私がまだ児童だった頃の話です。
「夏休み」と言えばその要素の一つに宿題があります。
この表現にも一般とのズレがあると思いますが、遊びに連れて行ってもらえることは基本なく
せめてポケモンの映画だけはどうにか観せてもらえるよう、その時だけ懇願する私にとっては
夏休み=宿題がある長い休み、的な概念でした。

当時から口の悪さには定評があり、小学校教諭たちの理想の児童像の 真逆 を行っていました。
どう振る舞えば大人が喜ぶか知っていれば猿真似をできたかもしれませんが、そもそも当時の担任や学校関係者を尊敬できず好かれたい喜ばせたいという思いが生まれなかったため
庇護欲を掻き立てる児童のプレイングは頑張れませんでした。

しかしASD的要素が絡んでいるのか突き抜けてバカ正直であったため、宿題をやって翌日出してと言われたらそれは欠かしませんでした。
やる理由はやってこいと言われたからです。

私は母からきちんとしてきちんと、きちんときちんとするのよきちんとして、〇〇(名字)だからできないって言われないようにきちんと、と言われてきたせいもありますが
何事も後になってバタバタしたくないこだわりがありました。
だから母のこのきちんときちんとは「あーはいはい」と流すことができていました。

帰ったらランドセルから宿題と学習用具を取り出します。別々に置きます。まず宿題を終えます。明日の時間割に合わせて教科書などを入れ替えます。その時に宿題も入れます。閉める前に確認します。ランドセルを閉めます。
これで私は翌朝まで何にも追われず過ごせる特大メリットを得ていました。

この奇妙なきっちりを夏休みもしていました。
とにかく8月に何も義務的なことをしたくない。
8月は何も言われたくない。8月は楽をしたい。
この一心で10日前後で宿題を終えていました。
40日ぶん絵日記の捏造は技量がなく、やむを得ず毎日取り組んでいましたが。

自由研究は、毎年なんとかノーカウント扱いを免れるレベルのくだらないものでした。
8月までに終わらせることが最優先であるため
質の追求は秒で捨てていました。

そして8月の自由を手にするとゲームや漫画、お絵描きマン活動に打ち込みました。
そして暑いので学校のプールに行き
ただ浮かんでいました。
毎日のように浮かんでいても泳げませんでした。
まず、まともに泳げるようになりたいと思わなかったのです。ビート板を抱きしめていれば死亡率は低いから、それでよかった。
涼しいプールで暑さを紛らわすことが目的だったとはいえ毎日行くなら向上心とか出そうなものですが、そこのセンサーはない…

自分の好きなように文句を言われず過ごしたい、その強烈な思いが私を期間限定でストイックにしていました。

一般的な真面目な人とは違うタイプなのでしょう。幼い健気さのカケラもなく、自分の自由の追求、ただ楽をするため計画的に過集中する
まさしく打算的な「何か」…

変わっていたから、地域の多くの人が私を忌み嫌いました。虚偽の噂で批判されることもありました。枠外に出ている私への悪感情にかなり長く囚われる人もいました。

その一方で
頑張る理由が笑える、すごいけどおかしい、こんなことで努力できる人いない、ヤバい面白い、言動にギャグセンスがある、と笑い飛ばしてくれる人も極めて少数ですがいました。
社交辞令込みでも嬉しいことです。

だって、なんとか即座に社交辞令を言える程度には引かれてないってことだから。

認めてもらえなくても一向に構わないんです。
わざわざ丁寧に全否定されなければラッキー。
はみ出していることを糾弾されない、それだけでその日1日の救いになっていました。