大晦日、札幌からJRに乗って旭川の病院へ行きました。
母は、HCUに入院していました。
父と弟と合流して中に入ると、そこには目をまん丸く開け、右手をぶんぶんと振り、ベッドを叩く異様な姿の母がいました。

顔は浮腫んで紅潮し、首には赤紫色のロープの跡が生々しく、痛々しく残っていたのを見て私は


「本当に首をつったんだな」

と思いました。



母は苦しそうな声で弟の名前を呼んだり、

「今日はそばや刺身を買いに行くはずだったのになぁ」

と話しました。首吊りを考えた人とは思えないセリフでした。というか、こうして母が生きていること自体奇跡でした。


祖母が見つけて助けていなければ、母とはこうして会って話すことが出来ませんでした。



看護師さんに呼ばれて話した時、首を吊って運ばれてきて助かったなんて奇跡だと言われました。あと少し発見が遅ければ本当に手遅れだったと聞かされました。



そして母には、どうして病院にいるのかを誰もこの時は説明をしていませんでした。

母は、順調に抗がん剤治療を続けていました。年越しは家でできるものだと思っていました。本人も、私たち家族も。



「年越しは病院かぁ」


病室の天井を見上げて、そう言ってた母を今でも思いだします。

(この記事は2019年12月30日に書いています)

自宅でくつろいでいると、父から電話。
嫌な予感しかありませんでした。
出てみると・・・

「お母さん、首吊りをした」

と言われて、私は味わったことの無い感情に襲われました。
悲しみと、母に裏切られたという怒りの混ざった複雑な感情。

泣き叫んで「なんで!?首吊りって、馬鹿じゃないの!?」と、父に言ってもどうにもならないことをずっと言ってました。
父は自分を攻めていました。俺が遊びに出かけたからだとか。でも、私は理由はそんなのではないと思いました。







結論から言うと、母は生きていました。
第一発見者は、父方の祖母です。
自宅で家族総出で餅つきをしたあと、母は2階の自室で昼寝をしていました。

母が寝ようとしている姿をみて、父は遊びに出かけてくると伝えて家を出ました。

その時点で家の中にいるのは、2階に母、1階に祖母です。




祖母は軽度の?認知症で、たまに訳の分からないことを言ったり死んだ祖父が生きているつもりになってたりと、たまに家族を悩ませる人です。

電話のかけ方もわからないし、電話番号の暗記なんてしていませんでした。




何を突然思ったのか、祖母は自宅を出てすぐ隣の大きな納屋に向かったそうです。
本人も、なぜ外に出たくなったのかは分からないと後に語っています。

そして、冬は基本締め切っている納屋のシャッターが少し開いているのを見て、締めてそのまま帰るのではなく、

開いてたシャッターをさらに開けて、中へ入ったのです。

その納屋は2階建て構造になっていて、2階へ上がることはほぼ誰もありません。
(2階にあるのは昔使った私のおもちゃや、ガラクタ置き場になっています)

それなのに祖母は真っ先に2階に登っていきました。するとそこには、






首を吊ってぐったりしている母がいたそうです。






祖母は、ロープを切るために自宅へ戻り、台所から包丁を持ってきました。
その後母の身体を寝かせてあげ、近くにあったボロ毛布をかけてあげてから、また自宅に戻りました。

そして、父と弟の携帯電話にそれぞれ電話をかけたのです。

「お母さんが死んでいる」と。
父は出先から救急車を呼びながら帰宅、弟も勤務先から慌てて帰宅しました。


弟が納屋につくと、ちょうど救急隊員が担架で母を運んでくるところだったそうで、その変わり果てた姿に弟はその場に倒れ込みました。


父は母に付き添い病院へ、弟は警察の対応をしました。自宅の部屋、全てを警察に見られたと言っていました。



母が昼寝していた部屋はストーブ付けっぱなし、パジャマもくしゃっと脱ぎっぱなし。
警察は他殺の可能性はないとして、すぐに帰ったそうです。



その後、どうなったかはまたまた後日。
(この記事は2019年12月に書いています。)
明後日から母が入院します。
さっきLINEで「今日はだるい」と送られてきて少し心配。
この前見たCT画像、結構肝臓の腫瘍が大きくなってたし、お母さんの身体に悪さをしているんだろうなぁって思う。




