オリンピックは、誰のものか?

 

 あったかもしれない、別の可能性を犠牲にして、自身を高め、競ってきた選手のものである。

と同時に、世界中の全ての人々のものだ。

 

        11,015人( 3.21. 14:59 AFP=時事より 死者数修正)

既に、5000人以上の人が亡くなった。WHOが推測する収束(期待)の6月には、死者は、8000人にも、10000人にも達するのだろうか?。

15000人   20000人

 

ギリシャの採火式も、無観客で行われた。これだけ見ても、世界中が、どういう状況なのか、十分に推測できる。亡くなった方への哀悼の意も込め、参加しない国も出てくるかもしれない。海外への全面渡航禁止が解けずにいる国もあるだろう。

 

体育会系の、何としてでも、”オリンピックありき。”という、観念論は、捨てた方が良い。

 

無観客や、規模縮小でやるのでは、大成功とは、世界の誰も評価しては、くれない。

 

もし、1人でも死者がでれば、全て、無理を承知で開催した日本に責任転嫁される。

 

どう見ても、割に合わない、”大博打”である。

 

日本人の独善性(日本で開催さえ出来れば、他の国がコロナとの闘いで忙しくて、参加できなくてもいい)・排他性(参加できない国は、別に参加しなくてもよい)を世界にさらけ出す事にしかならない。

 

IOCとしての、世界中の人々に対して、本当に、オリンピックの意義・意味を考慮した上での、早期の判断と世界への説明を望む。

 

世界(日本)経済に与える影響は、IOCは、考えなくてよい。経済は、すでに、織り込み済みだから・・・。WHOに判断をゆだねたのは、逃げ以外の何物でもない。すでに敵前逃亡だ。

 

 

 

 【ジュネーブ共同】各国当局の発表などを基にした共同通信の集計によると、新型コロナウイルス感染症の死者が13日、世界全体で5千人を超えた。中国では拡大が収まる気配もあるが、世界各地では感染の広がりが止まらず、世界保健機関(WHO)は11日に事態をパンデミック(世界的大流行)と形容し、一層の警戒を呼び掛けている。