげもあって、小学高学年には学年で上位になれたし、中学ではAさんよりもはるかにいい順位をキープできるくらいになった。Aさんとは、その事件以降は当然疎遠。

だって、関わっていたら、何を理由にいじめられたと訴えられるかわからない。怖すぎて関わりたくなかったから、別のグループと仲良くするようになった。

 

 

数年後。

母がAさんのお母さんと話すことがあって、あの事件の背景に、私の祖母とAさんの祖母が仲が悪かったことが影響していたことを聞かされた。

嫌いな人の孫だった私がいじめの首謀者に仕立て上げられたということが、事の顛末。

大人がしょうもないことをしたものだなと軽蔑しました。

Aさんはおとなしい子でおばあちゃんの言いなりで学校を休んだんだろう。

 

大人になってからも、小学校の同窓会には一度も参加していないし、一生参加する気もない。

Aさんが悪いわけじゃないかもしれないけど、私にとっては、つらいことを思い出すだけ。

Aさんのことは、そう思えても。

あの時の担任だけは許せない。

あの人のせいで、教師を嫌いになってしまったんだから。

馬鹿だった私が勉強の成績が伸びて、高校も学区外から進学して、国立大学現役で入学卒業して国立大学大学院もストレートで修了したことを、あの人は知っているかな。

知っていたら、どう思うだろう。会いたくないけど、どんな反応なのか観てみたい。

 

奇しくも、この世で一番嫌いな教師と、これまでの人生で一番好きな教師の苗字が同じ。

好きな先生の話をしていても、一瞬あの人の顔が過って不快な気持ちになる。

こんな不運ないよね。

教師って、子供が最初に出会う道を示してくれる大人だからすごく重要な仕事だと思う。

最初にくじかれると、そのしこりは一生もの。

そのあたりわかってる教師っているのかな。

少なくとも、あの人はわかってない。

というか、新人でもない、キャリアがついてる人だったからおごりがあったんじゃないかなと思う。

だから余計に腹が立つんだけど。

偉そうにして、優等生だけにはニコニコといい先生ぶって。そういうところが見えたから大嫌いになった。

 

 

TELL MEを2回観て、時間も少し経って、他のファンの人の反応も読んでいろいろと考えたから書いておこうと思います。

 

まず、この映画が今年公開だったから観られたんだなと思う。

24年という時間が経っているから、向き合えたあの日以降の物語。

子どもだったころに起こった出来事だったから、自分の気持ちだけを考えて過ごしたし、シンプルに悲しかった。悲しさしかなかったし、死というものと生まれて初めて向き合った瞬間でした。

曾祖母の葬儀には幼いころに出たと思うけど、本当に場面でしか覚えていなかったし、身近な人で亡くなった人もいなかったからいろいろと衝撃を受けたんだと思う。

 

今回映画の冒頭で、当時の映像が流れたり、当時を演じられていたりしているのを観て、自分とは違う次元で物事が動いていたことを知った気がした。

想像を絶する悲しみに打ちひしがれる人、シングルやアルバム発売に関して消極的な思いを持つ人、発売を喜ぶ人。

当時思春期や大人だった人にとって、この出来事はあまりに衝撃でショッキングなことだったと思う。今、同じことが起こったとしたら私はどうなるんだろうと不安になるくらい。

バッシングも、平成のあの時でそれほどすごかったとしたら、令和の現代では壮絶だっただろうな。

私は正直、「Ja,zoo」まではhideさんの意思が詰まっている作品だから発売してくれて本当に嬉しかった。

でもそれ以降の繰り返されるベストアルバムの発売は、なんとなく複雑で買ったものと買わなかったものがあった。

でも映画を観てからは、リミックスとかI.N.Aさんが中心になってやってくれていたなら、それはhideさんのやり方、思い、音楽があるんじゃないかと思うようになって、改めて聴いてみたいと思った。

 

歳を重ねること、外見の変化を恐れていなかったhideさん。

生身の自分はいつかフェードアウトして、バーチャルアーティストに引き継いでいくんだって、いったい何年前から言ってたことになるんだ?

驚きを通り越して、ちょっと鳥肌。

まさに今。

ラジオとインターネットの融合だって、今は今のオンライン配信、動画配信ってことになるんじゃない?

