2016年、記事の余談で、
「高野山にある明智光秀の墓は、何度修復しても、決まって自然にひび割れてしまうのだ」
と、私は書いた。
すると、ブロ友さんから、
「高野山へ行って、明智光秀の墓を見たが、ひび割れには気がつかなかった」
とのコメントをいただいた。
こういうコメントをいただくと、光秀の墓の画像を見せてあげたくなるのが、私の性分だ。
とはいえ画像は、私自身持っていない。
ネット上にある画像は、どれもこれも著作権に守られて、勝手に使えなさそうな物ばかりだ。
だが、動画サイトで探すと、一頃人気があった霊能者宜保愛子(1932年生まれ。2003年没)が、高野山の光秀の墓を、訪れたテレビ映像が見つかった。
彼女は、一頃、テレビ番組にひっぱりだこであり、世界中の心霊、怪奇スポットを巡っては、霊視しそれを視聴者に見せていたのだ。
この宜保愛子出演のテレビ番組映像で、明智光秀の不思議な墓を、皆さんにお見せしよう。
この記事に貼った動画は約5分。これを見ると、光秀の墓のひび割れが、はっきりわかる。
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弘法大師は、62歳で高野山奥之院最奥の大師御廟に入定。
御廟まで続く、約2㎞の参道の両脇には、約20万もの供養塔や墓碑が並んでいる。
明智光秀の肖像画
約20万ある供養塔、墓碑のうち、謎めいているのが、あの日本一有名な反逆者・明智光秀の墓である。
こんなにたくさんある供養塔、墓碑のうち、明智光秀の墓だけが、なぜか、自然にひび割れてしまうのだ。
そして、いくら修復しても、再び自然にひび割れてしまうという。
高野山の関係者も、これには、
「不思議だ」
と、首をひねるばかりである。
テレビに出演した時、宜保愛子は、
「明智光秀は、謀反人とさげすまれ、人々から誤解されてきた悲しさから、霊となり自分の墓を壊しているのだろう」
という見解を示している。
でも私は、(光秀に裏切られた織田信長の怨霊のなせる業かな?)と思っている。
ちなみに、明智光秀は、高野山からすると恩人だ。
というのも、1582年頃、織田信長は自分に従わない高野山を攻撃しようと計画していたのだ。
その頃ちょうど光秀が、本能寺の変を起こし信長の命を奪った。
その為、高野山は攻撃されずに済んだ。
本能寺の変が起こらず、信長が健在であれば、高野山も比叡山延暦寺同様、焼き討ちされるなどしたろう。
高野山 奥之院
住所 和歌山県高野町高野山550
●アクセス
高野山駅から、南海りんかんバス奥の院行きに25分乗り、終点下車。
そこから徒歩すぐ。