たまに頑張れるようになった。
超短時間で、慣らし勤務以下のレベルだけど
仕事に行けている。

復帰初日は、途中で脱力と痛みが出て仕事にならなかった。雇用されている以上やるべきことはやりたいから自分の両手に憎悪と○意が沸いた。

脳内であらゆる罵倒を繰り返した。
両手を見つめながら、同じことをもう一度起こしてみろ切り落とすぞと圧をかけた。

確かに病気ではある。骨棘も確認した。
でもどうしようもないと言われている。
なんの支援等もしないと。いらんけど。
だったら脱力しても力を出せ。
痛くてもそれがどうした。

もう後がない。

だから少しだけ頑張れるようになった。
これまで通り計算してODをする。
脱力が軽い時は自分を殴る。
自分への恫喝、罵倒、脅しの日記をつける。
過食できないが嘔吐する。
嘔吐の苦しみを与える。
自分にはこれくらいしないと気が済まない。
今後も追加することで頑張れることが増えるかもしれない。

人を傷つけないよう努力できる。
まだまだ未熟でも、気をつけることはできる。
できる範囲で穏やかに。
人助けは私が勝手にやっていること。
見返りを求めるような恩着せがましい人たちを反面教師に、あくまでも個人の意思で勝手な親切にする。

そういうこと自分だけにはしてやりたくない。
これは病状変化ではなく、窮地に追い込まれ化けの皮が剥がれたというか、生来の気質と自分自身に対する○ねとあふれる思いが明瞭になっただけな気もする。

「自分へのご褒美」よい概念。
日頃の自分の頑張りを自分で認める、いたわる、またご褒美の日まで頑張れるように。
他者が取り入れていることを微笑ましく思えるのに私は自分には絶対あげたくない。
褒美を与えられるようなことをお前はいつした?と私は私に思う。

急にここまで嫌いなれるとは思っていなかった。

働き過ぎって言われるまで頑張れる人になれたら多少は嫌悪感も減るかな。
ストップがかかるスレスレまで研鑽を積めるようになれたら認めてあげてもいいのだろうか。

過労死は深刻な社会問題だけど
私は過労死してしまう人くらい命が燃え尽きるように身を削って頑張れる人になりたい。

両手に対して、飾りにしかなれないなら切り落とすぞって語りかけています。