凄すぎる。

今、hideさんがいたらどんな配信をしてくれたんだろうと思うと、残念で仕方がない。絶対面白い企画をしてくれて、LIVEが難しい今の世界も楽しませてくれたんじゃないかと思う。

今年、映画が公開されて。

今年hideさんが見た景色を観れたような気がする。こういう未来を見せたかったというのを、24年経ってやっと向き合える人たちが観られたということ。

この映画を、穏やかな気持ちで受け入れられるには24年必要だったと思う。少なくとも私には必要だった。

 

前売りチケットをもう1枚買っているから、まだ観に行ける。

いつ行こうかなと楽しみにも思えてきた。

最後のLIVEシーンで、スクリーン内にいるhideさんの前にリアルステージの空席のマイクがリンクする瞬間が大好き。

98年当時、あの瞬間に次元を超えて繋がって、

間違いなく、主役がど真ん中にいるツアーになってた。

映画はフィクション要素も入っているから、実際とは少し違うのかもしれないけど。

書籍の文字で読むのと、生身の人間が動く映像を観るのでは感じ方が随分違った。私の文章を読み解く力が弱いだけなのかもしれないけど。

 

今年は、memorialからずっとhideさんの作品に触れ続けている。

今までは曲は普通に聴けても、映像はなんだかつらくなる時があってじっくり観られないこともあったのに。

LIVE映像は普通に楽しめるようになって、嬉しい。

ドキュメンタリーや当時のニュース映像は、今もつらさが大きい。

今回の映画も、冒頭の映像にはカウンターパンチを喰らわされた(2回ともノックダウン)。

来るのがわかっていても、耐えられず流涙。ということは、この現象に慣れはないってことだね。

遺影に使われた写真はどうしてもじっくりと眺められない。

裕士さんが、考え抜いて選んでくれた最高の1枚なんだろうけど、写真を観たら祭壇が一緒に思い浮かんで負のループに入ってしまう…。だから私なりのお気に入りの写真や画像を飾ったりスマホのロック画面にしたりしてる。

築地本願寺も、前を通るだけで精一杯だったけど、東京に行ける時が来たら初めて中に入って参拝してみようと思うようになった。国立がんセンターで何度か研修があった時も前を通っただけだったから、気持ち的には避けてたんだと思う。入ろうと思えなかった。今は、今すぐにでも行って参拝したいくらいの気持ち。

コロナのせいで、県外に行ける日のめどが立たないのが悔しい。少なくとも2年は県外に出てない。

東京旅行が解禁になったら、ひとり東京ぶらりしよう。三浦霊園に会いに行きたい。

初めて三浦霊園に行ったのは、このアメブロで出会ったぴーちゃんと。ぴーちゃんが教えてくれたから、一緒に行ってくれたから今も行こうと思えば行ける場所になった。

ありがとう。

ぴーちゃん、元気かな?

いつかまた会えたらいいのにな。

 

何日もかけて付け足し付け足ししてきたこの記事も一旦閉じようかな。

 

 

 

恐る恐る観に行ってきました。

 

映画化されることも、なんとなく複雑な思いで受け止めていたから。

俳優さんが嫌とかじゃなくて、ドキュメントではなく、完全に映画化っていうところが受け止めきれなかった。

でも今年のmemorialでJUONさんを観て、一瞬hideさんに見えたことがあって、気持ちが変わった。

 

正直、こんなに始まるまで緊張した映画ってなかったよ。

いつも半分寝ながら観てる他の映画の予告とか映画泥棒とかまで、ばっちり観てた。というか、緊張して気を張ってた。

いよいよ始まるっていうテロップが流れたら、心臓がぎゅっとなった。

そしたら、早速あの日のニュース映像とか流れるから、一気に悲しみモード突入で、開始1分で泣いてた。

自分史上最速の泣きです。

こんなスピードで泣いてたら、この2時間耐えられるのかなと不安になった。

 

でも場面があの日より前に戻ったり、子どものころになったりしたら、泣かずに入り込めた。

かっこいいなーとか、可愛いーとか。

特に子どものころのエピソードは、映画で見ると本当に素朴で人間らしくて、すごく身近に感じられた。普通に仲良しの兄弟なんだって思った。

 

