リハビリが始まったのは、入院10日目くらいだった。


まだそのときは、HCU(観察室)というナースステーションの横。

だから部屋にテレビもなければ、もちろん携帯も使えない。


天井の穴を数えるような生活から、活気あるリハビリ室に行くのが楽しみになっていった。


自分で車椅子を押すことも出来るようになって、行動範囲が広がった時、HCUからの部屋を替わりたいと思いだした。


こちらからリクエストするのでなく、移動を言われるかと思ったが何もなかったので(まだ私が思ったのが早かったのかもしれないけど・・・)自分からローカを端から端を見て周り、桜島側の東の病棟の方が、明るくいい感じ。

『よし、朝日も感じる東側にしよう!!』


次は個室か大部屋か・・・

個室は一ヶ月の入院費は10万はかかってしまう(この病院は個室がこれでもお安いのです)

家族に相談したら、「自分がいいと思えるほうを選べばいいよ。」と言われ色々観察・検討して個室を選択。


そのころになると、長期入院患者の方がたが夕方食事前に桜島が見える非常階段手前で「心のリハビリ」と称しておしゃべり。

そこで相談して情報をもらいタイミングのいい時期にタイミングをはかり看護師さんに相談。

望んだとおり、東側の個室に移動できた。

本来、他の病棟からリハビリ回復病棟へ移ってくるのだが、たまたま私の場合病棟のベッドがいっぱいだったので、はじめからリハビリ回復病棟だった。

それもラッキーなことだったのかもしれませんが・・・


今こうして書いていると全て与えられるのではなく、自分で選択していたんだなぁ~って改めて実感。

もちろん主張するだけでなく、言われたことに従うというのも自分で「従う」ってことを選択していること。


私はただ、大事にしていることが自分に心地よくというのを、常日頃選んでいたのでこういう結果になったんだよね。。。



個室になって、まずいつまで入院するかわからないけど(自分では2・3ヶ月と思っていた)その間はここは私の部屋。

居心地良くしようと、お見舞いにもらったカード・施設の子供たちからのお手紙や絵など壁に張ってみた。

部屋が明るくなって、沢山の心を感じれて元気と勇気をもらえる部屋となった。

何もない白い壁は無機質で味気なかったので・・・


その後、私の部屋はのちに一時外出で自宅に帰り、自分や友人の撮ったお気に入りの写真を持ってきて部屋中に飾ったり、クリスマスの時期は友人がお土産で持ってきてくれたディズニーランドからのクリスマスリースとクリスマスの飾り付けを(もちろんあるもので)したりして思いっきり居心地のいい部屋にしたのです。


これって自分が楽しい上におまけが付くのです。

入院仲間も友人も居心地のよくなった部屋には、いつも誰かが遊びにくるようになっていきました。