古代ギリシアの哲学者たちは

「偽善」には上等なものと下等なものの

二種類があると考えていた、という。


下等な偽善とは、「見せかけだけの善行」。

本音は悪なのに、表面だけを善で飾る。

私たちが普段、偽善と呼ぶものはこれに当たる。


上等な偽善と呼ぶものは、

善を装う目的が公共の利益を実現するためのものである場合。


たとえば、ある政策を行えば、

一方は救われる人がいるが、その対極に、

新政策によって既得権を失う人たちがいて、


当然のことながらその実現を必死に妨害

しようとする。


会社でも同様。

完璧な施策というものは、ない。

ある一定期間のみ有効な完璧な施策、

というものは存在するとは思う。


反対勢力、意見の異なる人、問題点、

彼らを説得し、納得してもらい、

あるべき姿や施策を貫くためには、


上等な偽善を演じる。


今ではなく、3年後、5年後、10年後を見据えて。