吉本ばなな さんの日記を読む。
あー、自分のこんな生活、こんな自分、こんな人生、
イヤだなぁ、と思った時。
あー、もっと良い生活がしたい、あんな自分になりたい、
こんな人生を送りたい、と思った時。
どちらも、自分の人生や生活を変えたい、と思っている。
人生や生活を変えるには、
どこまで今の生活をイヤと思うのか?
・・・・というマイナスイメージのところから端を発する
こともあるのだ。
プラスとマイナスと、つまりバランスで。
どちらの方向からアプローチしてもOKで、
どちらが自分にとって、現状を変える「動機」となりうるのか?
動機が強ければ強いほど、行動が変わる。
行動が変われば、生活が変わり、人生も動いていく=変化していく。
以下、吉本ばななさんの日記を一部抜粋。
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私の過敏さは、弱さとイコールではない。
つまらない人生を送らないために決して妥協しないための、
立派なセンサーなのである。このセンサーは厳しい水準を妥協なく
要求してくるので苦しいが、
逆らうときっとこんなになまけものの自分はすぐだらけて
そこそこの人生を選んで、
なんでも人のせいにして、
おいしいものを食べたり飲んだりばかりしているが満たされず、
てきぱき動きもせず、
あまり人のためになることもせず
最低限のことをいやいや要領よくやるだけで、
つらいときも笑顔でいるような人をまぶしくねたましく思うだけで、
いつもぶっちょうづらをしてぶつぶつ文句ばっかり言って
(まあ、今もかなりこの感じはあるんだけれどさ、
書いていてあてはまりすぎて冷や汗が出てきたもん)、
そのまま死んでしまうことになるのが見えているので
「それだけはいやだ!」とすごい葛藤をしながらもかなり忠実にやってきた。
このセンサーのおかげでぎりぎりのラインで
いつも生き残ってしかもひとりでも熱く燃えていられるのである。
そして悔いない人生の時間を生きることができている。
----------------------------抜粋終了。
わたしは、吉本さんの言う「センサー」は持っていないが、
でも、誰でも自分基準のセンサーは持っていて。
そして、少なくともわたしは、
自分のセンサーに逆らって生きているので、
てきぱき動きもせず、
なまけて、人のためになることもせず、
最低限のことを要領よくやるだけで、だらだらと
ラクな方向に生きているのだ。
自分基準のセンサーを持つこと。
そして、それに従って生きていくこと。
従うことは、時には辛く厳しい現実があるかもしれないけど、
自分の決めた基準なのだ。
そのセンサーは、その時々、自分のいるレベルや状況で
変化していく。
自分の状況があがっていくと、センサーの感度は、自動的に上がる。
自分の状況が下がっていくと、センサーの感度は、自動的に下がる。
自動操作の部分と、
手動操作の部分が、ある。
自動センサーが稼動している状態は、
上がっていても、下がっていても、流れに乗っているからラクなのだ。
スムーズ。
けれど、手動操作をするときには、
面倒なこと・イヤなこと・苦手なことが沢山出てくる。
でも、それは、波に乗るまでのこと。
わたしは、今の生活が、イヤだ。
でも、一方で、まあ、いっか、ラクだし、考えなくてすむし。
ただ、ぼんやり生きていくことの、ラクなこと。
矛盾している。思考と行動の矛盾は、結果も矛盾に満たされていく。
とことん、イヤになる、絶望する、そこまで落ちないと、
動けないようだ。