![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190619/09/mirakuru460/45/5c/j/o0480023714472328002.jpg?caw=800)
1985年8月12日。
この日は、世界の航空機史上に残る大事故が起きた。
羽田空港を発って、大阪へ向かった日本航空のボーイング747SR機(123便)が、後部圧力隔壁の破壊により、コントロール不能に陥った。
相模湾上空から、羽田へ引きかえそうとしたが、とても無理で、ダッチロールを繰り返した上に、コースを大きくはずれた。
揚げ句、群馬県上野村にある御巣鷹山の尾根に墜落。
乗員、乗客524名のうち520名が死亡という大参事となった。
この記事の画像は、その123便だ。
円内を見ると、本来あるはずの垂直尾翼がない事がわかる。
機体が壊れて、取れてしまったのだ。
この状態で、飛行する姿は、あまりにも悲惨である。
さて、本題に入ろう。
この墜落機123便には、実は、超人気芸能人明石家さんまも、搭乗予定であった。
彼は当時、東京から大阪への移動に、この123便をしょっちゅう使っていた。
ところが、事故が起きた日に限って、彼が出演していたテレビ番組「オレたちひょうきん族」の収録が中止になった為1本早い便で大阪へ向かった。
これが、「運命の別れ道」となった。
もしも、この番組の収録がいつも通り行われていた場合は、彼は123便に乗り、航空機事故で死亡していたろう。
彼はこの事故のあと、数えきれないぐらいテレビ番組に出ている。
現在だって、彼のレギュラー番組が放送されている。
もし、あそこで亡くなっていると、日本のテレビの歴史も大きく変わったろう。
例えば、彼が司会を務めた多くの番組はなくなり、それぞれ違う番組になっていたはずだ。
そうすると、出演者、スタッフもそれぞれ違ってくる。
多くの人の人生が、変わってしまったはずだ。
彼は日航機ジャンボ機墜落事故が起きてすぐ、ラジオのレギュラー番組に出て、こう語ったという。
「体がずっとふるえています。もしかしたら、私も死ぬところだったかもしれない」
また彼は、事故後ショックで、しばらく仕事には集中できなかったという。
それから、北海道、沖縄をのぞく、国内の移動には、飛行機を避けるようになった。
スケジュールがおしていても、新幹線を利用しているという。