久しぶりの友人と話す。
まっすぐで情熱的で人への思いが深く、
すこやかに育った彼女の言葉は、
時として違和感を受ける。
「~すべき」「~であるべき」
時々、発せられるこの単語が違和感の源。
その前後に続く言葉は、
一般的に良い、とされている
日本人の生活基本や人間関係・親子関係の
在り方を示している。
わりと淡々としているわたしには
持ち得ないエネルギーとパフォーマンスを持っている。
そして、そのエネルギーで周囲をどんどん
巻き込んでいく。
素直で健やかな魂。
彼女と接するといつも感じる。
そこからこぼれ落ちて生きていく人々も存在する。
こぼれ落ちた生活が、気楽で居心地が良い、と
感じる人もいる。
わたしは、それを肯定してしまう。
彼女は、それを否定はしないけれど肯定もしない。
この差が違和感を産む。
ここを根源に発せられる言葉の違いが、
全体を覆う違和感の源なのだ。
一緒に生活をするほど近いしい関係性であれば、
大きな亀裂、ぬぐいがたい断絶への一歩になる
可能性を秘めることが、
一定の距離を置いた信頼関係の生活のうえでは、
違和感は、それぞれの個性や生き方になる。