ヒデラに変身してしまう場面、すごく印象に残ったし、愛を感じた。

ギタリストの手、hideさんの手は、ああやって守られていたんだ。ありがとうございます。

そして、翌日、「ごめんね」って謝るhideさんが、愛おしくて。

こんなエピソードがいくつもあるんだって、みんなに知ってもらいたいよ。そうしたら、この悲劇が不慮の事故だとしか思えないはずなのに。

タイミング悪くヒデラ出現で起こってしまった出来事だとしか思えない。

でも、そうであったとして嬉しいわけもなく、悔しさが涌いてくる。

ほんの少し、何かのタイミングが違っていたら…。

結果は違っていたんじゃないかと。

もちろん、これまでで一番のやらかしエピソードになってしまっただろうけど、のちに笑い話にできていたんじゃないかなと。

 

裕士さんとI.N.Aさんの会見、本当に記憶にない。

でも語られた内容には聞き覚えがあった。

当時のバッシングもあまり知らなかった。それだけ私が子どもだったということ。

自分の気持ち、悲しみをどうにかするので精一杯で、シンプルにシングルやアルバムが発売されることが嬉しかった。

12歳の私にとって、知っているhideさんはロケットダイブのhideさんだったから、新しくhideさんの曲を聴けることが嬉しかった。

でも、X時代からのファンの人にとったら、許せないというか複雑な気持ちだっただろうね。

 

身近な人を突然亡くして、泣けないって。複雑性悲嘆。

死なずにいてくれてよかったです。

裕士さんとI.N.Aさんが同じタイミングで泣けて良かった。あのタイミングのメールも、本当に近くで見守ってくれていたんじゃないかと思うよね。

ご両親の悲嘆も、当然だと思う。でも裕士さんつらかったんだ。知らなかった…。ご家族みんなで支えあっていらっしゃると想像していた。でもそんな綺麗事ばかりではないのが人間かも。

どうしようもない悲しみや怒りを、どうにか、どこかに向けることでギリギリを保てるってこともあるよね。

hideさんが、松本秀人さんという普通の人間であるように、超有名人のご両親だって、普通のご両親で、急に子どもを亡くしたご両親なんだって改めて思った。

ご両親の役を演じていた俳優さん、良かった。

特にお父さんの優しい雰囲気が、そのものってかんじだった。一度だけお墓参りでお会いした時少しお話させてもらった。

ご両親ともに、お元気で長生きしてほしい。

 

 

たくさん泣いて、胸も苦しくなった映画ではあったけど、やっぱりhideさんに魅了される映画でした。

ドキュメントじゃないけど、歌唱シーンは全てhideさんの声だったし、ツアーの映像もhideさんは本人だった。

私の気のせいかもしれないけど。

ツアーのシーンの映像は、常にhideさんにピントがあっていたように思う。

hideさんはステージ上では最後列にいて、ステージにはスプレビの皆さんが演奏しているから、最後列のhideさんはピントがボケることがあっても当然なのに、いつもくっきりはっきりしてた(ように観えた)。

もし、意図的にそういう撮り方をしていたとしたら、それを許してくれた俳優さんたちにも感謝するしかない。

ファンの心情に配慮してくれていたのかも。

あのliveシーンは、自然とリズムとってた。少し前まで泣いてたのに…。

普通にliveを観てるような感覚で楽しめてる自分がいた。

そういう場面があることで救われた。

ただただ悲しく抉られる映画じゃなくなったのは、そういう場面が散りばめられていたからだと思う。

 

hideさんのファンになったのは12歳の時。

hideさんが違う世界へ旅立ってしまったのもファンになって数ヶ月後の12歳の時。

同じ世界に生きていたのは、たった12年。ファンになって数ヶ月で違う世界に旅立ってしまった。

違う世界に生きていて、もう24年。

違う世界にいるhideさんを好きな時間がもう2倍になったよ。

もうここまできたら、一生もんです。

 

もう1枚チケット買ってるから、次はもっと泣く時間を少なく、入り込めたら嬉しいな。

少なくとも今日みたいに始まる前に緊張で気持ち悪くなることはないだろう。

 

思いのたけを書いたらすっきりした。