私はアルバイト主婦。
フルタイムで働き、繁忙期であるこの時期は残業もします。


しかし、先日母の主治医から

「5年、10年と生きるのは無理です」

と言われてからはこれからの働き方を少しは変えていかねばなと思い始めています。


1ヶ月に1度は帰省し、母の顔を見に行きたい。
アルバイト雇用なんだし、その辺は融通きかせてほしい。私がいなくたって会社は大丈夫なんだし。
来年からはもっと、もっと、今年以上に家族との時間を大切にしたいということを、上司に伝えたいと思ってます。


新しい抗がん剤が、母の身体にいい影響を与えますように照れ
先週、CT検査に付き添ってきました。
すると、母は診察室から神妙な顔持ちで出てくると私に

「来週、家族の人と一緒に来てって言われたわ」

と、言った。
今使ってる抗がん剤が効いてないとのこと。
大腸の腫瘍はなくなってきてるが、肝臓に転移した腫瘍は大きくなってきてしまっていると、先生から言われたんだと言いました。


落ち込む母、その日のランチは終始浮かない表情で上の空。

抗がん剤が変わるということは、また少しの間入院しなければならないということ。
母は、父や弟の弁当作りの心配や、家族に迷惑をかけることばかり気にしていました。


父や弟に仕事を休ませて付き添ってもらうのは申し訳ないから、またお前が来週も付き添ってくれないかい?と頼まれ、私は旦那と2人で今日母と再び病院に行ってきました。



主治医の先生と対面するのは初めてでした。
若くて、物事をはっきりと言う方です。


「完治はしないですし、5年後、10年後までは生きられません」

と、はっきり言われました。






落ち込みました。
でも、「何言ってるんだ、決めつけるな」って反抗してる気持ちの方が大きかったです。

母は、「ショックだったよね?先生の話」と聞いてきたけど「いや別に?むしろ『何言っちゃってくれてんの先生』って、怒ってるよ」と返しました。

その言葉に嘘はなかったんだけども、家に着いてからなんだか急に、なんで私は母とは離れた所で暮らして、一生懸命毎日残業とか頑張ってるんだろうって思い始めてきて、

もっと実家に帰りたい。
毎月帰りたい!!


と思いました。
それを旦那に伝えたら食い気味に

「そうだ、当たり前だ!いっぱい帰ってあげよう!」

って答えてくれて、しかも


「お前がいないところでお母さんに今日言われたよ。『あの子強がってるだけだから帰ったら慰めてやってね』って。さすがお母さんだね、わかってるんだねお前のこと」


なんて言われて、涙腺崩壊です。

どうしてお母さんがガンになったのかな。


12月25日、母はまた入院しなければならなくなりました。その日の夜は、ケーキが出されるといいねって話をしました。
2017年8月、母は52歳で大腸がんステージ4と診断され、9月からはストマでの生活になった。

ガン宣告から1年がたった今、現在もストマは付けていて、体調は良好。

CT検査の結果も、検査する度によくなっているようですウインク

外来での月2回の抗がん剤治療のみで頑張っています。
本人は家から(主に祖母)(母からすれば義母)から解放されるため病院の日が楽しみだと言って通院していますよ(笑)

憂鬱な気分で通院されるよりは、断然いいと思います。

メンタルが強ければ、がん細胞もビビって死滅してくれるでしょうニヤリキラキラ


ただ、今の抗がん剤は柑橘系(特にグレープフルーツ)との相性が良くないため、大好きなグレープフルーツが食べれない、飲めないのが辛いと言ってるのと、鼻の穴の中の粘膜がただれて痛いのが辛いんだってショック

食事はちゃんととれていて、だけど時々後味が悪く感じるみたいですね。舌が苦いような?そんな感じだと思います。


直接的に私が何かしてあげているわけじゃないけど、母はお話好きでマメな人なので毎日欠かさずLINEのやり取りだけはするようにしていますよニコニコ


来月実家で会えそうなので、今から楽しみです流れ星