4日目の夕方、座ってトイレをするのを許可された時、右は不自由でも左は大丈夫だから立てると思っていたが、わずか数日で左足も立つことを忘れてしまったみたいだった。
お通じだけは、ベットの中でできなかった私だったので(まぁ~食欲もなくなっていたからよかったけど)、
ベットサイドにあるトイレさえも手をかりて座る。
でも・・・でない。
先生にトイレに行く許可をとると同時に車椅子に座ることを許され、入院後5日目で横で見えていた景色が正面で見れた喜びだった。
車椅子ではあったけど、移動できることの喜び。
車椅子を押してくれる友人のありがたさ・・・
トイレには行けるけど、必ず看護師さんの手をかりないと用も足せない今の私。
車椅子も自分で移動できないのでそのたびナースコールを呼ぶ、心の負担。
「まだ大丈夫?(横にならなくて疲れない)」と言われても
「大丈夫です、この方が気分がいいから」とできるだけ移動の回数を減らして看護師さんに手をかけないようにした。(だって座っている方が世界が広いし、またそれ以外でも沢山手をかけていたので・・・)
そして何より嬉しかったのは、車椅子に乗ったとき、
「友人に外に出たい。外の空気が吸いたい。」とお願いして、許可をもらい病院の庭先まで連れて行ってもらった。
そしてお願いして、隣のコンビニまでも連れて行ってもらった。
その雑多な生活品があふれているコンビニに行ったとき、『あ~私はまだこういうものに囲まれると嬉しくなるという感情はなくなっていないんだ~』とみるだけでも、自分の生に対しての執着を感じた時だった。
のちにこのワクワクした感情、生きる(自分でやりたいことを選んでいく)という執着の始まりだったのかも知れない。